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支離滅裂も発達特性によるもの??


はじめに

発達障害を疑われている方、診断を受けた方にも症状はさまざまで、
知的障害・神経症状で自己制御できず苦しんでいる方もいます。
でも、仕事や人との関係性構築において障害を感じたり、問題を生じたり、
自分の過敏性が強まる・理解しようと歩み寄る親しい人が疲れ切ってしまう
という発達特性からくる2次的な障害で苦しむ人も多いと思っています。

そうなると、発達自体が障害だったのか?
それは違っていて、多くの人と違う発達過程をとるはずだった人が
教育現場や一定ルールのある社会で、自分の特性(思考回路)を
修正して適応してきた時に、自分の特性に応じた進め方を見失い、
自分に適応できていないことが原因になっていることも多いのでは?
それが、発達障害・適応障害の人の大きな原因の一つでもあると
私は認識しています。

支離滅裂

私はこうして文章を書いていても、書き出しと終わりが合わない。
そういうことがほとんどで、書き出しから終わりまで初志貫徹する
なんてことが非常に稀です。
そんな文章ができたら、『これは私の人生で相当重要な視点なんだ』
と、一貫した主張をもてた自分の思慮深さに乾杯してあげたくなる。

つまり、思考が飛びやすく、例えば…と出した話題に逸れていったり、
浮かんだ内容に視点が飛んだりしてしまう。
それが、会話していても頻発するのだから、聞いている方は大変です。


今、まさにその『特性理解の大変さ』を受け取る側としても痛感中。
それは子供ら3人のうちふたりがそんな感じだから…笑。
おもしろエピソードをただ聞いてるだけでも、『聞き直し』多発。
一人は割と分かりやすく、私に合わせて話してるのか?ってくらい
ポイントを逸らさず話すので、特性の違いへの理解はより深まります。


だけど、子供ならまだしも、大人になった時これじゃあ困るわけです。
新卒の頃の私がみんなを困惑の渦に巻き込んだようになるわけですから、
思い出すだけでゾッとします。

なぜ支離滅裂になるのか

私の場合、一つの出来事の中で感じるポイントが多かったり、着目ポイントが人と違うので、自分の中に未消化感覚が蓄積してしまいがちなのです。
同じ仕事をしていても、『これでよかったかな?こんな反応だったけどな』と
感じてはいたとしても、それは小さなことで誰も気にしちゃいないのです。
そして、『そんなこと誰も気にしちゃいない』ってことを私自身も感覚的に
察してます。
だから、その小さな気づきを自分自身も「無かったこと」にしている。
「無かったこと」にして、消えていてくれればいいけど。実は消えません。
それは未消化感覚として蓄積されているのです。

だから、こうして書き出したり、親しい人に話すときに溢れ出てきて、
話は伏線だらけの支離滅裂となっていく。

自分の湧き出す感覚を大切に扱うこと

これは小さい頃からの癖でもあるので、どう感じたのかを大切に扱い
自分だけでも放置しないよう引き出す練習が重要なのだと思います。

私は大人になって気づいたので、ふっと気になった時には自己対処。
自分が満足するように実行する。
できなかったら「できない理由」を出して、納得する。

そうやって、気になったことを宙ぶらりんにはしないようにしています。
そんなことを続けていると、そんな自分の仕事ぶりに『ありがとう』と
気づいて声かけしてくれる人が出てきて、それはとても嬉しいギフト。

みんなに気にして欲しいと訴え過ぎれば、きっと軋轢を生みます。
そこが自分だけの満足にしていいのか、周知が必要なことなのか、
その見極め・調整する力を小さい頃から少しづつ続けることが、
私には必要だったと感じています。
今子どもたちを見ていても、そこで困っているのかな…と、感じる。
そんな時、どう対応したらいいかなんて、私にも分からないけど、
そう感じ取る自分自体を『無かったこと』にはして欲しくないし、
絶対にそれがダメなことなんかじゃない。
むしろ、あなたらしさを見つけるヒントでもあるし、
人に役立つことに繋がる大切な宝物だと気づいて欲しい。
それがいつやってくるのか分からないけど、その日までは
自分だけでも無視せず、大切に扱っていて欲しいなと思う。

自分で大切にする方法

自分がそういう感覚を持っていて、ある時に溢れ出し、
コミュニケーションに支障をきたす場合にどうしたらいいのか。

私は独りになることだったり、書くことだったりします。
どんなことがあって、どう感じて、何をすれば落ち着くのか。
それは外側にはなくて、自分の内側が知ってること。

独りになること

私は物理的に一人になることも好きだし、
周りの協力を得て、独りにしてもらうことができます。
が、独りになることが難しい人は、マインドフルネスとか
瞑想を使うんでしょうか?バイクに乗る・ドライブするにも
同じような効果があるんだと思うのですけど。

私には大切なひとに教えてもらった大好きな言葉と感覚が
あって、今でもそれを大切にしています。

『内側の宇宙と外側の宇宙』

この宇宙は繋がっていて、今の私をつくっています。
どちらから宇宙を観るのかで経路は違っても
どちらも繋がっているんです。
内観を極めれば、外観へも辿り着くし
外側を極めれば、内側へもたどり着ける。
どちらの世界が得意・不得意に感じていたとしても、
(それは見せかけで、実際はないのだと思いますが)
繋がってるから大丈夫なんです。

だから、私は自分の感覚がサインを出した時には
ちゃんと自分で内側を観てあげようって思ってます。
外の雑音や人の気持ちが入らない場所で、静かに過ごす。
そのことばかり、集中して無理やり出すことはなくて、
ボーッと過ごして、雑音を取っていくと、
ふわりと頭に浮かんでくることがあったりします。

きっとそれが、私が気にしていることの何かなのかなって、
じゃあ、どうしたいのかなって問う。
それが、感覚的な自分との私なりの対話で、すごく好きな時間。

書くこと

これは、NOTEでの投稿でもそうなのです。
だから、記事を書いていても全然進めずお蔵入りなんてことも
しょっちゅうです。
それだけ、まとまっていないんだね。いろんな無視が重なったんだ…
と、反省しつつ思考整理をしています。

いろんな場面での自分の気持ちは、書いていると整理されてくる。
実際に紙に書いたりもするけど、パソコンで打つ作業の方が、
感覚的なことは出てきやすいです。
そうやって、ある程度まとまらない自分を感じたら、
紙に書き出して整理します。

人との会話の効果

この書くことよりももっと絶大な効果を持った行為が
人との会話だと思ってます。
だから、親しい人や仲のいい友人がいることって重要なんです。
人に話しながら気づけることって物凄く多いです。
人との会話での感情の浄化って、半端ないですよね。

人付き合いが苦手・コミュニケーション障害と言われるし、
人の気持ちが分からないとも言われていて傷つくこともある。
独りになることも必要で、一人の行動も好きだけど、
人の輪を嫌っているわけではないのです。

他の人より、独りになる時間を要するだけで、
親しい人たちとの関係が重要性を持つことに変わりはない。
そう思っています。

お互いが楽しいと感じ合える友達・仲間・親友を持つこと
それはどんな人も同じで重要なことです。
だからこそ、自分を知って、相手を知って、
たくさんの感情を共有して、
奥深くからくる喜びを感じあえるように、
コミュニケーションも大切にしたいなと思います。

そのために、自分の特性を深く知り
人との間での使い方・対処法を習得したい。

大勢の人と同じ道を辿ることにばかり労力を使わず、
自分から出てくるものも認めて、
バランスを取るための工夫に注力していってほしい。
そんな風に思ってます。



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