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がんばれない私も愛したい がんばってきた私を受け入れたい

あなたはよく頑張っていると言われても、どうしても受け止められない

人生で頑張ったと認められる経験はひとつかふたつだけだ

あなたがいてくれて良かったと

そう言われてきた機会は多いのに

どうしても受け入れられない

けれどそれにすがって生きている


頑張っていないと思われることが辛い

だから、頑張りたくなくても頑張っているふりをする

そうでもしないと愛されない

動かない人間、相手に成果やプラスを生み出せない人間に価値はない

人になにかを与えられない自分はゴミ以下だ

そうしていく内に

ふりが、本当になる

自分に課す十字架が重くなっていく

感覚が麻痺して、普通になる

心にフタをして、それに慣らしていくように生きていたのだろうなあ、と思ったりする

サーカスのゾウが足枷にならされていくみたいだ


「楽しい」と思い、自然に取り組めたことが、

頑張ったと思える唯一の経験になっているのかもしれない


頑張っていない自分に価値がないと感じるのは何故だろう?

目標を達成できない自分、

過去への後悔

そして自責、自責、自責…

自分の責任なら、自分が悪いのなら、それが一番楽だ

頑張っている人をみると自己嫌悪にまみれてたまらない

その存在で、そのままでいいはずなんだと

頭でわかっていても心が追いつかない

私はまだ自分を変えきれない

変化が怖いのだ

今の私を蝕む環境や人たちでさえ、いなくなってしまうのが怖いのだ

そんな自分がたまらなく嫌いだ

未来の自分に頼る癖を変えたいのに

今を生きたいのに

過ぎ去った時間の中にとらわれて

身動きが取れないように鍵をかけられている

その鍵を持っているのは自分だけだということに、もう気が付いているのに

箱の中で、鍵を一生懸命投げたり傷つけたり温めたり撫でてみたりしているだけだ

そんな自分がたまらなく嫌いだ

頑張っていない自分が嫌いだ


いや

それでも


本当は

学校に行けなくなって

繊細な感性と感受性をもって

生きづらくてたまらなくて、

そんな苦しさを全く理解されなくて、

つらくて仕方なくて

だれかに「つらかったね」「逃げていいよ」「好きなように生きていいよ」

そういってほしかったそんな中、頑張って頑張って生きてきたはずなんだ

結局生きなきゃいけないから

楽しく前向きに生きられるように自分を知って、たくさん調べて、支えられて、泣いて笑って、苦しんできたんだ

生きなくちゃいけないなら

どうせなら楽しく生きられたらいいと

色んな経験をするようにして、場所へ行って人に会って勇気をだしてきた


それすら認められない

それが努力だと思えない

周りの環境やひとのいうことがすでに十分で、

もっと自分にない意見や考え方を持つ人や、情熱や前向きさに溢れた場所に身を起きたいと思ってるからなのかもしれない

その場所へ行ってしまったら

自分はそれこそ本当に役立たずになるかもしれない

だから嫌でも「この今」に縋り付くしかない

頑張っていないと

怠けていると

情けない、だらしないと

そう思われることが怖くて怖くてたまらない

与えられない私を、人は求めるのだろうか

与えられない私を、私は許せるのだろうか


自分を変えられるのは自分しかいない



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