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七年後、ソノコふたたび…… 前編



 丘の中腹にある小さな駅、そこから坂道を登って行くと白い校舎がある。あたりを広大な森に囲まれた城壁の中に三つの棟があり、一番高い棟の西端に鐘楼がある。校舎の南側に沿ってそれぞれテニスコートやグラウンド、体育館などが併設されている。『私立白樺女子学園』その高等部に丘 絵里おか えりは勤務している。
 縁あって母校に就職出来て三年目を迎えた。現在は新米の国語教師だ。それまでは図書館で司書の仕事をしていた。
 在学中は演劇部に所属していたが、現在は文芸部の顧問をしている。部員は十名にも満たないが、少数ながらも精鋭なる生徒達が所属している。
 部活動の一環として毎年春と秋に季刊誌を発行している。春は『春光』、秋は『秋麗』というタイトルの小冊子だ。小説、詩、俳句、随筆など部員達による創作物が誌面に並ぶ。昨年は絵里の書いた随筆なども『秋麗』に掲載された。
 今年はまもなく『春光』の発行があるので、今はその作品選考と誌面の編集作業を同時進行させていて、何かと忙しい。

 絵里がその生徒を見掛けたのは、新年度が始まって数週間経った午後のことだった。
 体育館から渡り廊下を通り第二校舎の階段を上ろうとしたところ、上から降りて来た何人かの新一年生達とすれ違った。絵里とすれ違う瞬間、生徒達はそれぞれ挨拶をして軽く会釈する。まだ真新しい制服の紺色が映えて初々しい生徒達、その黒髪からはまだ少女の幼さが香り立つ。毎年味わうこの瞬間が絵里は好きだった。彼女達から漂う女子校独特のかぐわしい香り、桜の季節も相まって、新鮮な空気感に胸がときめいてしまう。
 そんな中、やや遅れてすれ違った一人の生徒がいた。挨拶をして会釈する、その刹那、絵里は身体を硬直させて我が目を疑ってしまった。

 園子……?

 一瞬にして記憶が甦る。俯いた時に髪を耳にかける仕草、か細い腕、白い指先、柔らかな前髪、その下から臨く涼しげな瞳、鼻筋、唇の形、身体つき、その生徒は園子そのものに見えた。
 階段の途中で身を凍らせて振り返る絵里、集団に遅れまいと幾分駆け足で渡り廊下へと遠去かる後ろ姿、まさに生き写しとしか思えない。あまりの衝撃に声も出せない。こんなことって、あるのだろうか……。

 早速、絵里は学園内で管理する生徒の身元情報をPCで調査した。最近は個人情報保護の問題があるので、教師であってもその閲覧手続きはややこしい。毎年変わるエンコードや教師の個人ナンバーを入力しないとその画面は見れない。いつ誰が何を閲覧したのか全て記録されるので取り扱いには要注意なのだ。
 さて、暫くして画面に現れた新一年生のページを順番に探って行く。名前が分からないから一人一人ゆっくり吟味して行く。PCの画面に次々と生徒の顔写真やプロフィールが映し出される。ラスト近くでようやくその顔に行き当たった。
 鈴木沙耶香すずきさやかそれが彼女の名前だった。
 鈴木……、そうそれは、園子と同じ姓。
 まさか、もしかしたら親族なのかと、家族構成欄や住所なども確認したが、繋がりは判別出来なかった。
 鈴木という苗字は一般的で世の中にはたくさんの鈴木姓の人がいる。それら全員が親戚であるはずがない。偶然の空似かと絵里は思うしかなかったけれど、気になる存在だ。
 しかも、驚くべきことに彼女は演劇部に所属していた。

 放課後、絵里は理事長室をノックした。室内には病気療養中の祖母に代わり、二年前から理事長職に就いている源財華子げんざい かこがいる。絵里とは高校時代の同級生であり、当時所属していた演劇部の部員と部長の関係だ。
「あら、珍しいわね、まあどうぞ、ゆっくりして」
 大きなデスクから立ち上がって華子は向かい合うソファに手招きした。壁には大きめの絵画が掛かっている。
「文芸部の方はどう? そう言えばそろそろ春の文集が発行される季節よね」
「そう、多分、今月末くらいに」
「去年の秋に出た号であなたの随筆も読ませてもらったわよ。さすがに優れた文才の持ち主だと感心させられたわよ」
「まさか、お世辞なんて言わないでよ」
「本当のことよ。在学中からあなたのシナリオはとても評判が良かったじゃない」
「それは、みんな慰めを言ってくれただけよ」
「そうかしら?」
 絵里も演劇部員の頃、いくつかのシナリオを執筆した。しかし、採用はされなかった。それよりも素晴らしいシナリオを書ける人がいたからだ。
「ところで、華子、あ、ごめんね、理事長先生って呼ばなきゃいけないわね」
「何言ってるの、二人きりの時は華子で良いわよ。あたしも丘先生じゃなくエリって呼ぶから、で、何のご用?」
「あなた知ってる? 一年生にいる鈴木沙耶香って子」
 瞬間、華子の表情が引き締まったのを絵里は見逃さなかった。
「ああ、あの子……」
「まるで園子そのものじゃない」
「驚いた?」
「驚くなんてものじゃないわ、凍り付いたわよ」
「そうね」
 あたしもよ、と華子は呟いた。
「演劇部ですってね」
「そうらしいわ」
「歴史は巡るって言うけど、またあんな子がこの学園で演劇やるなんて、ちょっと、なんか、言葉にならないわ」
 結局、華子も鈴木沙耶香のことについて、それ以上の詳しいことは知っていなかった。もちろん園子との繋がりも。

