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贈り物 2

贈り物 2

伯母の家はそれまで私が住んでいた家よりは数段大きな御屋敷だった。
伯母はあまり多くを語らない人でした。物事をたんたんとこなし特に何を言う事もない。でもその時の私にはつまらぬ同情や慰めの言葉を掛けられるよりその方がずっとましだった。
伯父にはおそらく私はその時が初対面であったと思うが、厳格そうな髭を蓄えたその伯父は無言のまま、虫を見る様な目で私を見下ろした。

この家には子供が二人いた。
私より一つ年上の長男はマナトと言い伯父の連れ子であるらしかった。
そして妹のアキは私より三つ年下のまだ幼稚園児である。
マナトは無口で私と視線を合わせようとはしなかったが、幼いアキの方は明るく無邪気で私にもサチ姉ちゃんと呼び掛け、親し気に接してくれた。

それから私のその家での生活は、主にアキの面倒をみるという役割が自然に出来上がってしまった。私自身も伯母夫婦に育てて貰っているという負い目があったからだろう。
手のかかる我儘放題のアキの相手を根気良くやっていた。
その頃はまだ私も両親に先立たれた悲しみから立ち直れずにいて、夜毎にベッドの中では涙に暮れていたので、アキとの触れ合いはそんな気持ちをほんの一瞬忘れられる唯一の時間でもあったと、今になっては思う。

一日一日はサラサラと風が流れて行く様に過ぎて行った。
両親のいない日々、1年も経てばもうそれが当たり前の事と受け止められる位に何もない穏やかに季節が過ぎて行った。

一つ上のマナトとは家にいてもあまり口を利いた事がなかった。
アキはマナトの事を兄として慕っており、二人は仲が良かった。
マナトもアキにはよく話し掛け楽しそうにしていた。

私が思いもかけずマナトと出会ったのは、学校の図書室での事だった。その頃私は友達もいなくて、お昼休みや放課後はよく図書室で一人本を読み過ごしていた。
ある日、何の気無しに振り返って見ると少し離れた後ろの方のテーブルで同じ様に読書をしていたマナトと目が合ってしまったのだ。
その時は私もマナトは少なからず動揺した。同じ家に住んでいるにも関わらず、殆ど話した事のない異性。
何となく気まずささえも感じたものだったが、その当時の私には図書室以外には学校での居場所は無かった。

叔母は私の事を他の二人と分け隔てする事なく接してくれていた。食事、洗濯、それから学校行事など、親代わりとしてしなくてはいけない最低限の事は何不自由する事なく整えてくれた。
勿論私も家事の手伝いもするし、お小遣いを自分からねだった事もない。

ただ、何故だか理由は分からないが、誕生日のお祝いだけはして貰った記憶がない。マナトやアキの誕生日にはみんな揃ってケーキを食べたりご馳走を用意して祝うのだが、私の誕生日には何もなければ、誰も何も言わなかった。
幼心にそれは寂しく切ないものであったが、それが何年も続いて行けば、自分自身でさえそんな事など忘れてしまうものだった。

図書室では、相変わらずマナトによく会った。
お互い視線は交わすが、それ以上近付いたり話し掛けたりする事もなかった。
マナトがいないとホッと胸を撫で下ろすのだか、ほんの少しの寂しさを感じる自分にいつしか私は気付いていた。

そんなマナトもやがて小学校を卒業して行く時が来た。
あれは卒業式を目前に控えた、ある日の事だった。
その日も私は図書室で読書をしていた。
暫くすると、後ろに座っていたはずのマナトが、そっと私の隣りに腰掛けた。驚いて心臓の高鳴りを覚えた私にマナトは落ち着いた声で
「これ、読むといいよ」
と一冊の分厚い本を置いて行った。
それがおそらく最初に交わしたマナトとの会話であり、小学校の図書室で二人が会ったのはそれが最後となった。

