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ハートにブラウンシュガー12


「オレが悪かった」
ファミリーレストランのテーブルに座ると、クマこと茶倉満男はそう言って頭を下げた。
「何でオマエが謝るんだよ」
 佐藤三郎ことサブが不思議な顔でクマを見た。
 ヴォーカルの田中ティナも未だ呆然とした顔で、二人の方へ顔を向けた。
「何が言いたいの?」
 ちなみにもう一人のメンバーレイこと真柴玲は音楽プロデューサーのKに話があると引き止められてまだAレコード本社に居残ったままだ。
 ブラウンシュガーの面々はAレコードから契約を見送ると宣言されたばかりであった。しかしヴォーカルのティナ個人と契約を取り交わしたいとの要請があった。
 Aレコード社の松尾シニアディレクターはこの件について、回答をするにあたってバンドメンバーで話し合いを持つ猶予を彼らに与えた。
「いや、俺はこうなる可能性があると、そんな予感はしてたんだ。なのに、昨夜の話し合いのとき、この件を取りあげることを故意に避けてた」
「どうしてだよ」
 サブが怪訝な顔をする。
「怖かったんだよ。そうなればバンドは分解されてしまう訳だろ? だからそれを考えたくなかったんだ。つまり、自分勝手な気弱さで事前対策をみんなに提示出来なかった」
「そんなこと気にしないでよ。わたしはAレコードのやり方には腹が立つ」
「何怒ってるんだよ。ティナは契約を提示されたんだぞ。素直に喜べよ」 
 サブの言葉にティナは食ってかかる。
「だってバンドとしてオーディションに出てたのよ。なのにバンドとは契約しないのにメンバーひとりとだけ契約したいだなんて、それは引き抜きじゃない。やり方が卑怯よ。大体わたしはあの松尾なんて奴は最初からどうにも気が食わなかった!」
 クマとサブは瞬間黙り込んだ。ティナの言い分は重々分かっている。しかし、
「いいかティナ、冷静になれ。お前はプロデビューのチャンスを掴んだんだぞ。これは以前、須藤から誘われたのとは大違いだ」
 須藤というのは当時出入りしていたライブハウスのオーナーだ。セミプロとして各地の観光ホテルのラウンジなどで演奏をしている。かつてティナは須藤にプロのシンガーにならないかと誘いを受けてそれを断っている。
「そうだ、そうだよティナ、こんなチャンス、そうそう来ないぜ」
 サブはまるで今初めてことの成り行きを理解したように身を乗り出してティナに言う。
「何? 二人ともバンドがどうなってもいいって言うの?」
「いや、そんなことぁ……」
「ティナ、そのことはお前は考えなくても良いから、自分のことだけ考えろ」
「そんなこと、出来るわけないわよ!」
 あくまでティナは感情的な態度を崩さない。
 クマとサブは顔を見合わせた。
 一呼吸おいてクマが諭すように切り出す。
「オレたちはまたライブハウスで楽しくやるよ。ギターやヴォーカルをやりたいやつなんて掃いて捨てるほどいる。メンバーには困らない。心配するな。まあもちろんバンドのレベルは落ちるだろうが、そんなことは気にするな」
「どうしてそんなことを言うの? わたしはこのバンドが好きなのよ。ブラウンシュガーのティナでやりたいのよ。知ってるでしょ」
「ティナ、そう言ってくれるのは、正直、本当に嬉しいよ。本来なら俺たちも今のメンバーで一緒にやれるのが一番最高だと思う。けどな、俺は思う。お前とレイはいつまでもライブハウスで遊んでるような人間じゃない。もっと大きなステージに立つべきなんだ。そろそろ本気でそのことを考えても良いんじゃないか?」
 ティナは口を尖らせて、だってと言ったきり黙った。
「そういや、レイはどうしてるんだ。遅いな。Kの話って何だろ?」
「さあ、それは分からないな。Aレコードとしては契約の話をレイには出さなかったからな」
 それから暫くしてからレイもファミレスに到着し、三人と合流した。
「待たせてすみません」
 レイはまずそう言って頭を下げた。若干頬が青褪めて見える。
「おい、何だった? Kの話って」
「いや……、」レイはそう言ったきり、少し言葉につまる。ドリンクバーから取って来たメロンソーダをストローでひと口啜った。
「ギター演奏についてのアドバイスですよ。あと作曲のことなんかについて」
「そうか、それでどんなことを?」
「ああ、どうにも俺の気分屋なところを見抜かれちまってたみたいで」
「気分屋? そうかな?」サブが首を傾げる。
「乗って来るととんでもなく良い演奏するが、気の乗らない時の演奏はまるでダメらしい。プロを目指してるんならその癖を治せ、と」レイは自嘲気味に肩を竦める。
「ったくKの言いそうなことだね。奴には人間らしさというものが全く感じられねえよ。機械みたいな顔しやがって」
「いや、Kの言うことは、いつも尤もだよ」クマはそう言う。「それから? 作曲についても何かアドバイスでもあったのか?」
「あ、いや、作曲に関してはアドバイスとかじゃなくて、いろんな音楽を聴いて継続して行け、とだけ」
「そうだな」クマは頷いた。
「で、こちらの話し合いはどんな感じ?」
「ティナの話か?」
 レイはこくんと頷く。
「レイはどう思う?」
「さあ、それはティナの決めることだし……」
「何だ。やけに突き放すような言い方だな」
 クマはこれまでの三人で話し合ってた内容をレイに説明した。
 黙ってそれを聞いていたレイは、
「そうだな。俺も同じ意見だ。ティナはプロのシンガーを目指した方がいい」
「そんな! ブラウンシュガーを離れてもいいと思ってるの?」
 ティナは信じられないというような目をしてレイを睨む。
「それが運命だと思う」
「そんな……」
 四人は黙り込んでしまった。ティナの気持ちもわからない訳でもない。
 やがて今夜の結論としてクマが話す。
「まあゆっくり考えろ。俺たちは曲がり角に来ている。どちらの道を選ぶかは本人次第だ。俺は自分が決めたことなら、とやかく言わない。だけど、後悔だけは絶対するな。それと、最後の新人コンサートのステージがあと一回残ってる。だからそれだけはきっちり演奏しよう。俺たちにも意地がある」
 そうやってその日は別れた。