 文芸部の部室に顔を出してみると、部長の芥川りさと副部長の直木薫子の二人の女生徒が絵里の前に進み出た。
「先生、これ」と言って数枚の原稿を差し出す。
「なあに、これがどうしたの?」
「これ、ミステリー研究会の子が置いてったんですけど、今度の文集に載せて欲しいって言って」
「あら、そうなの、どんな内容かしら」
 絵里はその原稿を手に持ってみた。表紙に題名と著者名が記されている。
『シマフクロウの生態について』ミステリー研究会 星井真実 
 と、書かれている。
「ほしい……、しんじつ?」
「まさか先生、ほしいまみさんですよ」
 二人の生徒は笑った。
「ああ、そうよね、でも、ミス研の星井さんて、以前にも聞いたことがあるわ」
「二年前に真実さんのお姉さんが立ち上げたサークルです。正式には部では無いのですけど、星井さん達は部活って呼んでます」
「へえ、そうなの。で、何? シマフクロウの生態を研究してるの? この子達」
「さあ、よく解りませんけど、一応私も読んでみました。そこの森に住んでるシマフクロウが時々人を襲う習性があるとか、なんとか」
「そう、で、これを『春光』に載せて欲しいってわけ?」
「そうなんです」
「まだページ数に空きはあるの?」
「ええまあ、それは大丈夫ですけど」
「そうなの、じゃ、一応私が預かって内容を確認するわ。載せるかどうかはそれから決めましょう」
「はい、お願いします」
 そんなやり取りがあった。

 その夜、絵里は少しどきどきしながら星井真実が書いた『シマフクロウの生態について』を読んでみた。と言うのは、二年前、源財華子の部屋で見たシマフクロウ、それは華子が幼い時から森に住んでいて、その老いた大鳥は華子に懐いていた。確か、名前は、キリスト教に出て来る天使のような名だった、具体的には思い出せない。絵里はその時、華子がそのシマフクロウを使い、走って来る急行に園子を突き飛ばしたのではないかと、言及したのだった。
 結局、その件に関しては、なんの証拠もないもので、仮にそうだとしてもシマフクロウがやったことに刑事責任は取れない。園子は自殺したものとして処理され、それは今でも変わりはない。要らぬ詮索をして華子を苦しめたかとそれ以後絵里は気に病んでいた。
 それはともかく原稿を読む。綺麗な文字で読みやすい文章で綴られている。最初は一般的なシマフクロウの生態、それを読むといかにシマフクロウが家族思いの愛情溢れる生き物であるかということが分かる。それから日本に置ける分布、それは主に北海道、樹木の多い森や山、湖や河川の近くに生息する。当、白樺女子学園はまさにそんな中に設立されている。だが今や絶滅危惧種の指定も受け、隣接する森の中にどれだけのシマフクロウが生息しているかは現時点で不明である。
 数は不明ではあるが、いくつかの目撃証言はある。ミステリー研究会ではそのうちの何羽かが森を飛翔する姿をカメラで捉えている。原稿にはその画像が添付されていた。
 さて、この論文の主旨とされる所は、そのシマフクロウが人間にどれほどの危害を加えるものなのかということの調査についてであった。基本的にはアイヌ文化ではフクロウ達は村の守り神とされ、実際には人に危害を与えるどころか近寄ることも少ないという。それは猛禽類全般に言えることで、巣を荒らすなどの行為をしない限り彼らが人を襲うことはまずあり得ない。
 だが、何かを故意に躾けられた鳥はどうであろう。
 そこでミステリー研究会ではこの五年間に渡って鳥類か何かの襲撃、または接近を感じた学園生徒を捜し出し、状況などをインタビューしては、その件数や時季と状況を調査していた。
 それによると件数は凡そ十二件、平均すると年間に二回から三回という件数である。そして時季は夏の終わりから秋口にかけて、時刻は夕方から暗くなる頃、場所は学園の周囲で不特定とされる。そのうち、実際に怪我(これは殆どが驚いて転倒したものだが)をした生徒は半数の六名であり、残りの六名については襲われそうになったものの接触することは無く飛び去って行ったと言う。
 それらは野生の猛禽類には考え難い行動である。餌付け等を利用した何かの行為が為されていない限りはあり得ないのではないかと述べている。
 そして絵里が尤も注目したのが、七年前に起こった生徒Sの自殺案件に、この猛禽類の行動が関連していたのではないかという推察だ。その可能性もあくまで否定出来ない一つの検討材料としてミステリー研究会として意見を投げ掛けている。
 さて論文では結論を出していない。この調査結果を出すことにより、注意を促し、さらなる証言者を広く募ってはいるが、安易に森に入ることの危険性を訴え、特に絶滅危惧種に対しての意識を高める取り組みの実施を呼びかけている。