家では毎日食事の度にマナトと顔を合わすのだが、
相変わらず意識して話す事も顔を見る事も無かった。

それから私は1年掛けてマナトが置いて行った小説を読み終えた。
戦争をきっかけにして離れ離れになった家族が、いろいろな困難を乗り越えた末に再会を果たすお話だった。
私にはもう会おうとしても会える家族がない訳だが、その小説は心に滲みた。

中学生に上がった私は文芸部に所属する事にした。今や小説を読む事だけが私の生きがいでしかなかったのだ。

ところが思いもよらぬ事にマナトもまた文芸部に所属していたのだ。
毎日家で顔を合わすマナトともう一度再会したというのは妙な話だか、家の外で二人が顔を合わすのはそれぞれがまた別人になった様な気がした。

その頃からようやく私はマナトにだけは心を打ち解けて話が出来る様になって来た。薦めてくれた小説を読み終えた事、そしてその感想などを私はマナトに時間をかけゆっくり話した。
マナトはそんな私の話を頷きながら黙って聞いてくれた。

色白で痩せているマナトはよく風邪をひき学校を休んだが、放課後の部活に行くのは私の楽しみであった。
けれど、それでもなお、家では会話すらしないままであった。

しかし、どこかで何かが伝わるのであろうか、妹のアキの私への態度がこの頃より少しづつ変わって来ていた。
もともと天真爛漫で物怖じしない性格であったが、近頃は我儘で傲慢な言動を垣間見せる時があった。マナトに対しては相変わらず媚びを売る様な親密さを、私の前でこれ見よがしに見せるのだが、私に対しては、かなり上から目線的な物言いをし、時には馬鹿にした様な言葉を吐いたりする。
特に私がマナトに接する事を阻んでいる様に思えて仕方なかった。思春期に差し掛かり従兄弟と言えども他人が家族の中に入り込み暮らしている事に違和感を感じ始めたのだろう。

伯母はそんな事を、知ってか知らずか、全く意に関せずの様に知らん振りな顔でやり過ごしていた。
そして、時折、冷やかな視線を私に送るのであった。
伯母一家と居候の私。
徐々にその溝を私は感じる様になって来た。

中学時代は夢の様にあっと言う間に過ぎて行った。
マナトとは部活の間、いろいろな話が出来た。
いくつか別の小説も紹介してくれて、その度に私はその本を読み耽って読後の感想をマナトに話すのが唯一の楽しみになっていた。
しかし、一年が経ち学年が上がれば三年生は受検のため部活を離れて行った。
頭の良いマナトはこの地域では有名な進学校に入学する事になった。
残念な事にそこは男子校であるため、私もそこを目指すという訳には行かなかった。

学校で家庭で私はまたしても孤独を感じずにはいられなかった。
マナトと話しをしたいと思っても、それが出来なくなってしまった。
家で全くチャンスがない訳では無かったが、伯母やアキの事が気になったし、マナト自身も家にいる時は私を避けるかの様に振る舞っていたかと思う。

それでも私は受検勉強には励んだ。
目指す女子校に入らなければ、自分の将来さえどうなるか分からないと思ったのだ。

伯母の家に引き取られて、瞬く間に7年が過ぎた。
長いようで短い年月だが、両親を失った事は今でも私の心にポッカリと穴を空けている。

その年の春、私は晴れて女子高校生になった。
通う事になった女子校へは片道30分以上もバスに乗らなければならないが、そんな事は少しも苦にならなかった。

それよりもやはり私は、マナトとの時間が失われた事に寂しさを感じていた。それでも夕食の度に一度は顔を見る事が出来るのだから、例え会話が出来なくてもそれ位は我慢しなければいけない、と自分に言い聞かせていた。

伯母はそんな私の何気ない素振りで何かを感じているのだろうか?時折無言の眼差しで私の心を凍らせたりする。
アキとの仲は相変わらずで、最近は殆ど言葉を交わす事もなくなった。中学生になった彼女はますます女性っぽく艶めき始めて、好む洋服等も派手なものを身に纏い、いつも地味な格好をしている私とは対象的な存在になった。

