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巨人の家 

 第一部 村

 むかしむかし、私が育った村には、森の奥深くに通称『巨人の家』と言われる大きな西洋風の館がありました。
 物心ついた頃には両親から怖ろしい巨人の話をたくさん聞かされ、絶対にあの家には近付いてはいけないと、ことある毎に口を酸っぱくして教え込まれました。
 それは我が家だけのことではありません。その村に住む誰もが口々に森の奥にある『巨人の家』に行ってはいけないと大人達からこんこんと教え込まれておりました。
 もしも、興味本位や面白半分でその館に近付こうとしたならば、それが最後、二度と生きて帰っては来られない。そんな風に村人達は教訓として子供達に教え込みました。
 その館に行ける者は村でただ一人、音吉と言われる男だけでした。音吉は二十歳の時に神社で数ヶ月間の禊を済ませ、神に選ばれし者として特別な使者として任命され、巨人との連絡係の役職を担っています。
 巨人は神と繋がっているらしく、音吉だけは許されて館の門をくぐり、巨人と面会し、届物を差し出したり、用件を伺ったり、村人と巨人が平安に暮らせる為にその役職を全うしているのです。
 と言いますのも、もうそれは遥かむかし、村人の先祖達が一斉に森の奥に踏み込んで、巨人に立ち向かったそうです。ところが巨人の怒りに触れた当時の村人達は殆どが焼き殺され、村は全滅しそうになったという、そんな忌わしい出来事がありました。
 それから村人達は巨人の前に平伏し、今後一切逆らわぬことを約束したのです。
 巨人は何もしなければ殺しも村を焼き払うこともしないと、それを告げ、たった一人の連絡係を除いて誰もこの館には近付くなと宣言したということです。
 それからそんな掟が生まれたのですが、それでも年月が過ぎると、当時のことを知らぬ血気盛んな若者が数名、巨人の家へと忍び込み、そのまま消息を絶ってしまったのでした。それだけに余計に村人達は、子供が生まれる度に幼児期よりその教えを厳しく叩き込んだのです。

 さてその頃、村人達は大抵が百姓として生活をしており、家は藁葺き屋根、飯は釜戸で煮炊きし、風呂は焚き火で沸かす五右衛門風呂、洗濯などは近くを流れる小川の洗い場を利用する。そんな暮らしでありました。
 部屋の中には囲炉裏があって、そこで雑炊や煮汁を作り、常に家中には何とも言えぬ良い香りが漂っておりました。木の匂い、藁の温もり、農作物の匂い等が相まって古民家独特の芳香がいつも幼い私を包んでいるのでした。
 当然の事ながら電気などというものは無く、蝋燭の明かりを頼りに静かな夜を過ごし、毎日勉学に励みました。
 四方を低い山々に囲まれたこの村は、小さいながらも四季折々の日本の原風景が存在する平和な村でした。

 村の地理、形状について少しお話をしておきましょう。全体的には南北に縦長になっており、集落は東西に二つに分かれ、それぞれの民家を縫うように蛇行して小川が流れ、中央で合流すると、そのまま川になって南へと下って行きます。その川の周囲に田畑が広がり、所々に小高い丘があったりします。
 小川が合流する少し北の辺りに学校があり、村の小学生と中学生は皆ここに通います。木造二階建の校舎の南側には校庭があり、周囲には桜の木が植えられています。それはそのまま川沿いに連なっていて、毎年春になりますと見事な花を咲かせ、村人達の格好のお花見広場になっています。
 学校の北側には村の公民館と診療所、さらには火の見櫓や蔵が建ち並び、その向こうに勾玉の形をした池があります。それはそのまま勾玉池と呼ばれ、小学生達が遠足で訪れたり、老人達の憩いの場にもなっていました。音吉の住む連絡係用の小屋もその勾玉池の畔にひっそりと建っておりました。
 その池の北側に石段があり、それを上がった所に神社があります。神社の裏には滝が有り、その上に鬱蒼とした森が広がっています。滝の脇から道とも言えない獣道を登り詰めて行くと、例の巨人の家へと続いているのです。