 翌日、レイのアパートにティナが顔を出した。
 レイはティナのためにお得意の手製パスタを作った。パスタの麺を茹で、フライパンにオリーブオイルとニンニクを入れ弱火で香りが立つのを待つ、ふつふつし始めたら火を止めて鷹の爪を入れ、ナス、タマネギ、小エビを入れて塩を振り軽く炒める。
 一方で冷蔵庫からレタスを取り出し葉を刻んで小皿に敷く、グレープフルーツを切り揃えミニトマトなども加える。ツナなんかもいいかなと添えてみる。それにレモンとマスタードを合わせたドレッシングをかけ、ミニサラダを用意した。
「なかなか手慣れてるのね」
 驚いたようにティナが言う。
「一人暮らしが長いからな」言い訳するようにレイは応える。
「ワインもあるぜ」とグラスを取り出す。
「じゃ、いただくわ」
 ちょっとしたディナーの始まりだ。
 二人はワイングラスを傾け、小さく乾杯した。
 そしてパスタに手を伸ばす。
「美味しい〜!!」
 ティナは子供のように叫んだ。
 そんな様子をほっとした表情で見ながら、
「さて、どうするんだ?」と、パスタを頬張り、レイは問い掛けた。
「何が?」
「決まってるだろ、今後のことだよ」
 ワインを一口味わって、ティナが逆に質問する。
「昨日のKとの話だけど、本当にあれだけ?」
「あ、なんで?」
「あんなことだけなら、わざわざ引き止めなくても普通にみんなの前でも言えるでしょ。だから、他にも何かみんなには話せない何かがあったんじゃないかって、そんな気がしたのよ」
 レイは改めてティナを見る。
「やけに鋭いな」
「やっぱり何かあるのね」
「う〜ん、それは、まだ誰にも話してないし、どうするか俺自身もまだ迷ってて」
「何なの?」
「うん、実はな、Kの知り合いのバンドがギターを募集してるんだって、それを紹介された」
「そうなの。それはプロのバンド?」
「ああ、そうらしい」
「なるほど、そういうことか」

