見出し画像

恋焦がれることは全て、悪いことじゃない。

誰しもに、恋い焦がれた記憶がきっとある。そんなことを思うと必ず思い出すのは、高校の時の元彼、パン屋の息子のけんちゃんのこと。(個人情報・笑) 高二から付き合って、大学一年生まで付き合っていた人。最初のデートに千葉駅でプリクラ撮ったこと、その時のあどけない私たちの顔や髪型や服装を今でも思い出すことができる。一緒にいることが嬉しくて楽しくて、初めて手をつないだ時は、倒れるのではないかと思うほどドキドキしたこと恋のことを。服や行く場所や飲み物(お酒ではなく生茶。)に至るまで影響を受けて、毎日1時間も電話をしないと生きていられないと、本気で思っていた濃厚な二人の日々を。

恋い焦がれた記憶がデフォルメされているのは、人生で最も辛い別れだったからかもしれない。一度私から別れて、もう一度付き合って、その後私が振られて...人生で私が最も長く引きずっていたのは、間違いなくけんちゃんだった。けんちゃんに別れを告げられた日、優しくて決して私を傷つけないけんちゃんに言われた言葉が信じられなくて、そばにいて欲しいと懇願して、それが叶わない現実を受け入れられなかった。記憶も曖昧なほど嗚咽するように泣いて、忘れられないシーンが記憶の中に刻まれている長すぎる1日。暑い季節だったけど、そのあと数日一人でさめざめと流した涙の熱さと、裏腹なエアコンが効いた自分の家のあの部屋の冷たさも間取りも、そのすべてのリアリティを、今でも忘れることはできない。あれから、私は自分の中にある感情を、吐きだすように文章を描くようになった。

誰しもに恋い焦がれて、傷ついて、もうダメかもしれないと思うほど誰かに・何かに、賭けていた日々がある。恋も、部活も、仕事も、そうだと思う。でもどれだけ、そんな風に恋い焦がれた人と結婚する人がいるだろうか。そんな風に命を燃やした部活のスポーツの種目で生きていく人が、いるだろうか。そして、同じように20代に死ぬ気で働いたその会社や業種で生きていく人がいるだろうか。

そんな人たちは本当に一握りだと、私は思う。言ってしまえば、ほぼいないと思う。なぜこんなことを書いているかというと、ふと恋い焦がれる先には、たいてい別れがあるけれど、恋い焦がれるって良いことだなって、その100%何かに賭けたことの先にしかないものがあると、思ったからだ。

子供を持つと、その子を苦しませる全てを排除したくなる。私の娘も2歳をもうすぐ迎えるまでに、風邪にかからないか、怪我をしないか、寂しい思いをさせてないか、不安で不安で潔癖性みたいになってしまった時期があった。今でも、人に揉まれるのも必要だよね、なんて思えず嫌な人のそばには絶対に置きたくないと思ってしまう私だけど、こんなに手塩にかけて育てた我が子が、「大恋愛で彼氏に振られて、生きる意味を失うなんて、絶対にさせない!」とは、不思議と思わないのだ。

全ての物事は体験しないと知りようがない。振られて生きる意味を失うことはかわいそうだけど、それほどまでに恋い焦がれるものや人が、なにもない人生のほうが、よっぽどがかわいそうだ。恋い焦がれる人やものがあったということは、今こうやってけんちゃんのことを思い出してノートにかける私のように、人生を振り返った時に味わえる何かがあるということ。生涯忘れることのできない何かを自分に残せるということは、きっと幸せなことだ、と私は思うのだ。

「恋い焦がれる」ことを考え直した時、誰かと別れること・部活が終わること・会社を辞めることは辛いことかもしれないけど、それでも素晴らしいと思うのは、その人や部活や仕事そのものと生きていくのではなく、そこで見つけた自分自身と生きていくのだから。恋い焦がれて、自分の全てをぶつけて、自分を磨いて、新しい自分になって。だから恋を終えた時というか振られた時、もう傷つくのが怖くてこの人以上になんて出会えないと決めつけて、心を塞ぎこんで泣いて泣いて泣いて、世界が終わりだと思ったこと、あの絶望とそれを知ったから出会えたその先の人生に感謝をする

付き合って幸せだったことよりも、深く胸に刻まれいろんなことを教えてくれている、あの別れ。そして、あれは本気で恋い焦がれていたから、生まれた絶望。希望とか幸せとか、忘れてしまったこともたくさんあるけど、そんな捨て身の絶望は今でも私に、目の前にいる人が当たり前ではないのだと教えてくれる。

そんな、絶望を体験できて、人生に何かを残せるだけ、今私は目の前に恋い焦がれているだろうか。先日行ったジャカルタを思い出す。まだ、恋い焦がれることができる、ということを教えてくれた土地。恋というのは自分の全てを変えてしまうほどのものだ。全ての優先順位が変わり、強い感情を真ん中に論理では作り出せない時間を作ったり、行動させたりするもの。あの感覚と、事業は似ているような気がする。考えて、こうだったらできるというものを積み重ねても、とんでもない未来はやってこない。どうしてもこうしたいという無根拠な感情と想いから全ては始まる

もっと、目の前のことにひたむきに捨て身で挑戦することはできる。そんな風に思わせてくれたのは、たった3泊4日の出来事だった。ジャカルタという地に惚れ、単身でそこに乗り込み、全てをかけて、言語を習得しながら、戦っている人がいた。ある二人の結婚式、席次が隣だったその経営者に誘われて行ったこのジャカルタで、その人と4日間をずっと一緒に過ごした。

いわば、職業も自由で、リスクも可能性も小分けにBETできるこの時代に、自分という全てをBETするという考え。体当たりに生きる人のパワーは半端ではない。でも、それ以上のことがあるだろうかと改めて思う。だって、そうできない人が多いこの時代に、そういう戦い方は戦略的に優れているし、勝率はきっと高いだろう。何よりも全てをかけて恋い焦がれて生きる時間は、人生の宝物だ。万が一それが実らず、傷ついて死ぬほど涙することがあっても、35歳の私の人生が、恋い焦がれた日々も絶望もない人生と、結構楽しかった毎日の人生とでは、雲泥の違いがあるだろうと思う。私は前者の方が圧倒的にいい人生だと思うからだ。

その恋が終わったら意味がないのではなく、その恋をできていた自分、その恋によって変わった自分だけが、唯一未来を作ってくれるのだ。だから私は、いくつになっても恋い焦がれる選択をしたい。そのレベルを上げたいと、海外視察のジャカルタを後にする飛行機で強く強く思ったのだった。

(暗かった飛行機の中で)

ジャカルタにあったものは何なのだろう。それは、青春のような、青い何か。情熱のようなまっかな燃え上がる何かだった。私がすっかり落ち着いてしまっていると思うほどに、あの国そのものが活気に満ちていた。でも、とらえどころがないわけではなく、捉えられる感覚を私たちに与えてくれる。

ふと、今日の朝ぼうっとしている時間に思った。完璧な人生が美しいのではなく、不完全で未熟で苦しいこともカッコ悪いこともあって、それでも一生懸命生きてる、その人生が面白く美しいのだ。毎年行っている、視察という名のアジアンジャーニー。ジャカルタという場所。そこで全てをかけて挑戦している人が私に、恋い焦がれることを思い出させてくれた。

美味しかったスイカジュース。なんだか冒頭の生茶と相まって、大好きな飲み物や食べ物は、記憶をリアルにしてくれる。忘れるものか。この心の心地よいざわざわを。自分という人間に潜んだ、もっと大きな可能性の香りを。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?