 日本全体から見ますとこの地方は比較的温暖な気候でかなり山奥の人里離れた位置に存在し、都からは遠く離れ、外部から遮断された陸の孤島みたいな状態であり、実際、人の行き来や物の流通は少なく、忘れ去られた村と形容するのが一番似合いであるかと思われます。
 ですから、この村の住民であれば誰もが知っている『巨人の家』の事も外部の者にはあまり知られていません。
 もちろんこの村を出てどこか別の町に越して行った者もこれまで数名おりました。けれど、一旦村を離れたら決して『巨人の家』のことを話してはならない。そんな血判状を残していくのが慣わしとなっており、これまでその規約が破られた事は一度もないと村の年長者たち誰もがそう答えます。
 また巨人に関する具体的な情報は実の所、誰も知ることが無く、唯一の連絡係の音吉にしても、巨人からこの館内で見聞きした事は誰にも言ってはならないと固く念押しされているため、用件以外の事は村人とも口を聞いてはならず、ただ一人黙々と神の使者として、その役割に自らの人生を捧げている孤高の村人でありました。



 そんなある日、畑で農作業に没頭していた私に村の長老から使いの者がやって来ました。
 この村では一般社会で言う所の役人や代議士のようなものは存在せず、村の全ての取り決め事は長老を中心とした年寄り達に全て委ねられておりました。
 その時、私は二十歳になったばかりでありましたから、突然で初めて長老からの呼び出しに大いに戸惑いました。
 村の取り決めを行うのは普通は公民館を使うのですが、現在の長老・松之助さんは脚を患っており、動けないので、直接東の集落にある家屋に向かいました。この松之助さんが亡くなると今度は西の集落に住む菊次郎さんが次の長老になるという仕組みです。
 古びた日本家屋、座敷に入り、奥の和室、床の間を背にして長老は私を見ると目を細めて不適な笑みを浮かべました。
 部屋に通された私は長老の真向かいに座らされました。背後には私を連れて来た使者の二人が鎮座しております。私が長老の言うことに逆らったり逃げ出そうとしたら、直ぐにでも取り押さえられるよう、そんな姿勢を保っています。
 しかし、もうその時には私は覚悟を決めておりました。何があろうと長老の言うことに背いてはいけない。それがこの村の決まりです。じたばたしても仕方有りません。
 私は心を静めて長老の言葉を待ちました。
 案の定、長老から申し渡された言葉によって、その後の私の人生は大きく変様してしまいます。
 長老から申し渡された事は、要約するとこういう事でした。

 永年巨人との連絡係をして来た音吉も随分と歳を取り、この所すっかり足腰が衰えて来ている。村としては早急に次なる連絡係を選ぶ必要に迫られた。そこで年長者たちの会合で話し合った結果、次なる連絡係の役職を、勇吾、おまえに任せたい。

 そういうものでした。
 長老は幾分嗄れた声で、淡々と私にそう告げたのです。
 これは実に怖ろしい事でした。
 当時私は病気で動けなくなった父の代わりに畑仕事を始めたばかりです。畑は広くかなりの体力仕事です。母親一人では何ともならず、この家には私以外に働き手はいないのです。
 それが巨人との連絡係に任命された。
 もしも、長老の命令に背いた場合は、直ちに全財産を放棄してこの村を出て行かなければいけません。
 村を出て行くのは私一人ではなく、家族全員です。私は六十歳になる病気の父と五十代になった母の三人暮らしです。
 また村を出て一番近くの町に出るには、ほぼ一日中峠道を歩かなければなりません。私はともかく、父と母にそれは無理だと思いました。
 これまでにも長老の言い付けに背いて村を出た者もいます。しかしその多くは峠道の途中で行き倒れになったと、そんな話を何度か聞かされていました。それほど過酷な峠道なのです。
 つまり私には巨人との連絡係として人生の大半を孤高の人間としてこの村で暮らすか、無一文で村を出て家族揃って行き倒れになるか、この二つの内どちらか一つの道を選ばなければなりません。
 私一人ならいざ知らず、父母の事を考えると、村を出る決心は私には出来ませんでした。

