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ハートにブラウンシュガー 11


 その日、ブラウンシュガーの面々は都内にあるAレコード所有のスタジオを借りて最後のオリジナル曲の録音をしていた。
 プロデューサーの松尾から課せられていたオリジナル曲春の分十曲(秋の十曲を足すと計二十曲)もこれで無事完了だった。
 一方、春の新人コンサートツアーも今週末が最終日となり、昨年の秋から始まったこのライブツアーもいよいよ終わりを迎えていた。

「さて、今のテイクでOKということなら、少しみんなで話しておきたいんだが、いいか?」
 リーダーのクマこと茶倉満男はドラムのスティックを置いてメンバーにそう話しかけた。
 録音と言ってもちゃんとした機材を使ってレコーディングしてる訳ではなく、何度か演奏したものをスマホで録画してその中からベストなものを切り取って動画として担当者に送信するだけだ。あくまで曲の雰囲気だけ聴かせるデモテープの役割りなのだった。
「明日の件かな?」サブことベースの佐藤三郎がクマに問う。
「そうだ。ちょっとみんなこちらに集まってくれ」
 クマは休憩用に置かれたイスとテーブルセットの方に向かう。テーブルにはメンバーそれぞれが持ち込んだペットボトルのドリンク類が並んでいる。クマとサブはそれぞれの位置に席を取り自らのドリンクに手を伸ばす。
 ヴォーカルの田中ティナがタオルで首回りの汗を拭きながら、クマと対面する側のイスを引き寄せ腰を下ろす。そしてミネラルウォーターで喉を潤おした。
 もうひとりのメンバー、ギターの真柴レイは丁寧にアンプの電源を落とし、シールドを抜き取るといくつか並んだエフェクター類をケースにしまい、次いで愛用のエレキギターをハードケースに仕舞いきっちりと蓋をする。もちろん保管する前に専用の柔らかい布を使って楽器に付着した汗や汚れなどを綺麗に拭き取っていた。
 トレードマークになっているレザージャケットにサングラス、いかにもロックミュージシャン風な姿の大柄なレイが席に着いたところでクマが徐に話を切り出した。
「さっき言ったように明日、松尾から今後の契約についての話を聞く」
 松尾というのはAレコードのシニアディレクターだ。ブラウンシュガーとしてはメジャーデビューを目指して昨年秋から続いた新人コンサートライブツアーを約半年かけて続けて来た。松尾から言い渡されたオリジナル曲作りのノルマを達成し、後は社の判断を待つだけの身となった。
「いよいよ来たねぇ」
いつも陽気に振る舞うサブも口調とは裏腹にやや緊張気味な響きをその声に浮かばせている、
「後は運を天に任せるだけよ」
ティナは強がりのようないつもの口調を崩さず、そう言い放つ。けれど彼女にしたってこの大きな岐路に差し掛かって胸中にはいくつかの不安を過らせていた。
「もう結果は多分決まってるのだから、今日録音したこの曲を送る必要あるかな?」
レイはこの日の演奏に殆ど身が入らなかった。もうすでに明日松尾から話を聞かされることが決まったと知らされ集中出来なかったのだ。
「まあ、それは分からんが、とにかく春に十曲作るノルマを課せられていたんだから、その約束は果たしておかないとな。今日のこの曲によって向こうの判断が変更になるとは思えんが、これもれっきとした俺たちのレパートリーだ。決して無駄にはならんよ」クマの言葉に皆は頷く。
 今回ブラウンシュガーとして提出したオリジナル曲は、クマとクマの妻で元メンバーの涼子の二人が作った二曲・『No thank you!』と『I remember me』、それからサブが創った『湘南ラプソディー』に『失恋in The Night』、レイによる『Black and Blue』、『Baby Face』、『Psychedelic』、『Last Night』、『SHINJUKブギ』の計九曲は既に送信済みだ。 
 それに今日録音した『DANDELION』を含めて十曲ということだ。
 こうしてみると作り手によって曲の雰囲気はそれぞれ違う。クマの妻涼子はポップな感覚で歌詞もメロディも明るく耳に心地良く響く。湘南で生まれ育ったサブはもろに湘南サウンドが前面に立つ。サザンだとかビーチボーイズ風の爽やかでちょっと切ない歌詞とメロディだ。それに対しレイの曲は正統的なロックの路線を突き進む。激しいメロディに突き刺さる歌詞、それでいてたまに優しく包み込むセンス。それはこの半年間でかなり鍛えられた要素だ。
 ティナのヴォーカルはどの曲を歌ってもティナの世界に落とし込める。ハードな曲からソフトなバラードまで声質、歌い方までその曲にピタリと嵌まり込む。
 そして今日録音した『DANDELION』は珍しくというより初の試みとして、四人でアイデアを持ち寄り一曲にまとめた。レイが気の利いたギターリフをいくつか聴かせ、それを元にクマがテンポとリズムを作る。サブがベースラインとコード進行を作り出す。ティナがそれにアドリブでヴォーカルを被せる。それをなん度も繰り返し、ようやく仕上げた。共作ともなると案外それぞれの拘りや主張が反映されて面白い。柔らかな口調ながら、絶対譲らない部分を持つクマ。何度も執拗に自分の世界に引きずり込もうと苦心するサブ。マイペースに独特のフレーズを声にするティナ。どんな要望にもアイデアを加えてフレーズを奏でるレイ。サビの部分で思い切って転調してみるアイデアはレイによるものだ。これがかなり斬新にこの曲を引き立てた。タイトルはたまたまサブが外から持ち込んだ草花の名を採用した。タイトルの読み方はポルトガル語風に『ダンデリオン』と読む。ただもちろんこれらは全て仮のタイトルであり、アレンジも正式な音源とするなら専門のアレンジャーに任せなければならない。
 さて、話は元に戻るが、四人にとっては明日の松尾からの今後の契約に関する話がとても気掛かりな状態。デビュー契約に持ち込めるのか、見送りとされるのか、聞いてみるまで判らない。
 だが、どんな流れの話になっても、それに対してどういう態度で接するか、クマはリーダーとして、メンバーの気持ちを把握した上で意思を統一させておこうと考えたのだ。
「まず、メジャー契約となった場合だが……」
「それなら最高じゃん、相手は大手だぜ。何も考えることもない」
「バカか、サブ、よく考えろ、いいか、そうなりゃ、オレとオマエはもう家業を継げなくなるぞ。その覚悟はあるか?」
「ウチはアニキがいるから、問題ない。そうか、クマんところは、そういう訳にはいかないのか」
「それに第一、レイとティナならともかく、オレやオマエがプロのミュージシャンとしてやっていけるか? それほど甘くはない世界なんだよ」
「そうかな。バンドなんだからいいんじゃねえか?」
「いいよなオマエはいつもお気楽で、いいか、プロになったらライヴハウスで楽しんでたような訳にはいかないんだ」
「う〜、でもよ、オレ達だってこのコンサートツアーでだいぶ力をつけて来たんじゃないか、これだったらやれるみたいにオレは思ったぜ」
「まあまあ、そんなことは決まってから考えりゃいいじゃん。どうせ決めるのは向こうなんだし」見かねてティナが呆れたように口を挟んだ。
「まあ、それもそうだな。それじゃ、今度は契約しないと言われた時だ」
 全員が一斉に口を閉ざした。それこそが一番可能性の高い結果だ。
「そ、その場合は仕方ないよ。またみんなで楽しくライヴハウスで演奏すればいい」
口を尖らせてサブは言う。
「レイやティナはどう思う」
「あたしはどっちでもいいや。ダメならダメでまたどっかでやればいいだけよ。仕方ないじゃない」
 ティナはサッパリとしている。
「レイも同じか?」
 一呼吸置いて慎重にレイは言葉を繋ぐ。
「決まったことには従うしかないから」
 黙ってクマは頷いた。
「それだけ聞いたら安心だ。オレ達はやれるだけのことは精一杯やったよ。どういう結果にしろこの半年間でバンドのレベルは上がった。それは間違いない。二十曲もオリジナルが出来たんだ。それだけでもスゴイじゃないか」
 クマは胸を張った。サブも目を細めて口角を上げた。

