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黒髪を切る迄 4


 前回はアワノと私の出会いについて書いたわね。
もう一度読み返したい方はこちらからどうぞ。



 さて、今日はアワノと付き合い始めてからのお話よ。長いようで短い交際期間だったわ。交際と言っても、お互い高校生だったからね、お友達関係の延長みたいなものよ。二人で会うのも週に一度くらいのもので、軽くキスくらいはしたけど、それ以上の関係にはならなかったわ。車もないし、アワノも私も親と同居の実家暮らしだったから。
 どんなデートをしてたかっていうと、駅前だとか公園で待ち合わせて、映画を観たり、喫茶店に行ってダラダラとしたどうでもいいようなおしゃべりしたり、って、まあ一方的にアワノが私に漫談を話して聞かせるだけなのよ。けれど私はあんまり笑えなくてね。アワノが一人で喋って一人でウケて笑う。みたいな感じ。少し彼とは笑いのツボが違っていたのよ。
 でもいつもオシャレな格好をして来るアワノと会って数時間一緒に過ごすのは退屈ではなかったわ。暇つぶしするには格好の相手だったのよ。好きだったかどうかと訊かれるとちょっと微妙なところはあったのだけれど。
 その頃、二人でよく行くジャズ喫茶みたいなところがあってね。アワノはジャズや洋楽なんかに詳しかったから、知ってる曲がかかるとリズムに合わせて身体を揺らして踊り始めたりするのね。流石に立ち上がってまではしないけど、時々イスから転げ落ちそうになったりしてたわ。ギャグのつもりだったのかしらね。
 しきりにマイルス・デイヴィスがどうとかカウント・ベイシーがどうとか、そんな蘊蓄聞かされてもね。あまり興味が持てなかったのよね。私にとっては全部右の耳から左の耳へと通り過ぎて行くだけだった。でもその情熱は伝わったし、なかなかいい声してるし、まさに立板に水のような話口調が耳に心地良かったのは確かよ。
 二人で歩いているとね、よく肩に手を回して来たり、手を繋ごうとするのだけど、私はそれをことごとくはねのけてしまったの。あまりベタベタするのは好みじゃなかったから。
 そうその頃からね。肩を竦めて下からこちらを視る気障なポーズをよくしてたのは。あれは照れ隠しだったのかも知れないわね。
 そんなことよりも私は軟式野球部での話を聞きたかったのだけれど、何故かアワノはその話になると突然何も言わなくなってしまうのよね。あまりいい思い出がなかったようで。あんなにキラキラして頑張っていたのにね。まるで何かを恥じるみたいに口を濁してするりと話題を変えてしまうのよね、いつも。
 そんな中で今も記憶に残ってるのが、一度だけ遠出したことがあるのよ。朝早く待ち合わせして、電車に乗って、大きな街へ行ったの。
 私もその時はとびきりのオシャレをして行ったわ。お気に入りの薄いピンクのワンピースに白系のカーディガンを合わせて、一つしかないブランド物のバッグを提げてね。
 もちろんアワノもその当時流行りのアメカジなのかアイビーなのか、よくわからないけど、気取った格好してたわね。ヘアスタイルも何かで固めて頭頂部を少し尖らしているの。それが似合ってるのかどうかは私には判断出来なかったけど。
 それはともかく、定番のデートスポットをいくつか巡った後、水族館へ。私は水族館が大好きだったから、それは楽しかったわ。特にクラゲがゆらゆら揺れているのは何時間でも見ていられるの。
 夕方になるとアワノがしきりに時間を気にしてそわそわし始めたわ。何かあるの? と訊くと、夕方発の屋形船クルージングを予約したって言うのよ。なんでも船の中で食事しながら夜景が楽しめるんだって。
 それなら仕方ないってことでクラゲちゃんとはお別れして桟橋へ向かったの。そして風情あるというのか、純和風な屋形船の中へ乗り込んだわ。もうすでにたくさんの大人の人たちが団体で乗り込んでいて、私たちは隅のほうの席に案内された。畳のようなフラットな床に座椅子と卓があって、まるで宴会場のよう。脚が痺れないように上手く座らなけりゃと思っていたら、卓の下は掘り炬燵のように脚を降ろせるところがあって助かったわ。
 最初は私もアワノも楽しんで気分も盛り上がっていたわ。食事は普段口にしない和食だったけど豪華で美味しかったし、二人とも未成年だからジンジャエールのグラスで乾杯してね。ちょうど夕暮れになって街の明かりがポツポツと灯り始めて、綺麗だった。いい雰囲気でいたのよ。
 でもしばらくした頃から隣の団体さんたちがお酒も入っていたようで徐々に話し声も大きくなって、やがて騒がしくなって来たのよ。船の中には私たち二人ともう一組年配のご夫婦みたいな方たちがいらしただけで、ほとんど団体さんの貸切みたいなところに私たちは付け足しみたいな格好で詰め込まれてしまっていたみたい。アワノが何か話をしようとしても盛り上がった団体さんの歓声に掻き消されてしまうという有様で、初めの頃は苦笑いして肩を竦めていた彼もだんだんとイラ立って来たみたい。
 極め付けは団体さんの中の数人がその月に誕生日だったらしくて、舟の方からスタッフがろうそくを立てたケーキをいくつか持って来て、それでみんなでハッピーバースデーの歌を歌うのよ。歌うというよりはがなり立てるって感じだったかな。
 仕方ないから私たちもお話するのも景色を楽しむのもやめて、そちらに目を移しておざなりに手拍子をしていたのだけれど、その頃から次第にアワノが無口になり始めて、明らかに気分を損ない苦々しい顔付きになっていたわ。
 しかも酔っ払った団体さんの中の数人が私たちにちょっかいを出し始めて、高校生カップルだと分かると、急に色めき立って、いろいろと下品な質問を仕掛けて来たから、もう最悪な気分。
 せっかくアワノが計画した屋形船クルージングツアーは大失敗に終わり、その後、私たちはそうそうに電車に飛び乗り帰路についたの。
 アワノはずっと黙り込んだままで、時々私にごめんと呟きながらずっと苦い顔をしたままだった。
 地元の駅について、じゃ、私こっちだからって言って、帰ろうとしたら、アワノが突然ポケットから小さな包みを出して私に手渡した。そしてくるりと背中を向けると走るように駆け出して行ったの。
 包みを開けると、銀色のクロスがついたネックレスとhappy birthdayと殴り書きした紙片。
 そうその日、私、誕生日だったんだ。