 巨人との連絡係になるためには最低でも三ヶ月の間は神社に籠って禊をしなければいけません。その後、見習いとして音吉の下について引き継ぎを行い、寝起きするのも今の音吉が住んでいる勾玉池のほとりだと、それは連絡係を任されている間中、一人でそこに住む。それが決まり事だと言われました。
 連絡係は村の他の者達と用件以外の事で言葉を交わしてはいけません。つまり、連絡係を引き受けてしまえば、両親や友人達とはもう殆ど絶縁状態とも言える間柄になってしまいます。
 でも仕方がありません。そういう命をうけたのですから。
 私はその日のうちに家族にその話を告げました。
 父と母は長い間、大分困った顔をしていましたが、夜遅くなって心を決めたと見え、私に連絡係を引き受けるようにと諭しました。
 結局、その日がその家で暮らす私の最後の夜となりました。次の日から早速私は禊をするため、神社に籠る事になったのです。
 家を出ようとする時、父が私に声をかけました。
 巨人との連絡係の仕事はこの村で暮らす以上、誰かがしなければならない大切な仕事、それを任せられた事を誇りに思う、と私に告げました。
 母は黙って手を合わせ何かをお祈りしている様でありました。
 私は両親に深々と頭を下げ、長年住み慣れた我が家を後にしました。
 不思議と涙が出たりはしませんでした。気持ちは昂り、ある意味高揚感が胸中を渦巻いておりました。

 神社に到着した私は早速、その日から禊を始めました。
 社殿に入ると、これまでの服は全部捨てられ、白っぽい着物のようなものを一枚身に着けます。中には下帯を締めており、滝行は下帯だけで行います。
 滝行は神社のすぐ裏にある滝で行うのですが、水はとても冷たく、落下する水の勢いも強く、かなり厳しいものでした。それを朝、昼、晩と三回行い、終わると神主さんの祈祷を受けます。
 それ以外は神主さんの指示に従い、神殿や社務所の掃除、庭の手入れなどもしました。
 食事は質素な精進料理が出されます。殆ど毎日同じ食材の組み合わせと味噌汁、それに白米と玄米を混ぜ合わせたものを茶碗一杯と決まっています。
 夜になると一時間程瞑想を行い、朝が早いので夜更かしする事無く床に就きます。
 こんな事を三ヶ月も続けるのは大変だなと思いましたが、長く辛く感じたのは最初の一週間くらいで、その後は思いの外早く時は過ぎて、あっという間に三ヶ月が経ってしまいました。
 その頃には神社の生活に馴染み始めていたので、かえってそこを出て行く事が怖くて仕方ありませんでした。何せこれから本格的に巨人の家への行き来が始まるのです。
 『巨人の家』とはどんな存在なのか、巨人とはどんな人でどれくらいの大きさなのだろうかと、その日が近付くに連れ、私の妄想は次第に広がり不安に駆られるのでした。