 そして翌る日、Aレコード本社の会議室でブラウンシュガーの四人とシニアディレクターの松尾は大きなテーブルを隔てて向かい合って対面した。他には秘書の女性一名と音楽プロデューサーのKも同席していた。
 先ず最初に松尾は新人コンサートツアーの取り組みに関して労いの言葉を述べ、その感謝の意を表した。
「つきましては、新人コンサートツアーの為の仮契約は今週末のラストステージを持って終了となります。よろしいですか?」
 松尾は舐めるような目付きで四人の顔をじっとりと見て回る。その表情は笑顔を浮かべているが、眼鏡の奥の瞳は冷たく澱んでいるように見えた。
 四人は黙って頷くしかない。
「それで……」
 思わずサブはその先を促すように小さく声を一言漏らした。
 松尾は勿体付けるように一呼吸置いて頷くと隣に座った秘書から一枚の書類を受け取る。
 そして徐にこう話し出した。
「さて、結論から申し上げますと、当社としましては、『ブラウンシュガー』さんとの今後の契約は、残念ながら見送らさせて頂くとの決定を致しました」
 その言葉は鋭い矢となって四人の胸を貫いて奥深くへ刺さった。
 うっ、ある程度の予想はしていたもののクマの口から無念の苦しみめいた喘ぎの声が漏れた。クマの隣りで明らかにサブが脱力するのが分かった。ティナは静かに目を閉じた。レイはテーブルの下で強く右手の拳を握りしめた。
 時計の針の音だけが妙に大きく響くその部屋でブラウンシュガーの四人は全員等しくやや俯き加減に窓から射し込む春の陽光に照らされている無機質なテーブルの表面を見詰めた。
「送信したオリジナル曲はちゃんと聴いて頂けたのですか?」
レイはそう訊ねた。
「ああ、あれですね。秋の分もこの春頂いた分もじっくり聴かせて頂きましたよ。そうそう昨日送って頂いた曲もね」
 松尾は手元に置いた手帳のようなものを開いてチラリと何か確認した。
「いかがでしたか?」
「いや、良かったです。素晴らしいですね。半分くらいは充分に使えるレベルでした」
「半分……?」
 瞬間、レイは体中の血が沸騰し逆流するのを感じた。あまりにも安っぽい褒め言葉にカチンと来た。
「Kさんからも意見を伺いました。非常に良いものがあるとのことです」
 Kは黙って頷く。
「…….だったら」
「いやいや、物事はそう簡単に進んではいけないんですよ」
「ダメだということ、ですか?」
「いや、そうとも言い切れませんね」
 松尾の言い方はのらりくらりしていて、レイの繰り出すストレートな質問を軽く躱して行く。
「じゃ、どうしたら」
「あの曲に関してはあなた方に著作権がありますから、私どもが無断で使用することはありません。それはお約束します。ご心配される必要はありません。あなた方でご自由に演奏なさってください。今後、もし、その中の楽曲を私どもで使用させて頂きたいとなりましたら、改めてこちらからご連絡させて頂きますので、それまでお待ちください。あくまでそうなれば、という仮定の話ですが」
 今度は逆にすーっと顔面から血の気が引いて行く。クマがチラリとレイに目をやり、激しそうになる感情を制する。
「今は、必要ない……、ということですか?」
「真柴さん、焦ることはありません。さっきも言いましたがほんとに素晴らしい曲の数々だったと思います。でも今直ぐにどうかと言われるとね、もう少し時間を頂かないと判断出来ない部分も有ります。タイミング等も必要ですからね。分かって頂けますか? 時期をお待ちください」
 松尾はもうこの話はこれで終わりとばかりに、手元に置いていた手帳のようなものをパタリと閉じた。
 レイは込み上げる怒りを抑えるようにムッとして口をつぐんだ。

