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プロダクトの「自由」が人を制限し、 「制限」が人を自由にする話 | UI/UX Journal Vol.16

一人旅がすごく好きで、以前は大型連休や有給を利用してよく海外に行っていました。

旅好きと自称しながら、重度の方向音痴な私にとって、なくてはならない存在がGoogle Mapsです。海外旅行に限らず、近場の散歩でもなかなか道が覚えられず、いつしか私にとってなくてはならないアプリとなっていました。

しかしある時、旅先でGoogle Mapsを使っていると、無意識に、マップに表示される評価の高いレストランやカフェを利用していることにふと気づいた瞬間がありました。
地図」だと思って利用していたはずのアプリが、"おいしい"レストランを教えてくれたり、バスが何時に来るかを教えてくれる「便利すぎる」ツールになっていたのです。
そして同時に、この便利すぎるツールによって、何かもっと素敵なことを見落としてしまっているのでは?と感じ、

「よし、Google Mapsをアンインストールしてみよう」

スリランカのキャンディという街で、方向音痴の私の過酷な一日が始まりました。

案の定、バス停はどこにあるかわからないし、無事ホテルへ帰れるのか...?という不安に駆られながら一日を過ごしていました。

しかし一方で、それまで目に留めなかった独特な標識に気づいたり、道行く人に話しかけてみたり、何より、Google Mapsではきっとおすすめされないであろうレストランと、そこで出会った人々との交流が、スリランカ旅でのいちばんの思い出となりました。

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(写真)なにを売ってるのかわからない、もはやレストランなのかもわからないお店に突撃。すると、「日本人女性がこの店に...一人で来た...だと...?!」と大騒ぎになり、すすめられるままに(カトラリーはないので、手で)食べて、この旅のこと、お互いの国のこと、食べ物のこと...時間を忘れてたくさん話をしました。本当に素敵な時間でした。

そんな経験を通して、自分の旅の中で失われていた旅の「自由」を、Google Mapsと断絶するという「制限」によって取り戻した感覚を味わいました。

そして同時に、気づかないうちに、ある種強制的に、便利なものを生活に取り入れさせられていた事実に違和感を感じ始めました。


不便であることで、得られる益

何か制限を加える(=Google Mapsを使わない)ことで、
体験が良くなる(=素敵なレストランに出合った)こと。

そんな出来事について考えているとき、出合ったのが「不便益」という言葉でした。

不便益とは、その名の通り「不便であることによって得られる益」のことで、京都大学デザイン学ユニット教授の川上浩司氏が最初に提唱した考え方です。
それは、「あの頃は良かった」といった懐古主義でもなく、テクノロジーにまみれた世界を否定する考え方でもない、単純に不便がもたらすベネフィットのことを指します。

書籍を読んだりいろいろ調べる中で「不便益」をもたらす様々な例が紹介されていました。
そのなかでも一番しっくりきたのは「遠足のおやつの300円ルール」の例です。

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300円という絶妙な制限を設けること(=不便にさせること)で、
ちょっと変わった組み合わせを思いついて友だちに自慢したり、ぜんぶ「うまい棒」にしてみたり、なんだか少し楽しい経験をした人も多いのではないでしょうか。

「不便益というのは“楽しい”とか“うれしい”という根源的な主観なんだと思うのです」(引用:かもめの本棚

人によって300円ルールがなくても楽しめたり、逆にそんなルールがない方が楽しいと思う人もいるかもしれません。このちょっとした不便で「より」楽しくなる人もいれば、そうじゃない人もいる。
この「ゆとり」が、いわゆる「デジタルよりアナログが良い」と言った極端な主張とは違った考え方なのかなと思いました。

良い体験を得るために、なにかを制限する。そんなプロダクトについて少し調べてみようと思いました。


「便利さが飽和するサービス」に「制限」を

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とはいえ、「便利」で溢れかえったソフトウェアやアプリ等のプロダクトにおいても、「体験を制限する」という考え方は新しいものではありません。

例えば、Twitterも文字数を制限することで、140字(英語は280字)の短いテキストで伝えなければならない、という制限を設けたことで、当時一般的だったブログや記事の体裁と大きく異なった、情報発信の体験を生み出しました。


Dispo - 「写真撮影」に制限

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話題の写真SNSアプリ「Dispo(ディスポ)」もまさにそんなプロダクトの一つです。
使い捨てカメラ(Disposable Camera)から着想を得たアプリで、すべてのDispoで撮影した写真は翌朝の9時に一斉に「現像される」という仕組みが大きな特徴の一つとなっています。

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プロダクトが生まれたきっかけについて、Dispo創業者のデイビッド・ドブリック氏はインタビューの中でこう語っています。

