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グッバイ・サマーブリーズ


 今はもう昔のことだけど、この場所にとても栄えた町があってね。
 ドライブで訪れたサービスエリアでひと息ついていたら祖母はそんな風に口を開いた。
 抹茶ジェラートの風味を味わいながら、わたしはぼんやりとそのお話を聞くともなしに聴いていた。
 祖母は冷たいものが苦手だと言って、この暑いさなか、温かいミルクティーを両手で包んでテーブルに肘をついた。

 それは何かの思い違いじゃないかい? こんな広い砂漠のようなところに栄えた町があったなんて、とても想像出来ないよ。
 父の意見も尤もだった。ここはサリクスからナルバに向かう中間辺りで遥か南に世界最大の湖『カーラ湖』があるばかり。
 ハイウェイは広大な砂漠や荒地の真ん中を縫うように伸びていて、このサービスエリアが見えた時にはオアシスを発見したような心持ちになった。
 こんな場所は初めてだ。渇いた風は砂塵混じりで、とても快適な空間とは言い難い。
 それでも祖母は、そうね、あなた達のような若い人には想像も出来ないでしょうね、と穏やかな微笑を浮かべて、まるで御伽噺でも語るかのような口調で話を続けた。


 それはね、もう半世紀以上も昔のことになるけど、家の近くに若い夫婦が越して来て、ちょうど二人はアタシと同じくらいの年頃だったから、直ぐに打ち解けて親しくなったの。
 ジョージは鼻が高くてとてもハンサム、メアリーはブルーの瞳をしていて髪はブロンド、まるでモデルさんみたいだったのよ。二人はよく、ふるさとの話を聞かせてくれたわ。

 祖母は昔を懐かしむみたいに遠い目をしてゆっくりと言葉を紡いだ。祖母の声は多少嗄れて、所々間違った発音をする時もあったが、わたしにはヒーリング効果とでも言うか、何故か心を落ち着かせてくれる、そんな響きがあった。
 父は、またいつもの思い出話が始まったなと、腕を伸ばし、大きく伸びをした。まだこの先も長い運転があるから、ほんの少し居眠りでもしたいらしく、キャップを目深に被り直した。

 二人は近くの電子工場に勤めていてね、女学校帰りのアタシと同じ時間になることが多くて、よく夕食を共にしたわ。
 あれは、そうね、二人がこちらに引っ越して来てから二年くらい経った頃かしら。彼らの母国で戦争が始まったの。

 戦争?
 わたしは意外な言葉に思わず聞き返した。わたし達の世代には戦争なんて言葉は既に死語だ。一応歴史の授業で習ったことはあるのだが、そんなもの、とても現実的には考えられなかった。
 何しろそれは大勢が敵味方に分かれて殺し合うのだ、仮想現実ヴァーチャルリアリティゲームやムービーならともかく、まさか、本当に人と人が殺し合うなんてね。
 それでも過去の歴史にそんな事実が記載されているのを見て、わたしはその当時の人間はなんて愚かだったのだろうと思ったものだ。
 それがまさか祖母の思い出語りで聞かされるとは。

 ジョージもメアリーも母国に家族がいたから、毎日、新聞やニュースを釘付けで見ていたわ。もうその頃にはネットの情報など信用出来るものは殆どなかったから。
 アタシもそんな二人を見ていて心を痛めたわ。でも、慰める言葉も何も無くて、とても辛かった。ただいつも傍に居て一生懸命、勇気付けたりしたのだけれど。
 母国への通信手段が全て封鎖されて、行くことも戻ることも出来なくなって、ただひたすら、公式に伝わって来るニュースを待つだけ、そんな毎日だったのよ。

 ふ〜ん、とわたしは相槌を打った。知らない人の知らない出来事なんて、そんな程度にしか受け取められない。
 スカイプとかホログラムとか、使えなかったのかな?
 祖母は笑って首を横に振った。
 どんな時代だったのだろう。想像もつかない。

 伝わって来る情報は酷いものばかりでね、都市部は爆撃を受けて壊滅状態、直ぐに地上戦が始まって、民間人にもたくさん死者が出たらしいの。とても信じられない事だけど。それで多くの都市や町が次々と制圧されて、連日、死者の数が報道で流れて、もうそれは、驚きの数字で、毎日ビックリしてた。それが長く続いて、次第に感覚が麻痺してしまう位だったのよ。