「LAに行ってみないか?」
 レイはその時のKの言葉がまだ頭の中に響いていた。
 LA? レイにはそれが直ぐにロサンゼルスのことだとは気が付かなかった。
 LAのバンド、『Orange Company』と言ってアメリカで活動してるバンドだ。若いが実力もあり本格的なロックをやってる。そこがサポートメンバーとしてのギタリストを探している。
 その話がこちらに来たので、一人候補者がいるとだけ伝えておいた。
 もちろんオーディションした上で決まることだが、その気があるなら紹介する。
 Kがレイに伝えた話はそれがメインだった。

 ティナは絶句した。しかし、その目はキラキラと輝いてる。
「絶対、行くべきよ。躊躇う必要なんか、何も無いじゃない」
「もしオーディションに受かったら最低でも三年は向こうにいることになる」
「三年くらい何よ。あっと言う間じゃない」
「落ちたらすぐ帰って来ることになる」
「それは許さない」
 レイは苦笑した。
「じゃ、ひとつ条件がある」
「何よ」
「ティナはAレコードと契約しろ」
 ティナはゴクリ息を呑み固まる。
 それから暫く、たっぷりと五分ほどの時間をかけてゆっくりと宣言した。
「分かった。そうする」
 レイの顔に笑顔が溢れた。ティナもそれを見て釣られて微笑んで見せた。まるで泣いてるようだったけれど。

「本当のことを言うと去年の秋頃から、俺はティナに嫉妬してたんだ」
 夕食の後片付けをしながらレイはそう呟いた。
「え? 何で?」
「ずっと演奏しながら思ってたんだ。ティナには実力がある。それに比べて俺はどうなんだっていつも気がかりだった」
「考え過ぎよ。わたしだってレイのギターに随分助けられたわ」
「Kを見てたら分かるよ。あいつは本当にプロのミュージシャンだ。俺には随分欠けているものがあると痛感させられたよ」
「う〜ん、確かにキャリアの差はあるから、仕方ないよね」
「いや、だけど、俺はずっとティナに差をつけられてると実感してたんだ」
「……そうなの?」
「確かに俺はティナのためにギターを弾きたい。それは今でも多分この先もそう思ってる。だけど、今のままじゃダメなんだ。俺はこのままだと劣等感の塊になってしまう」
 レイはこれまで言えなかった胸の奥に抱えていた本音をやっと口にすることが出来た。
 ほんの少しの静寂が二人の間に流れた。
 後片付けを終えて、ティナは再びリビングに戻って、腰を下ろした。レイの言葉を何度も頭の中で反芻した。レイの言うことも尤もだと思う。これがもし逆の立場だったらと思うと、言葉にならない。   
 そして、
「苦しんでたんだね」
 ひとりごとのようにポツリとそう言った。
「いや、ティナが気遣う必要はないよ。俺だっていつか、いやその内、ティナのヴォーカルに引けを取らないギタリストになってやるさ。それからイカす曲をいっぱい作ってやるから、待ってろよ」
 その瞬間、ティナはレイに抱きついた。そして幾分涙声になって囁いた。
「言われなくても待ってるわよ」


 その日、二人は朝まで抱き合って過ごした。
 こんなに相手を愛しく思いながら抱き合えたのは、久しぶりのことのように思えた。もしかしたら『月の泪』という曲を書いたとき以来のことかも知れない。
 夜が明けて朝の光が窓辺から差し込んで来たとき、レイは先に目を覚ました。傍ではティナがまだ眠っていて、かすかな寝息が聴こえる。頬にひと筋、涙の跡がついていた。
 その柔らかな頬に優しくキスをした。
 新しい夜明けは二人の道を照らすかのように、世界の隅々までキラキラと輝いていた。


つづく

次回、最終回の予定です。

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