ある日の事、日曜日、私はいつもの様に自室で一人読書に耽っていた。
アキは同級生達を部屋に招いて賑やかにしている。最近こういう事は多くなった。私はなるべく彼女達とは顔を合わせない様、部屋に閉じ籠っているばかりだった。
夕方になり、私がお手洗いを使い、部屋に戻ろうとしたところに、運悪くアキの友達であろう一人とバッタリと出くわした。
彼女はみすぼらしい私の格好を見るや、目を丸くしてアキの部屋へととって返した。

同級生達がが帰るとアキはすぐ私の部屋を訪れ、憤慨に満ちた表情で自分の友達が家に訪ねて来た時は、部屋から一歩も出るな、と私に言い放ち、力任せにドアを叩きつけ出て行った。
この家では私は意見する権利などない事を思い知り、悲しさと絶望に打ち拉がれ、夕食も食べないで伯母の家を飛び出した。

着の身着のまま家を出て来た私は街中をどこをどう歩いたやら、全く記憶にない、涙さえ遠に乾ききり、気が付いた時は小さな公園で疲れてブランコに座っていた。
お腹も減り寒さが身に滲みた。
どれ位時間が経っただろう?
これからどうしようかと考えている時
ふいに後ろから肩に手を置かれた。
驚いて振り返ると
何とそこにはマナトの顔があった。
家を出て行った私を心配して、捜しに来てくれたと言う。
私は再び涙で頬を濡らした。
こんなに近い距離でマナトの存在を感じたのは初めてではなかったろうか?
マナトはたった一言
守ってやれなくてゴメン
と小さな声で呟いた。

マナトに連れられて家に帰った私に
伯母は何も言わず夕食を用意してくれた。

アキとはそれからも会話する事も目を合わす事も無かった。

私の女子校生活は可もなく不可もなく順調に過ぎて行った。
成績はそこそこ良い方だったし、通学に時間がかかるので特に部活もしなかった。クラスではやはり目立たない大人しい生徒たった。
仲の良い友達も一人二人いたが、本当に心許して話し合える友達は出来なかった。そして、私自身そういう付き合いを人に求めてなかった。親しくなると家族の事や現在の境遇について少なからず話さなければならなくなるので、それが煩わしいというそんな気持ちがあったからだ。

高校在学中に一度だけ帰りのバスの中でマナトと出会った事がある。
普段は車で送迎して貰ってるのだか、その日は体調も良く、以前より一度バスに乗ってみたかったとの事だ。
それでも同じバスに乗り合わせる可能性など、随分低いはずだが、この時は運命の巡り合わせに感謝したものだ。
私はその時になって初めていつぞやの公園に迎えに来てくれた事のお礼を伝えた。
守ってやれなくてゴメン
この言葉は今でも私の耳にこだましている。
ところが、マナトは
大切な時にはいつもサチに守られている気がする
と答えた。
その言葉は私にはちょっと意外に思った。
守られているのは私の方で
私がマナトを守った事など一度もない。
私はその言葉の真意が掴めず
ただ、マナトの端正な横顔を見つめるばかりであった。

そのマナトが入院すると聞いたのは私が高2の秋の事だった。
マナトにしてみれば大学受検を控えた大事な時期だというのに、私は随分心配した。けれども私にはマナトの病状はおろかその病名さえ教えて貰えなかった。当然お見舞いになど行けるはずもなく、病院には近づかない様にさえ言われた。
早く良くなる事、ただそれだけを祈るのみだった。

結局、マナトの入院は長期に渡り、大学受検も見送られる事となった。
そんな折、私の方でも学校の進路相談があり、
伯母は私に大学進学を薦めてくれた。
その事には多いに感謝したが、
私はそれを断った。
マナトの事もある。
しかし、その時私はこれ以上伯母夫婦に世話をかける事が忍びなかった。
大学なら一度働いてからでも行きたければ自分の力で行けるはず、
もう人の世話になり肩身の狭い思いをして生きるのは終わりにしたかった。

それでも伯父伯母には心から感謝してやまないのは確かだ。

私は進学をせず、伯母の家を出て自立して生計を立てて行く決心をした。
どこで暮らすかはもう決めてある。
幼い頃、両親と暮らした、あの町だ。
もう一度あの町から、私は私の人生をやり直すのだ。

