才能がない

今から8年くらい前、シナリオライターとしてぽっきりと折れてしまいそうな頃があった。

ちょうど、前の会社を辞めようか考えている頃で、メンタルはもうズタボロだった。

まあまあ過酷な働き方をしていたので、新規ゲームのリリースの時は残業を100時間レベルでこなしていた。
お金より睡眠時間がほしくて、書いても書いても納得がいくものが生まれなくて、
こんなゴミを世の中に出すくらいなら死んでしまいたいとそう思う夜もあった。
今思うと、だいぶ疲れていた。

その頃の私の上司は、ゲーム畑とは違う場所から来た、少し変わった人だった。
私は、昔から自分の心のうちを明かすのは苦手な方で、どうしたって人とうまく話せないのだけれど、その上司とは気が合って、よくふたりで話をした。
私には書く才能がない、と打ち明けたりもした。

シナリオライターになってから、さまざまな人と仕事をしたけれど、年数を重ねるうちにわかってきたのは、自分が凡庸であると言うことだった。

面白い話が書けない、売り上げが上がらない、ファンを繋ぎ止められない。
今年でもう11年目になるけれど、おそらくシナリオライター人生は後悔の方が多い。
あの時、ああしていれば。こうしていれば。
思い返しては、できなかったことを悔やむ。
その繰り返しだった。

もちろん、とてつもないものを作ってやろうという、野望がないわけではなかった。
いつだって、ほしいものはあったけれど、力が足りなかった。
才能が欲しい、センスが欲しいと、大泣きした夜もあった。上司の前でも泣いた。有名になっていく同僚が羨ましかった。

2012年の9月にシナリオライターとして活動を始め、あっというまに10年が経ち、
11年目の今年、また新たな壁にぶつかっている。

凡庸さ、不器用さ、至らなさ、あらゆるものが押し寄せてきて、
今日も、苦しいなら書くのをやめたらいいと脳が囁いている。

私には書く才能がない。
あの日泣きながら上司に言った言葉が、呪いみたいに頭の中でぐるぐる回る。
それでも、締め切りはやってくるから、才能がない自分と向き合いながら、今日も文章を作っている。

自分の凡庸さと臆病さに呆れながら。
才能が欲しいと、嘆きながら。

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