 その日の朝、音吉が神社に迎えに来て、勾玉池の畔にある自分の小屋に私を連れて行きました。引き継ぎの間はここに音吉と二人で暮らすのです。
 音吉は怖ろしいほど無口でした。
 黙って私の前を歩き、小屋の戸を開け、荷物(と言っても着替えが入った風呂敷包みひとつですが)をそこに置けと指で指し示します。
 音吉は小屋の奥の方から薄汚れた鼠色の作業着を取り出すと私に放って寄越しました。
「着替えろ」
 初めて聞く音吉の声でした。低くくぐもっていて、最初はなんて言ったのか分からない程でした。
 作業着に着替えた私に音吉は丈夫な布で作られた袋状のものを渡しました。袋には紐が二本付いていてどうやらそこに腕を通して背負うみたいでした。
 手に持つと意外に重くて何が入っているのだろうと中を覗こうとすると、「見るな」と一言、音吉が鋭い声で制しました。
 地下足袋の様なものを履くと「行くぞ」と音吉は言い、小屋の外に出ました。私はビクッとしました。
 こんなに早く巨人の家に向かう事になるとは、思ってもいませんでした。
 そんな私の気持ちなどお構いなく、音吉はどんどんと草むらの中を歩いて行きます。
 そして、神社の裏、私が滝行をした滝の横から獣道に入って行きました。
 私は背に重い荷物を背負わされているので、着いて行くのが精一杯です。
 初めて入る獣道は木の枝や草が茂り、おまけに足元は大きな石がゴロゴロしているのでとても歩きにくいです。そして想像以上に急勾配で所々は手を地面につけて這う様に登ったりしました。
 空を見上げると木々の枝や葉に遮られて陽の光は少しも見えず鬱蒼とした暗い森が続いているばかりです。
 道とは言えない獣道でしたが、人の通った場所は草が左右に分けられていて、前を行く音吉の姿が見えなくなっても、道はひとつしかなく迷う事はありません。
 途中、岩肌の開けた場所に来ると音吉はそこで私を待っていてくれました。標高がどれくらいあるのか見当はつきませんでしたが、かなり高い所まで登って来ました。息が苦しくて私はハアハアと肩で息をしました。額や首筋がびっしょりと汗に濡れています。
「ほれ」と音吉は振り返り、彼方の空間を指差します。
 見ると、はるか下に私の村の全域が目の前に広がっておりました。
 「あぁ!」
 思わず感嘆の声を出した私は、初めて見る村全体の風景に暫し見惚れてしまいました。いつか村全体の地図を見せて貰った事があるのですが、その本物が目の前に広がっていました。
 東西の集落、校舎、流れる小川、広がる田園、所々に点在するこんもりとした緑の丘、四方を囲む低い山々。私が見たどんな風景画より美しい本物の風景がそこに広がっておりました。
 私はついつい自分の家を探してしまいました。私の生まれ育った家は西の集落の一番南の外れです。ここからはかなり遠く、はっきりどれとは確認する事が出来ません。今頃父母はどうしているだろう。畑や田圃はどうなっているのだろうか。
 そんな感慨に浸っているのもほんの束の間。再び音吉は岩肌に作られた細い通路を上がって行きました。私もそれに続きます。
 その大きな岩盤を登り切り、再び木々に覆われた森の中をひたすら歩いて行くと、突然大きな広場に出ました。
 周囲は木々が茂っているため、外からは見えませんが、広い草むらがあり、その向こうにぞっとするほどの見た事も無い大きな館が聳え立っていました。
 その姿はあまりにも不気味で背筋にぞくっと冷たいものが走るのを感じて、私は身震いしました。まさに大きな黒い塊、それが私の見た館の第一印象です。
 前面の壁があまりにも高く聳え過ぎて、屋根がどんなものだか分かりませんでしたが、壁は黒と言うより灰色がかった暗い色調の素材で、窓には何本もの格子が嵌め込んでありました。そして一際目を引くのが玄関の扉で、それは人の背丈の三倍はあろうかと思われる高さです。
 私はその存在感に圧倒され、呆然とそこに立ち尽くしてしまいました。
 これが噂に聞いていた『巨人の家』でした。
「入るぞ」
 音吉はそう言って玄関まで歩いて行き、拳を木の扉に何度か打ち付けました。
 私も震える膝をなんとか持ち堪えて歩を進め、よろよろと玄関前に辿り着きました。
 その途端、ギギギギィと扉が悲鳴の様な軋み音を立てて、ゆっくりと外側へ開きました。
 私は目眩を起こしそうでした。
 いよいよ『巨人の家』の内部に入る。その瞬間が来たのです。



続く

いつかまた。

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