...デイビッドさんはこの話をしているときに、特に強調したのはパーティー中の使い捨てカメラの使われ方。元々はスマホのカメラだとどのフィルターを使うか、ライティングの調整、顔の角度などを気にする人たちが、使い捨てカメラだと確認できないので撮ってすぐにみんながワイワイしている現場に戻ってくること。
これは、彼がいう「Living in the moment(この瞬間を生きる)」が本当に実現された瞬間だった。今友達や楽しむ時間を満足できるのはすぐに映えた写真を取れるスマホではなく、使い捨てカメラなんだと気づいた。(引用:Off Topic

撮った写真をすぐに見ることができないという制限を設けることで、
今撮った写真がどう仕上がるのか楽しみになったり、実際に仕上がった写真を見て、予想外の作品に仕上がるといったセレンディピティを味わう...そんな体験が、人気の理由の一つとなっているようです。

撮った瞬間に写真が見れて、フィルターやスタンプの種類も豊富で、「便利すぎてしまった」Instagramを、「便利」だと思えなくなったユーザーたちにとってこういった体験の制限が刺さっているように思います。

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(写真)実際にDispoで、酔っ払ったときに撮ったり、近所を散歩しているときに何気なく撮ってみた写真。友だちといるその空間を楽しんだり、散歩しているときにインスタのフィルター選びに熱中しなくなったり、この制限がすごくポジティブに作用しているように感じました。

まさに、「今撮った写真が見れない」という制限が、インスタのフィルター選びに熱中していた自分を自由にしてくれたと感じました。


大江戸今昔めぐり - 「地図」に制限

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Dispoとはかなりテイストが変わるのですが、「大江戸今昔めぐり」というアプリも、不便にすることで益を得られるアプリの一つです。

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これは私が大好きなライターの岡田悠さんが、著書「0メートルの旅―日常を引き剥がす16の物語」で紹介されていたことがきっかけで知った、江戸時代の古地図で今自分がどこにいるかがわかるアプリです。

「決めた。一週間、江戸時代の古地図だけで生活してみよう。」
(引用:『0メートルの旅』)

(旅好きなら一度は「便利すぎる地図」に違和感を感じるのかもしれません)

このエピソードでは、現代にあって江戸時代になかった道を使わず、古地図に表示されている道だけを歩いた一週間の記録が書かれています。その中で、立ちはだかる障壁や、その制限の中で出会った素敵なものや人について書かれています。


「便利さ」が飽和している世の中に、制限を加えてみる

もちろん、すべて「不便」にすればよいのか?というとそういうわけではありません。
Dispoの「写真が現像されるまで待たなければいけない」というコンセプトを面倒だと感じる人も多いかもしれませんし、
「江戸にあった道しか歩けない」という遊びを万人が楽しめるわけでもありません。

ただ、これらのようなプロダクトが増えていくことで、「便利さ」が飽和している身の回りを見つめ直すきっかけとなるかもしれない、と。

前述した「不便益」をすすめる川上氏が運営する「不便益システム研究所」では、そんな益をもたらすかもしれない不便のヒントが書かれていました。

▼ 益の得やすい不便12種

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画像:不便益システム研究所

まるで「良いUI/UXを実現するための原則」と真逆の内容が書かれているかのようです。
もちろんこの不便益のヒントがどのプロダクトにも使えるわけではありませんが、
無意識に「便利さ」を強いられるこの時代に、新しい価値を提供するものづくりのヒントになるかもしれません。


プロダクトの「自由」が人を制限し、「制限」が人を自由にする

自由になりすぎてしまったプロダクトが、人の自由を制限しているかもしれない。しかし逆に、制限を加えることで、自由になるきっかけを与えることもできるかもしれない

そんなことを思いながら、このnoteを書いてみました。長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!

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余談ですが、書きながら、私が旅好きになった原点の本「深夜特急」で、
旅を通して「自由」になっていくという表現が使われていたことを思い出しました。

風に吹かれ、水に流され、偶然に身をゆだねる旅。そうやって〈私〉はやっとインドに辿り着いた。カルカッタでは路上で突然物乞いに足首をつかまれ、ブッダガヤでは最下層の子供たちとの共同生活を体験した。ベナレスでは街中で日々演じられる生と死のドラマを眺め続けた。そんな日々を過ごすうちに、〈私〉は自分の中の何かから、一つ、また一つと自由になっていった―。(『深夜特急3 ーインド・ネパール』より)

地図やガイドブックに縛られない、そんな自由な旅ができる日を心待ちにしています...。



▼ 参考書籍


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