 家に帰ってからいろいろ考えたわ。本当はアワノは屋形船で食事を終えた頃、綺麗な夜景を見ながらそれを私にプレゼントするつもりだったのかなってね。そういうシチュエーションにはこだわる人だから。でもそれが台無しにされて、気分を害していたんだわって。
 その頃から私は少しずつアワノのことを理解して見直すことも増えて来たのだけれど、一向に二人の仲は進展せず、季節だけが通り過ぎて行ったわ。
 そして、ある時、アワノからなんの前触れもなく、唐突に別れを告げられてしまったの。
 ちょうどカラオケボックスで彼がお得意の『酒とバラの日々』っていう古い映画音楽なのかジャズっぽい曲のワンコーラス目を歌い終えたところで。
『紗雪ちゃん、今日まで俺と付き合ってくれてありがとう。でも、これでおしまいにしよう』て切り出したの。
 それに対して私は『どうして?』って訊ねたわ。
 あまりに突然のことだったし、冗談でもなくいつになく真剣な顔をしてたから。
『ごめん、他に好きな人が出来た』
 彼はそう言ったわ。
 曲の途中でアワノはカラオケボックスを出て行った。私を一人部屋に残して。
 後には『酒とバラの日々』の曲だけが流れていて、私はそれを聴き続けた。
 泣いたりはしなかったけど、何も考えられずにただ呆然としちゃってた。
 もうすぐ春だというのに、心は冬のままだったわね。
 そんな頃だったわね、城山千紗子から連絡が来たのは。演劇サークル『MARS』を起ち上げたことは知ってたけど、文芸部の私に何の用かなと思ったら、既成の戯曲に手を加えてサークル向きに手直しして欲しいとのことだった。
 千紗子とは以前から仲良くしていたの。お互いの名前に同じ『紗』の文字が付くから、何だか親しみが湧いちゃって、それにとにかく彼女は魅力的な人だったから。そのシナリオ作成に関しても素直に引き受けることにしたわ。
 でもまさか、そこでまたアワノと再会するなんて思いもしなかった。


 続く

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