イヨっぺビームに撃たれた僕は

こんにちは。花巻です。
私はマンガを描いている者です。

よく聞かれる質問で「どのマンガに影響されたの?」というものがあります。
私は『アニマル横町』という作品に憧れてマンガ家を志しました。
今日はそんなお話です。

私がアニ横に出会ったのは幼稚園生の頃。
友達の家で見たアニメがきっかけでした。
「イヨっぺビーム!」と言いながらウサギが耳からビームを出していました。
当時の私には衝撃でした。
そのビームは私の心に突き刺さったのです。

それから、私はアニ横をかかさず毎週見るようになりました。
火曜日は幼稚園からそのまま友達の家で預かってもらう日だったこともあり、毎週毎週友達とアニ横を見ては真似っ子をして遊んでいました。
それから、私は友達に「アニ横にはマンガがあるらしい」という話を聞きました。
これが、私と『りぼん』の出会いです。

私は兄たちがジャンプやコロコロを読んでいたことを知っていたのでマンガというものが存在していることは知っていました。
母に「アニ横が載ってるマンガを買って欲しい」と、毎月りぼんを買ってもらえるようにお願いしました。
お小遣い制度がなかった我が家では月に1度のりぼんがお小遣いの代わりでした。
そこから中学生にあがるまで毎月3日になると本屋さんへ走ってりぼんを買って大切に読んでいました。
幼いながらも、マンガの凄さを実感しました。
マンガを通してたくさんの人を笑顔にしたり、ドキドキさせたり、疑似体験させたり。
ほどなくして私はマンガに魅了されました。

私がりぼんを読み始めた頃、『C♥C♥C』や『紳士同盟†』などが連載していた頃で、小学生にあがる前の私には少し過激で難しい内容でした。
それでもマンガに魅了された私はりぼんを買ってすぐに隅から隅まで読むようになりました。
柱書きや目次の作者コメントまで読んでいました。理解こそできていなかったけど、読んで満足していました。
アニ横はそんな中でも可愛くて分かりやすくて楽しく読んでいたことを覚えています。
私はそこではじめて「マンガ家」という職業を意識し始めました。

それまで短冊に書く願い事は「幼稚園の先生になれますように」でした。
身近な大人は幼稚園の先生だけだったので将来の夢を描きやすかったのだと思います。
しかし、私はアニ横に出会いりぼんに触れマンガ家を意識してから
「マンガ家になれますように」と書くようになりました。

小学校の頃の作文にも「マンガ家になりたい」と書いていました。
その頃にはアニ横の作者が前川涼先生という方であることを理解していました。
作文にもその名前がしっかりと書かれていました。

そんなある日、りぼんを読んでいると前川涼先生がTwitterをはじめた、とコメントで書いていたのを見つけました。
当時はまだTwitterが今ほど浸透しておらず小学生の私は聞き馴染みの無い言葉に首を傾げました。
アイコンも四角でしたし、いいねもお気に入りでした。
まだスマホすら普及していない頃でした。
私は、前川先生がやっているTwitterとはどんな物なのだろう、と覚えたてのパソコンを使いアカウントを作りフォローしたのを覚えています。

フォローしてすぐ私は前川先生にリプライを送りました。
「私は前川先生に憧れてマンガ家を目指しています。いつか一緒にお仕事出来たら嬉しいです。」
たしかそんなような文章でした。
つたない文章だし、突飛な私のリプライに前川先生は返信をくれました。
あの時は本当に嬉しかったのを今でも覚えています。

それから、私はキャンパスノートに鉛筆でマンガと呼ぶには程遠い、読み切りマンガを描きました。
内容は殺し合いをして神様を決めるという、全くりぼん向けではない話でした。
凄く絵が下手だったし内容も意味不明だったのに、何故か自信満々で描き上がったことが嬉しくなって、友達に読んでもらいました。
その時なんて言われたかは正直覚えていません。
でもきっと、今思えばリアクションに困っただろうなと思います。

小学校高学年にあがると周りのみんなは次第にマンガ雑誌を卒業してファッション誌を読むようになりました。
ケータイを持ちケータイ小説を読む子も多かったです。
私はませガキだった事もあり、なんだか自分だけ取り残された気分になって、大好きだったりぼんを卒業しました。
ちょうど『MOMO』が連載を終える頃でした。

