発達特性を持つ私が適職を見つけるまで3:発達障害の支援ではなく、特性の理解を


はじめに

発達障害やグレーゾーンと言われる人の中には、発達の特性や過敏症の症状によって、神経過敏を引き起こし、それが原因で人とのコミュニケーションに障害を生じてしまうという状態の人が含まれていると私は認識しています。
実際に知的障害を併発されていたり、身体症状に及ぶ神経症状を併発している場合は専門的な治療を受けることが必要な時期もあります。
しかし、所謂グレーゾーンという人は自分の思考の特性や執着癖を自覚し、他者との間で折り合えるよう調整することで、不安や過敏から解放されていくのではないかと思っています。
信頼できる人との出会い、乗り越えたいと思える意志や原動力を持つことで、改善というより調整できることはたくさんあると感じています。

・発達障害を疑われている方
・発達特性をお持ちのご家族がいる方
・発達特性の診断を受けるか迷われている方
・HSPなどで仕事に不安をお持ちの方
私に近い特性をお持ちの方や、そういった方との関係性で
悩まれている皆さんの参考になれば幸いです。

人の意図を汲めない苦しさ

私は発達特性を持っていて、とにかく人の意図を読み切れないことが多い。
例えば、「暗黙の了解」や「なんとなく決まっていること」を認識するのに時間がかかる。『これはどっちでもいいんですけど、できたらいいです。しなくてもいいです』とか、そういうことが誰の何の行動につながるものなのかを理解することが難しかったりするのだ。

他にもみんなが笑っている内容も、実はよくわかっていないなんていうこともある。

そういうことのほとんどは、私の本職の業務内容に支障を与えることは、ものすごく少ない。だけど、人間関係には大きな影響を与えたりする。
そうやって、自覚なく出来ていく人との距離や溝が結構ダメージを与える。
だって、発達障害や特性を持った人は空気が読めないわけじゃないと思っている。空気や人の感情の機微はどんどん入ってくるけど、人の意図が理解できていないから、違う行動をとってしまったり、対処行動を理解できずアタフタしてしまうわけで。
勝手にできていく溝を埋める行動が何かを探しては、違ったことに愕然としてしまうのだ。そして、人が送る冷たい視線や呆れた仕草は、痛いほどに入ってきたりする。『またやってしまっているな…』ということはわかっても、正す方法がよく分からない。そして、他人からしたら案外『本業以外の大したことのないことの積み重ね』だったりするから、なかなかその内容を伝えてくれないのだ。

必要性を理解したり、自分の負担なくこなせてしまうことだったりすれば、全然支障なく行けるはずのことも、理解できないことの内容がみんなにとっては『理解できないはずない』ことだとされてしまうと、とても困ってしまうのだ。
そんなことを引きずりながら働いていることさえ、多分多くの人には伝わらない。だけど、自分の中には対処方法をアレコレ考えるせいで思考回路はどんどん増え、受け止め切れないほどの他者からの視線や空気を抱えている。

神経症の始まり

そんな状態が続くと、増えすぎた思考回路が混線し、
パニック症状を引き起こし始める。
ここからが、神経症状との戦いになるのだ。
人の感情や視線、さまざまな情報を入れられない状態。
それが、過敏症の始まりだ。顕著な症状も出てきて、
自分の症状への対処も必要になり、落ち着きがなく、
ミスが増えてしまって仕事への支障も出てくる。
イヤホンが離せなかったり、
一人の時間がとにかく必要だったり、
他への集中力に欠けるせいで強迫症状が強くなったり、
人の好意や助けもうまく受け取れなくなったりする。

こういうことが、私は本当に多かった。
この何か『助け』を必要としてるんだけど、
何ができてないわけじゃないって、難しい。
それは、職場の人も自分も混乱に落ちていく。

何ってことじゃないんですけど…。。
の積み重ねも、過敏に拍車をかけていく。

本職での仕事のミス

本業でのミスって、分かりやすくて。
そのケアレスミスや仕事の抜けがあれば、指摘もされるし、
直すための対策もたくさんある。

そういう本質的な部分でのミスには、対応策がしっかりあり、
メモすることや指摘を受け入れていく努力で改善していくことが多い。

もちろん新卒の頃や初めての病棟で業務が変わる時には、
かなり負担にもなるし、自分なりのルーティンに落とし込むまで、
本当に苦労をするのだけど。
その点では、自分の好きや得意が詰まっている仕事を選ぶことが、
何より重要なことだと思う。
自分のこだわりを、人との違う視点の持ち方を、早く認識して、
自分を曲げることなく、自分の本質に詳しくなることが
何より大切なこと。

特性の理解の必要性

そうやって、『大したことではないのだけど』の積み重ね。
そこには、やはり『人の理解』が必要になる。
障害に対して『支援』を要している訳ではなくて、
特性について『理解』を求めている。

意図が読みにくい私に『こういうことだよ』って、
そっと伝えてくれる人がいるだけで、私はどれほど救われただろう。
その行為が『私たちではないけど、あの職種の人のためなんだよね』と
他職種への気遣いなのだとわかるだけで、必要な時と不要な時が分かり、
余計な思考回路を作らずに済む。それだけのことだけど、そんなことの
積み重ねで私のパニックは物凄く減らすことができるのだ。

こんなこと・そんなことと思われる違いが、特性の違いなのだ。
そういうことの違いのおかげで、見えないことが観えることもあるし、
見えるはずのことが観えなくなることもある。
そう理解して、お互いに配慮をしてもらえたら、きっといい未来がある。
そう私は感じたのです。

人と働く中で、本当に辛いこともたくさんあったけど、
そっと手を差し伸べてくれる人の温かさに泣けたことも
同じくらいたくさんあった。

そして、私には気付けないたくさんの配慮ができる
そんな違う特性の人にはいつも感動させられる。
そんな風に気づき、対応できるって、本当に素敵だって。
そういうとき、私はどんどん取り入れたくなる。。
そして、そうやって、私は看護のあり方をたくさん学んできた。

今人並みにできるようになったことの多くは、
人の真似で、私の特性にはなかったもの。
特性を活かせることも、特性にないことでも
良いことはどんどん取り入れていたい。

そうやって、違いを知ることで、
良い効果が出ることが私は何より嬉しい。
私も何かいい効果を与えられる自分でいたい。



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