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ごはん作りとイライラ:発達特性

私は衝動性(ADHD )を抑えにくく、
疲れの感知も遅い特性がある。
認識はでき始めても、なかなか
丁度いいに抑えるのが難しい。

昨日は疲れていて
娘と出かけた先でたこ焼きを
買って帰りたい気分でした。

だけど、
私の執着癖がはたらき、
疲れの感知機能が壊れ、
結局料理をしたのです。

それが、間違いでして。
手伝ってくれた長女に八つ当たり、
最悪の結果になりました。

こんなに後悔するのに… 
なかなか調整できない…
自分の気分の調整不足に
ガックリ…グッタリ…です。 

それでも、
八つ当たりに気づき、制御したり、
後悔や自己否定にばかり沈まず、
前を向きに捉えるようになった、
それが、私の進歩です。
後悔とともにちゃんと成長しようと
反省して、前進して、改善していく。

割と健全かなと…、思える。

夕飯の献立

・かぼちゃスープ
・鶏つくね
・生ハムサラダ
・豚肉の塩コショウ炒め

かぼちゃスープは
出かける前に煮ておいたので、
仕上げを長女に任せました。

生ハムが次女のマイブーム
昨日の生ハムが余ってたので  
次女がまたサラダ作ってました。

長男は塩コショウ味の肉大好き
なので、炒めるだけで幸せそう
私も楽ちんで嬉しい♫
昼ご飯はカレーうどんを作ったし、
なんの罪悪感もございません。

そして、問題なのが鶏つくね…。
鶏つくねを作る体力がなく、
本当は作らなくてよかったのに
始めちゃったのです…。 

途中から作るの嫌になって、
気分も悪く、態度に出始め、
潔癖の極みになり。
鶏ミンチを混ぜてくれてる娘に
汚い・他のとこ触るな・手を洗え
と、止まらない感情の噴出でした。
反省…。

と、こんな感じの夕食になりました。

手作りへの執着

この手作りへの執着。
それは、実は私のものではない。

祖母の記憶

祖母は家事大好きな人でした。
70歳を越えても
『こんな風に調理してみたんだけど』
と新しい調理法や味付けに挑戦して
料理を楽しんでいた記憶があります。
笑顔で嬉しそうに話す弾んだ声の祖母、
それが私の記憶にはたくさんある。

専業主婦の母

母はきっとそれほど料理に興味はない。
だけど、
専業主婦で子供3人の食事を作ってきて、
祖母への対抗意識もあったのだと思うし。
食べることがストレス発散でもあった。

元々、外で働く女性になりたくて、
振袖代を受験費用にと頼み込んで
大学進学したのが母だった。
そういう後悔もあったのかもしれない。

だから、楽しそうに台所に立っている
という感じが、私にはしなかった。
食べている時もストレス発散を感じる。

私の食卓

そこから、
私は複雑な両方の食卓や料理の
印象を植え付けられていく。
もちろん、とても大好き。
だけど、すごくイライラする。
両極を体感している。

楽しい記憶だけがあったり、
ほとんどが母の楽しい記憶なら、
それは幸せなことだと思う。
だけど、
料理や家事へのイライラの方が
母からの強い記憶と結びつく私は、
子育ての時にとても苦労をした。

長女はその影響を大きく受けてきた。
私は長女の経験を少しでも更新して
食事や料理へのより良い感覚を
持っていってほしいと思っている。

そのためにも、
私の情動のコントロールは必須だ。
逃げずに、諦めずに、
暖かな食卓を取り戻していたい。

そんな私でも家族との食卓に
楽しい記憶がないわけじゃない。
ちゃんとあたたかで楽しい団欒の
記憶だって刻まれている。

そういう幸せな団欒の空気を
大人になった私に感じさせてくれた
家族以外の仲間もいた。
その記憶も家族との時間以上に
重要なのだと思っている。

私がこれから大切に育んでいきたい
あったかい団欒の記憶だ。

疲れの認知と割り切り

私は疲れに気づきにくい 
『あ、疲れたかな…』と、
認識した時には、かなりのもの。

だから、
夜はなるべくペースをゆっくりに
好きなことだけやるようにする。
片付けやお掃除は好きなので
夜に片付けて、スッキリしておいて
朝作業がすっと始められるのが一番。

だけど、
たまに時間が押すことがある。
今日で言えば、息子とプール
娘と買い物、さらにパン焼き
この上、夕飯のリクエストに
応えようとしたため、崩壊…。

無理な計画はいけないし、
良いタイミングってものがある。

今日は、ちゃんと無理かなって
訂正したいときが何度もあった。
それでも、やっちゃお!と、
変な頑張りが私を完全に狂わす。

楽しい・やりたい・頑張りたい!
それでもその衝動に押されては
ガタッと崩れることがある…。

それを抑えにくいのが、
私のADHDの片鱗だ。

今日の反省はしっかり活かそう。




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