 "セイアツ"という言葉の意味が今ひとつよく呑み込めなかった。そして、感覚が麻痺するって何だろう。わたしは抹茶ジェラートを口にいっぱい含んで、その冷たさにカラダをキュルンと震わせた。
 
 多くの避難民が食糧も水も無い状態で各地を彷徨い歩いてるって話を聞いたから、いよいよジョージとメアリーは、居ても立っても居られなくなって、お互いの家族を探しに向かったのよ。国境を超えられるかどうかも分からなかったけど、そうする以外に手立てが無くて。

 国境、そうか、昔は今みたいに簡単に国と国を行き来する事が出来なかったんだ。確か、わたしが生まれる頃まではパスポートが必要だったと聞いてる。


 結局、そのまま、二人ともそれきりになったの。

 え、それきり? 
 それきりって、それからずっと会えないままなの?
 そうよ。
 何の連絡も無く?
 ええ。
 その後どうなったのかも、分からないままで?
 祖母は黙って頷いた。
 だって、おばあちゃんの大切なお友達なんでしょ?
 ええ、そうよ。大切なお友達。
 なんで?
 なんで?なんで?なんで?
 わたしの中に"なんで?“がいっぱい広がった。


 あなたも知ってるだろうけど、第三次世界大戦は悪魔の仕業で、人も町も一瞬にして消えたのよ。ここら辺りがその中心地ね。
 アタシらがいた場所から、遠くの山の稜線が赤く見えてね。とても綺麗だった。でもそれが世界の終末の明かりだったわけね。ジョージとメアリーはこの町に向かって歩いていたのよ。
 でもね、戦争は人間がしたことなのよ。悪魔の仕業だなんて言ったけど、人間が悪魔だったってことね。

 そんな、でも……、
 どうしてそんなことが起こるの?

 初めは些細なイザコザなのよ。ほら、人と人との間でもあるでしょ。ほんのちょっとした思い違いやすれ違い。ボタンのかけちがいとか……、お互いの事を思いやって、ちゃんと話し合えたら、そんな風にはならないはずなのに……、そうね、それは夏の雲みたいなものよ。

 夏の雲?

 そう、初めは小さかったものが、知らない間に大きくなって、何だか雲行きが怪しいなって思った時にはもう、むくむくと空にいっぱい入道雲が広がっているの。あたりが暗くなったと思ったら、突然、激しい雨が降って来るのよ。

 祖母は温かいミルクティーを飲みながら、そんな昔話をした。昔話? いや、本当に昔話なのだろうか?
 わたしは思わず周囲の景色に目をやる。
 砂漠が広がるばかりではない。赤土の荒野が有ったり、巨大な岩山がいくつも並ぶ、遠くには緩やかに連なる山脈。
 わたしの住む都会がそんなに遠い訳では無い。

 またひとつわたしの周りを砂塵まじりの渇いた風が通り過ぎて行った。
 この風はまるで昔から吹いて来るみたいだ。
 祖母は今でもまだジョージとメアリーの面影を追い続けているのだろうか? 
 それとも移り行く歳月の中で、そっと別れを告げたのだろうか?
 それは世代を超えたわたしには知りようがない。
 でも夏の雲を見上げ、風が頬を撫でたら、祖母の想いをほんの少しでも汲んであげたい。
 難しいことかも知れないけど、みんなが幸せに暮らせる日々が続けばいいなと思う。

 おばあちゃん、その町の名前は何て言ったの?
 さあねぇ、随分昔のことだから、忘れちゃったわ。あんた、知らないかい?
 祖母は半分うつらうつらと舟を漕いでいた父に助けを求めた。
 ええ? 全然、つゆほどもワカラナイな。
 ああ、やっぱり。


 さ、そろそろ出発しましょ、お父さん、疲れたのなら、オート運転にしちゃえば良いじゃない。
 だめだよ。いつも会社ではオートなんだから。休みの日くらい自分で運転させてくれよ。
 そう、分かったわ。安全に楽しんでね。それから、明日のパンを買って帰るのを忘れないでね。
 オッケー、大丈夫さ。
 さ、行きましょ、おばあちゃん。
 はいはい、良いわね、今日は穏やかな一日で。
 わたし達は朗らかに微笑みあった。


 完

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