夜鷹の灯り
なんて言うか、この頃、すっかりバカになってしまいまして……、
「馬鹿?」
あ、いや、関西風に言うとアホですか、なんやこう上手く言われへんけど、考えがまとまらんし、気力もないんですわ。
「そうですか」
特に長編なんか書くのにはすごく体力使うでしょ。
妙な沈黙。
耐えられない。
暖炉の火があかあかと燃えている。
言ってみれば、燃え殻みたいなもんですわ。
老作家は不思議そうな顔をして、こちらを見る。そしてこう言って笑う。
「わたしのような老いぼれが言うならともかく、君のような若い人が、そんなことを言うなんて」
いや、そんなに若くもないんですよ。それに、どうかな、今までに試すことは何でもやってみたんすよ。でも、全然さっぱりいかんくて、情け無い限りです。向いてないと言うんか、素質がないんですよ。きっと。
自分の吐いた白い息が一瞬の後には細かい粒子の粒になって空中に消えてしまう。
「謙遜してるのですか?」
え? 謙遜? とんでもない。ほんとのこと言うてるんです。先生はご存知ないだけです。自分は小さい頃から何をやらしてもダメばっかりやってた人間なんすよ。人に褒められたことなんて一度もないですしね。
老作家は枯れ枝のような腕で薪を一本火に焚べる。バチバチと火花が跳ねる音がする。ほんの少しだけ暖かい空気が流れて来たような気がする。
「『よだかの星』は知っていますか?」
丸めた背中をこちらに向けたまま老人はそう呟いた。
え? よだかの星……、ですか? いいえ、知らないです。
「宮沢賢治ですよ」
ああ、童話ですね。すみません、読んだことないです。
「そうですか、謝ることはありません。でも一度読んでみるといい。童話とは思わないですけどね」
そうですか、覚えときます。どんな話でしたっけ?
「醜い夜鷹の話です。名前に鷹とついてますが、鷹では無いんです。ですからあまり醜いので鷹からも嫌われてます」
はあ、なんか悲惨なお話みたいですね。
「悲惨です。でも題名に星と付いてるじゃないですか」
星……、つまり星になるんですね。
「燃えてるんです」
燃えてるんですか。
「はい、今も」
昔あった様々な記憶の断片が走馬灯のように頭の中を駆け巡って、何が何だか分からなくなった。
《君も夜鷹になれれば良いですね》
今の言葉は老作家が言ったのか、あるいは別の誰かがどこかで囁いたのか判然としなかった。
どこか遠い世界の異国の街に住んでる魔法使いが語ったような、そんな響きのする声だった。
その夜、カエル君は姿を現さなかった。
(長編小説『カエル男との旅』より抜粋)
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