 読み終えて絵里はパタリとその原稿を膝元へ置いた。良い内容だったと思う。個人的には掲載したいと思う。しかし、シマフクロウを故意に躾けて生徒を襲わせている(あくまで仮定の話だが)ことを匂わせたり、それが園子(文中では生徒S)の死亡原因にまで関連があるのではないかとの考察、これらの記載については、一般生徒に与える影響も少なからずあるのではないかと思われ、一応学園の許可を得た上で判断した方が良さそうだ。

 でもその前に一度星井真実に会って話を聞いてみたいなと考えた。
 次の日、早速、ミステリー研究会の部室に赴き星井を訪ねてみた。ドアをノックすると、はーいと元気な声がして、小柄な少女が姿を見せた。
「あなたが星井真実さんね。文芸部の顧問をしてる丘です」絵里は名乗った。星井は幾分緊張した表情でピョコンと頭を下げた。
 ショートの髪型で目がくりっとしている。男の子みたいで可愛らしい。
 星井は「どうぞ」と言って室内のテーブルイスに絵里を案内した。室内にはもう一人、メガネ姿でツインテールの生徒がいた。確か以前にもそんな子がいたような気がする。デジャブかしら。その子は隣の机で一生懸命に何か書き物をしている。
 絵里の前に座りかけた星井はすぐにまた飛び跳ねて、「あ、今すぐお茶を」とあたふたした。落ち着きのない子だ。
「いいのよ、そんなことは、それより、この原稿、読ませて貰ったわよ」
「は、はい……」星井は叱られた仔犬のような顔をして再びイスにチョコンと腰掛けた。
「感心したわ。文章も上手だし、論点もしっかりしてる」
「ありがとうございます」
「いろんな資料が添付されてたけど、これはみんなあなたが調査して集めたの?」
「あ、いえ、わたしと、部員があと二名いますし、当初の資料や写真は姉が集めたものです」
「お姉さんがこのミス研を立ち上げたのよね。一度見かけたことがあるわ。今どうしてるの?」
「は、姉はH大学で、今はS市に住んでいます」
「そう、優秀なのね」
「いや、それは、どうかな?」
 絵里は真実の言い方が可笑しくてちょっと笑った。
「それでね、これを『春光』に載せたいって話、詳しく教えて、何故そう思ったの?」
 明らかに真実は狼狽した。返答はいえ、そのとか、言葉を探してしどろもどろだったが、絵里は気長に待った。
「つ、つまり、研究の成果、いえ成果と言えるほどのものじゃないのですけど、どこかで発表の機会を求めてたんです」
 と、今度は一気に早口でそう捲し立てた。それが本音だと思う。
「そう、でもシマフクロウを誰かが故意に人を襲うように手懐けたとか、七年前の列車事故に言及するのは、少し問題有りね。どうしてそう思ったの?」
「あ、あ、それは、姉の推理でして、あ、でもわたしも同意見でありまして、ミステリー研究会としては、ひとつの推論、それを提示したかったので……」
 星井真実は小柄な身体をますます小さくした。
「この件に関しては一旦保留で、改めて後日返事させて頂くわ、それで良いかしら?」
「あ、もちろんです。よろしくお願いします」
 机に額が密着するほど頭を下げる星井を見て、ふふふと絵里は心の中で笑った。面白い子だ。
「あ、それから、もうひとつ伺ってもいい?」
「はい、なんなりと」
「一番最後にシマフクロウを目撃したのはいつ?」
「あ、それは、わたしではなくて、マキです」
 そう言って、先程から隣の机で一生懸命書き物をしているメガネでツインテールの生徒を指差した。
「マキさん?」
「はい、3Bの伊達です」彼女は椅子をガタガタとさせて背筋をピンと垂直にした。3Bというのは3年B組のことだ。
「見たのはあなた一人?」
「はい、たまたま一人でした。体育館の裏の小径あたりで」
「それは、いつ頃かしら?」
「去年の秋です。多分、9月の終わり頃」
「飛んでいるところを見たの? 写真は?」
「写真は撮れませんでした。一瞬でしたから」
「そう、森の中を飛んでいたの?」
「いえ、あの、あそこから理事長先生のご自宅のバルコニーが見えるんです。そこから森の方へ飛んで行きました」
「あのバルコニーから……」
 そこなら絵里も行ったことがある。華子の部屋に隣接しているバルコニー。
「バルコニーには誰かいたのかしら?」
「多分、理事長先生だと思うのですが、後ろ姿をチラッとだけ……」
 それ以上、特に聞き出せることは無かった。
「そう、分かったわ、ありがとう」
 そう言って絵里はミステリー研究会の部室を後にした。

