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ローズクォーツのブレスレット

 
ずっと挑戦しようか迷っていたオーディションを思い切って受けたところ、選ばれて演奏会に出られることになった。
 その演奏会を聴くためにやってきた彼と夜、お祝いだからと食事をすることになった。春休みで、彼はこちらに戻ってきていた。
 それまで、簡単にお茶をすることはあったが、食事は初めてだ。貴重な異性の友人。まだ大学生活を始めたばかりの私にとっては、既に3年生の彼は先輩だった。

 それでクローゼットを開けて、私は立ち止まった。
前に彼と会ったのは、大学受験の前頃だ。それから手紙のやり取りをしたり、時には電話で声を聞いていたが、彼が今どんな風なのかは実際分からなかった。
 クローゼットから手当たり次第に出して、自分の体に当ててクローゼットについている姿見の鏡に映し出す。高校生の時に喜んで着ていた服が、どれもこれもなんだか子どもっぽかったり、似合わなくなっているような気がした。悩んだ挙句、新しく購入したばかりの白い丸襟がついたワンピースに決めた。

 ショーウインドウに映る自分の姿を見て、少し心配になった。
アクアマリンとイエローオーカーの大きなチェック柄。子どもっぽくない色にしたが、大丈夫だろうか。そんなことを思っていると、彼がやってきた。

カーキのモッズコートに、ネイビーのシャツ。パンツは黒のスキニー。大学生と言えども、やっぱり大人だと私は思った。
「よう」
「久しぶりね」
「ちょっとは見られるようになったな」
意地悪な口振りだが、別に嫌味を言っているわけではない。最近気づいたが、彼は心を許している相手にはこんな風に話すことも多いのだ。自分に対して数少ない「異性の友達」として、心を許しているのだと思うと少し嬉しかった。
 食事の場所はお酒も出るビストロだった。親を伴わない夜の会食は初めてだが、彼は如才なくオーダーを取り、私が目を丸くしている間に忽ち、料理が目の前に並んだ。
「18になったか…。酒は初めてか」
私がまだお酒は口にしたことがないと言い、グラスに注がれたスパークリングワインに戸惑っていると、無理して全部飲むことはない、乾杯はまず口だけつけても非礼には当たらないと彼が言った。
 乾杯のグラスをぶつけ合う音のあと、私はグラスに入った泡立つピンク色の液体を少し飲んだ。ふわっとする。彼は、酒の強さがまだ分からないので、無理せず残してもいいと言った。でも私は、せっかく頼んだので少しずつお酒を口にした。

 フルコースではないが、前菜から始まりスープ、魚、肉、そしてデザート。食事はとても美味しかった。彼と初めて食事してわかったが、彼は肉料理がとても好きなようだった。半面、野菜が苦手で、特に生野菜は避けようとする見た目よりも子供っぽい部分があることが分かっておかしかった。
 デザートは梨のソルベ。デザートを食べながら、彼は私に小さな包みを取り出した。
「お祝いだ」
 包みを開けると、箱が入っていた。中にはピンク色の可愛らしい石が1つだけ入ったゴールドのブレスレットが入っていた。
「綺麗…」
  私は人からアクセサリを送られた経験がない。母がたくさんアクセサリを持っていて、私にいくつかくれたものを使っている。だから、これは初めての、しかも男性からのプレゼントだった。
「なあ」
彼が呼び止めた。
「お前が好きだ」
私がぽかんと口をあけている姿は、それはもう間抜け以外の何物でもなかったに違いない。言われていることが俄かには信じられなかった。
 だって、彼はとても顔がいい。勉強も、スポーツもできる。彼の学科は女子学生がいないが、きっと学内では女の子たちに騒がれているに違いない。加えて家柄もいい。そんな彼に、家柄こそ釣り合うが、地味な私が選ばれるなんて考えてもみなかった。
「誰かほかの奴と付き合ってるんじゃないだろうな」
「そんな人いません」
「お前の大学、男もいるんだろう」
「演奏学科の男なんてライバルでしかないわ。それにみんな彼女もちよ」
 いつもと同じ少し意地悪な口調なのに、何だか慌てているみたいで不思議だ。
「お前は俺のことどう思ってる。ちょっと年上の、口の悪い男友達か」
「そう、だけど」
 私は目を閉じて、自分の心に問いかけた。初めて会った時、男の人と話すのに慣れていない私の話をちゃんと聞いてくれた。口は悪いけど、私には優しかった。
「今誰とも付き合ってないんなら、俺にしとけ」
 ちょっぴり年上の、口が悪いが心優しい彼。彼の顔だけじゃなくて、声も、しぐさも好き。時々見せる愁いを帯びた表情も。幼い頃から自立を求められてきた彼は、見た目とは裏腹にとても寂しがり屋だ。膝枕しろと言ったり、私と別れる時少し機嫌が悪くなったり。
 そんな彼をいつの間にか、私も好きになっていた。
「なんだか決定事項みたいね」
私がくすくす笑って言うと、彼はむくれた。
「お前は俺を好きなんだと思ってた。違うのか」
「違わない。ただ、そんな素っ気ない言い方じゃなくて、ちゃんと言ってほしいの」
私が彼の瞳を捉えて言うと、彼は「めんどくせえな」と呟いたが、大きく息を吸ってもう一度私を見た。
「私の恋人になってくれませんか。貴女を心から愛しています。必ず…大切にします」
その姿は、いつもの口の悪い彼ではなく、まさに夢の王子様そのものだった。こんな改まった言葉遣いを彼がするときは、本気だ。だったら、私もその本気に答えなければいけない。
「喜んで。私も、あなたを愛しています」
 彼はテーブル越しに私の手を取ると、手の甲に口づけをした。それから、華奢なゴールドのブレスレットを私の左手首に巻いて金具を止めた。丸く磨かれた愛らしい桜色の石が、私たちの新しい門出を祝っているように見えた。


 あの石を選んだ理由を彼に聞いたら、「お前のほっぺたみたいにころころしてたからだ」と言う返事が返ってきた。どうやら彼は、ローズクォーツと言う石が恋愛にまつわる力を持つことを知らないらしい。

BGM:宇多田ヒカル「First Love」


 
 
 


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