「それと今回、お越し願いましたのは、是非ご検討して頂きたい提案事項が御座いましたからです」
 松尾はあくまで平坦な口調でそう続ける。右手の指でそっと眼鏡の端を触りその位置を修正すると、「もし可能でありましたなら、当方では田中ティナさん個人とソロアーティストとしての契約を取り交わしたいと希望しています」と告げた。
 ハッとして全員が顔を上げて松尾に目をやる。
「どうですか? 田中さん」
 松尾は柔らかな口調でティナにそう話しかけた。
 えっ、ティナは口を押さえて絶句している。
「ソロ! ソロアーティスト?」
耐えきれずサブはそう叫んだ。
「待ってください。ティナはうちのヴォーカルだ。それを、それを、引き抜く、というお話ですか?」
狼狽気味にクマは激しく質問した。
「そういうことになりますね」
松尾はとてもはっきりとした発音で、尚且つ冷静に返答した。
 反射的にクマはKを見た。彼は何も言わない。身動きすることなく静謐な姿勢を保っている。
 松尾は何もかもを見透かしたような表情で、あくまで事務的に話を進める。
「それに関しましては今すぐここでご返事を頂かなくても結構です。皆さんでゆっくり話し合ってご検討ください。その上で近日中にご回答頂ければと思います。もちろん当社としましては田中ティナさんのご意向を尊重させて頂くつもりです」
そしてティナに一枚の用紙を手渡した。
 それには契約への案内が綴られ、Aレコード社の事業内容、基本方針、契約取り交わしに際しての必要な書類等の内訳が記載されていた。
 明らかにティナは言葉を失い、ただひたすらに戸惑うばかりだった。
「あと、質問が無ければ今日のところはこれで……、ああ、それから今週末の新人コンサートツアーへの出演を我々としては願っております。ラストになりますのでね。出来ましたらよろしくお願いしたいと思います。もちろん出演料も今まで通り後日送金させて頂きますので、よろしいですか? ではそういうことで」
 そう言ってにこやかに松尾は立ち上がった。
 呆然としていた四人は秘書に導かれ、『本日はお疲れ様でした』の声と共に会議室を出て行くことになった。四人とも考えはまとまらず足元は覚束ない。
 会議室の外の廊下はひっそりとしていて、灰色にくぐもって見えた。
 その時、背後から、レイを呼ぶ声がした。
 振り向くと音楽プロデューサーのKがドアのところでドアノブに手をかけた状態でこちらを見ている。
「真柴さん、少し居残って貰ってもいいですか? ちょっと話がしたいので」
 Kはそう言った。
「あ? オレですか? ええ、まあ」とレイは曖昧に応え回りに目をやる。
「先に行ってる。いつものファミレスで会おう」
 クマはそう言った。


つづく

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