高校の卒業式を翌日に控えた日、私は一人で家にいた。
薄日の刺す穏やかな春の日差しが部屋に射し込んでいた。
ノックの音がした。
誰だろう?
ドアを開けてみる。

驚いた。
マナトがそこにいたのだ。
マナトは穏やかな優しい顔をして
入ってもいいかい?
て聞いた。
もちろんよ。
でも病気はもう大丈夫なの?
退院したのかな?
私の問いかけには
微笑むだけで、詳しい話は聞かせてはくれなかった。
卒業おめでとう
マナトは言った。
私は少し照れながらありがとうの言葉を言った。
とても嬉しかった。
それから二人で暫しの間、いろんな話をした。
初めて出会った頃の事
小学校の図書室で会った事
中学の文芸部で沢山の小説を読んでは語り合った事
私を捜して公園のブランコの所で見つけた事
バスの中で偶然に会った事

いろんな思い出を懐かしく語り合った。
その時間はまるで夢の様だった。

そして、私は高校の卒業式を迎えた。

式が終わるのを待っていたかの様に
伯母が私を迎えに来た。
私は急いで伯父の運転する車に乗せられた。
そして、その事を伯母から告げられた。

マナトの死を・・・


マナトの葬儀は静かにそして、厳かに滞りなく取り行われた。
私はずっと信じられない気持ちでいっぱいだった。
目の前で行われている事が何なのか
思考する事を心の何処かが拒否していた。

卒業式の前日に私を訪ねて来たはずのマナトが
まさか、今はもうどこにもいないなんて
私はどうしてもその事実を受け止め切れなかった。

家の中が落ち着きを取り戻した頃
私は伯母から部屋に呼ばれた。
伯母と伯父は並んで座っていた。
伯母は穏やかに話始めた。

サチ、私はあなたのマナトへの気持ちに気付いていたの
多分マナトもあなたの事を・・
でもね、マナトは元々長く生きられない身体だと分かっていたから
それはあの子の実の母親からの遺伝子の問題だけど
ともかく、私はあなたとマナトを必要以上に近付かないよう気を付けていたのよ
随分辛い思いをさせたかも知れないけど、ごめんなさいね
あなたは小さい頃に両親を亡くして
もしも、今度、大切に思ってる人を亡くすなんて事になったら
とても、あなたの事が心配で、

でも、
結局、

ここで伯母は一旦言葉を詰まらせ

結局、同じ事だったかしら
こんな事だったら
もっと二人の時間を作ってあげればよかった

伯母は嗚咽を漏らし、その後は言葉にならなかった。

私は伯母のそんな姿を見るのは初めてだったし、そんな風に思っていたなんて、これっぽっちも思っていなかった。

伯父は終始黙っていたが
一言だけ
ここを出ても、いつでも帰って来なさい
いいね
とだけ言った

そして
伯母は最後にこうも言った
あなたは私の大切な妹の一人娘
サチの事はいつでも自分の娘と同じように考えていたわ

だけど、ごめんね、誕生日のお祝いだけしてやれなくて
あなたの誕生日はあなたの両親、つまりは私の妹夫婦が亡くなったその日でもあるから
どうしても祝ってやれなかったのよ

伯母は何度も私に謝り、涙を流した。
私も伯母の手を取りながら涙に噎せた。
その涙は
もう一生分使い果たしてしまうのではないかと思うくらい、いつまでもいつまでも流れ続けた。

旅立ちの時が来た。
今日から一人だ。
前にも言った様に
私は私の人生を取り戻すために
生まれた町へ帰るのだ。
もう後戻りはしない。

玄関を出ようとした所で
部屋からアキが出て来るのが見えた。
アキはほんの少し気まずそうな顔をして
元気で
と一言、言って、握手を求めて来た。

私も、うんと一言、言って、アキの手を握った
そこには僅かだが血の繋がりの様なものを感じた。

私は少女時代を過ごした伯母の家を後にして
長い人生への旅立ちの一歩を刻んだ。

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