りぼんを卒業した私は、ファッション誌にすぐに移ることもできなくて、しばらく何も読んでいませんでした。
マンガはそれ以来単行本で買うようになりました。
年に何回か出るりぼんスペシャルという増刊号で読み切りを数作読みもしましたが、毎月購読するようには戻りませんでした。

中学生に上がってからある事がきっかけで私は絵を描くことが嫌いになりました。
今まで声高に言っていた「マンガ家になりたい」と言う言葉はいつの間にか胸の奥底に隠すようになりました。

(ある事の詳細が気になる方はこちら↓)

マンガ家になりたいけれど、これを口にしたらバカにされる。
そう思った私は「出版関係の仕事につきたい」と濁すようになりました。
出版関係と言っていたのは、憧れの前川先生とどうしても一緒に仕事がしたいという捨てきれない思いがあったからです。

高校生なってからも、夢を隠すという行為は続きました。
小論文でも部活の顧問に聞かれても進路相談の時も、私はうまく自分の夢を説明できませんでした。
家族だけは私がマンガ家になりたい、と思っていることを知っていました。

高校2年生の2月、近所の焼肉屋さんで私は家族と進路の話をしました。
私は4年制の大学に行きたい、そう伝えました。
この頃、私は模試で第1志望校のA判定を貰っていました。
しかし、いろいろな問題があり大学に行かせられないと言われ、私はその事で両親と大喧嘩しました。
焼肉屋を飛び出した私は家に帰り、自分の部屋にこもって布団にくるまり1人で泣きました。
一晩中泣いて、泣き疲れてそのまま眠りにつきました。
次の日は体調が悪いと仮病を使って学校を休みました。

その次の日、家族が起きる前に家を出て学校に行き、担任に「大学は目指せなくなった」と伝えました。
担任は「ゆっくり親と話して、もう一度決まってから話を聞かせて欲しい」と言いました。
帰宅後、私は母親と話し合い
母親から「大学は通わせられないから、マンガ家を目指すならマンガの専門学校に行くのはどうか」と提案されました。
この時に私は「やっぱりどうしてもマンガ家になりたい」と強く思い、担任にもそう伝えました。

私はこの時、はじめて担任に「マンガ家になりたい」と打ち明けました。
担任は「本気でなれると思ってるのか」と聞いてきました。
私はこの質問に動揺して「分かりません」と答えました。
正直、今でもこの質問には「分かりません」と答えると思います。
だけど、なれないかどうかも分からないのだから、少しでも賭けてみたくなったのです。

私は帰り道、本屋さんに寄りました。
久しぶりにマンガコーナーをじっくりと回っていろんなマンガの表紙を眺めていました。
飛び込んできたのは『アニ横』でした。
ちょうど17巻の発売前でした。

なんやかんやあり、私は高校卒業後は専門学校に通い始めました。
そこでもド定番の質問として「好きなマンガは?」や「影響されたマンガは?」といったものがあります。
ぶっちゃけ、私はマンガについて詳しくありませんでした。
ちゃんと購読していたのはりぼんだけだし、話題作とか有名作とかはそれほど読んだことがありませんでした。
だから私はこういった質問に対して「アニマル横町です」以外に答えられませんでした。
尊敬するマンガ家を聞かれても「前川涼先生」以外に思い浮かびませんでした。

私は専門に入学後周りの同級生たちのレベルの高さに
このままじゃダメだと思い、真剣にマンガと向き合いました。
私が目指すマンガについて改めて考えました。
普段読まないようなジャンルのマンガを読んだこともありました。
でも、何度考えても脳裏にはアニ横がチラつくのです。

私はやっぱり、前川涼先生と仕事がしたい。
同じ雑誌にマンガを載せたい。
一生かかっても叶えたい夢を再確認した瞬間でした。

私は今でもあの日見たイヨっぺビームの衝撃が忘れられません。
イヨっぺビームに撃たれた私は今もまだ、アニマル横町に繋がるトビラを探しています。
まだ見つかっていませんが、いつか必ず見つけます。

何年かかるか分かりませんが、私も私の世界のトビラを誰かに開けて貰えるように。

今日はこの辺りで。
最後まで読んでくれてありがとうございました。

この記事が参加している募集

忘れられない先生

好きな漫画家

よろしければサポートお願いします。サポートしてくださった方に後悔は絶対にさせません。進化する私を見てください。