 その日の放課後、絵里はもう一度理事長室にて、華子と向かい合っていた。
 華子は長い時間をかけてミステリー研究会星井真実の『シマフクロウの生態について』の論文を熟読した。
「エリはどう思う?」
「わたしは別に構わないとは思ってるんだけど、学園側としてはどうかしら、何か問題になりそう?」
「エリが良いと思うんなら私は構わないわ。論文としてもよく出来てると思うし」
「そう、ならいいわ。じゃ掲載するって方向で作業を進めるわよ」
「ねえ、エリ」
「え、なあに?」
「確か、あなたも以前、そんなこと言ってたわよね」
「え? 何だったかしら?」
「私がラファエルに命じて園子の背中を押させたとか、そんなこと」
 そうだ、ラファエル! 華子に懐いているシマフクロウの名前。
「気にしてるの?」
「気にはしてないわ。あなたの方こそどうなの? まだそんなこと思ってるの?」
「思ってなんかないわ。可能性として考えられないことではないけど、何の根拠も無い話だし」
 二年前、あのバルコニーで華子と話をした。それまでにも華子が大きな鳥を肩に乗せているところを見かけたりした。あの場所から駅のホームが見えて、思わずそんなことを口にしてしまった。
 走って来た急行に飛び込み自殺したことになってる園子の本当の死因が知りたくて、突然思いついた突拍子もない、そんな疑問をぶつけてみたのだった。
 あの時、華子はなんて答えたのだっけ? そうだ、もしそうだとして誰がそれを証明出来るかと問い掛け、その後、冗談よと笑ってそんなことある訳ないじゃないと否定した。
 それ以来、絵里はその問題を考えることを放棄した。
 それがまたミステリー研究会の星井真実が書いた論文によって掘り返されようとしているのだ。
 華子はこの論文を『春光』に掲載することをあっさりと許可したけれど、本心はどうであろう?
 流石に七年も経てば、園子の事故の件を知っている生徒は少なくなった。だからそう思うと単なる絵里の取り越し苦労かも知れないが、妙に心が落ち付かない。
 それに去年、華子の部屋のバルコニーから飛び立つラファエルらしき大鳥の姿をミス研部員の伊達が見ているのだ。
「最近はどうなの? ラファエルは元気にしてる?」
「いいえ、最近はもうすっかり姿を見せないわ」
「最後に見たのはいつ?」
「さあ、いつだったかしら? 一年くらい前だと思うけど、思い出せないわ」
「そうなの」
 華子は少し怪訝な顔をした。
「それがどうかしたの?」
「ああ、別に、何も、ちょっと聞いてみただけよ」
 華子はふ〜んと言う風に何度か頷いて、チラリと絵里に視線を送った。
 会談はそれで終了した。絵里は原稿を持って職員室に戻りかけた。

 廊下の角を曲がったところで、急に走って来た生徒とぶつかってしまった。
 キャッと短い悲鳴をあげて、絵里は後ろの壁にぶつかり手をついた。
 走って来た生徒は勢い込んでその場に倒れ込んだ。長めの髪の毛が肩にばらけて広がった。スカートの裾が乱れて白いソックスの上のふくらはぎと太腿が顕になった。
「だ、大丈夫?」
 絵里が声を掛けると生徒はどこかを強打したのか、少し呻いて上半身を起こして顔を見せた。
 園子! 
 絵里の心臓がピクリと五センチほど飛び上がった。
 いや、違う、生徒は鈴木沙耶香だ。
 間近で見れば見るほど、沙耶香は園子に瓜二つだった。
 それは本当に、生き写しみたいに。


後編に続く

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