夏といえばバッハ?
言いたい、が、あるのですが、まだ、言えません。9月にはお知らせします。
全く冒頭の2行には、関係ないのですが。adidasのCMを見ていて、常田さんが青レンジャーに見えた。ゴレンジャーだったら、青レンジャーが一番クールな役まわりだと思う。どこに座っているか、あの空は、あのビルの風景は……新しい創造が生まれるところに、どうやら、座っていらっしゃるようだ。KING GNUの曲など、今までの曲を全部聴いているのですが、いまだに、コンサートに行ったことはないので、ライブで聴いてみたい。そして、これだけのヒットをとばし続ける方のお話を聞いてみたい。
今日の話ではないのですが、偶然、撮影の合間と思われる常田さんが、集中しているような時間をお見かけした。うなだれて、タバコタイムと思われて絶対に話しかけてはいけない妖気が漂っていた、陽性を纏いつつあったのかもしません。どうぞ、お大事になさってください。(て、読んでないと思うけれど)
先々日の朝、台風の雨風が強くなる前に、子におつかいを頼んでいたら、いやー、忘れてたさ、と、こらこら。忘れないで。夕方、再度、買い物へ子を連れ出し、歩いていた。広重の絵のように、斜めに降ってくる雨は、傘ではどうにもならない。半身濡れながら歩いており、帰ったらすぐに洗濯機をまわそう、と、呑気な日常の数分先のことを考えていた。
歩きながら、台風の名前はなんで、女性名詞なのか、話していた。ミザリー、きゃぁー、こわい、(マイケルがやってくる、だと、わくわくするけれど)、メアリーが来る、なんか、こわいよね。メアリーは、今どこ?……来る、どうやら来るらしい。途中。いなくなる可能性もある。それもこわい。変化するし。竜巻感があるよね、なんで??、なんて、他愛のない会話をしていたが、背を追い抜かれて、はや何年たったか、子は大きくなった。と、途中、無言になり別のことを考えていた。
しかし、何やら話しかけられたか、と、ふと、
「……あ、ごめん、聞き逃した」
というと、
「いや、何も言ってないから。」
と、言うわけで、その後、風の音だけ通り過ぎた。無言歌とは、こういう時に生まれるんじゃないかと思った。
そして、今日は本当に何もないオフの日。オラフソンのアルバムを聴いて過ごしていた。
しかし、調べものは、別物で、
夏休みと言えば、バッハ、蝉の声を聴くとなぜか、バッハのタカタカタカタカッ!としたリズムが思い出される。ショパンもバッハが好きだったそう。いつ聴いても清涼感があるのですが、朝、聴いたら清々しい。お昼寝時に聴くとぐっすり眠れる。夜は、ご飯が進む。あくまで、個人的な趣向です。
そして、背筋が伸びて、姿勢がよくなり、聴いた後は、身長1センチほど違う。
バッハのことをもっと知ってみようかな、と、思ったら、バロックは、必須単語で、ポルトガル語で「いびつな真珠」という意味らしい。そういえば、バロックの名前がついた黒真珠があるな。
音楽の教科書にものっているかな、華美な装飾を揶揄するものだった。と、Google検索して調べるだけでも、はぁ。なるほど、あの装飾音は、揶揄なんだな、と。知った気になり、どうやら、コトバンクの言葉をかりたら、「感動を自由に動的に表現しようとした」のが、バロックらしい。
このバロック時代だけでもざっくり数えてもバッハを含めて42名ほどの作曲者がいらっしゃる。会ったことはないが、なんですとー?こどもの時にレコードで聴いたガボットは、ラモーの作曲で、バロック時代に生きた方だったんだな。今頃、バロック時代の人と認識した。
バッハが亡くなった1750年がバロック時代の終わりを告げることになり、
1753年に一般公開されたオペラ「村の占い師」の中で登場する歌は、後、日本で童謡「むすんでひらいて」となり、歌いつがれている。この曲、モーツァルトやベートーヴェンのかいたオペラに影響を与えていた、とつい先日知った。
バッハは没後に評価されており、評価って、いつも後からついてくるものですね。ラモーって50歳ぐらいで作曲家として、世に出ており、遅咲きであったこと、など、人物にまつわるエピソードと奏でているメロディーを聴いて、なかなか、キャラクターが一致しない、どういうことだろう。人物像って立体でなまものなんだな。(変わっていく、ということ。)
ロングバケーションでは、作曲家の伝記など、図書館で夏休みに読んだなぁと、またまた、読み返すと、感じることは、違うものでした。
夏休みに読んで衝撃だった本と言えば、「エミール」この本を書いた方が、「むすんでひらいて」の作曲者のルソーだったと知った時も驚きました。(小林秀雄が「雪」を編曲していたこともびっくりしたけれど、)
自叙伝や伝記は、どこか、一瞬、その方を身近に感じる。実際は、全然身近ではないんですが、むしろ、身近に感じてしまっては、まずい気がする。クラシックの音楽家は、お亡くなりになっているのだから、納涼。成仏しておくんなまし。
うーん。しかし、なんだか、聴き逃してはいけないメロディーのように思えます。
人間のドラマや時代の流れ、当時の文化をタイムスリップして、擬似体験するような感覚で聴いてみたくなる。
メロディー優先か和声優先かで、大論争になり、ルソーが音楽の世界から、引退する結末になったエピソードは、おそるべし。夏目漱石も命がけで文章を書いていたように、作曲も作り手が生きた証と思う。かっこいいもの、楽しいもの、美しいものを作った方が勝ち!という厳しい世界で、誰と論争になったんだっけな。……、調べものは続く。
モーツァルトには、サリエルがいたように、ルソーも嫉妬の対象になったと思われる。容姿端麗、数学者としての才能、メロディーメーカー、ご夫人たちからの寵愛も受けつつ、最後まで七転八倒の人生について、そして、このメロディーって……。大声で泣きたかったルソーだったのかも知れないなぁと思う。
……聴きたいもの、季節やその日の気分で違うものですが、リズム楽器のように、跳ねている音を鍵盤楽器で楽しませてくれるフランチェスコ・トリスターノが、秋、豊島区にやってくるそうだ。嬉しい。そして、オラフソンのライブが昨年、中止になったので、今年やってくると嬉しい。期待を込めて。
昨年、ショパン国際ピアノコンクールを配信で見ていて、演奏者の練習量の違いを圧倒的に感じていて、今年も配信でサンデーショパンリサイタルを聴いてリラックス。この夏も古典の偉大さに驚いている。
今年は、行ったことのない場所に音楽を聴きに行くことを始めました。同じメロディーも違って聞こえる。
あなたはこの夏、何をどこで、聴きましたか?
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