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【絵本屋さん日記】 omamori の早朝オープンの話①

omamori を朝6時からオープンする日がある。週に3回ほど。まだその時間をなんて呼んだらいいか、決められていない。


最初の2時間は私語厳禁(厳禁、という言葉は少し強いのだけれど)。
普段はにぎやかな店内も、ここでは黙々と静かに、自分だけに向き合う時間へ。それぞれ、パソコン作業をしたり、絵を描いたり、縫い物をしたり、積んでいた本を読んだり。

その後の30分は、来てくれた方どうしで、朝の時間でやったことや、いまやりたいこと、最近の悩みなどを、ゆっくりおしゃべりしている。気まぐれで置いているバナナや茹でたまごを食べながら。

この30分間は参加必須ではないので、途中で帰宅しても問題なくて。でも、わたしはこの30分が好きだなと思う。いま、1ヶ月ほど早朝オープンを試してみて、「なんだかいい朝だったな」と思える日がとても多い。

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ある日、その30分間のなかで、「わたしたちは社会課題に対して、どの程度向き合うべきなんだろう」という少し難しい話になった。予定していたわけではなく、ふと話の流れから、そんなトピックになったのだ。遠くの国の戦争や暴力、当事者ではない社会的なマイノリティのことが挙がる。

向き合わなくても生きていけるよね。向き合いすぎて疲れてしまうこともあるよね。「ニュースって見てる?」「見てないな」。わたしたちになにができるのかな? なにをしない方がいいのかな。

難しい話だけれど、やさしい言葉で。
それぞれがゆるやかに自分の言葉を紡ぎ、そして耳を傾けていた。

「当事者意識を持とう!」「見て見ぬふりをしてはいけない」と言われる世の中(だと感じる)において、その30分間は、誰にも評価や審査をされない、小さな本音の場所であった気がする。少なくともわたしは、社会からの眼差しを気にすることなく、そういったものへの向き合いづらさや「本当はこうしたい」という、普段あまり人には言わない気持ちを話せた気がする。

そして他の人の話を聞きながら、自分が omamori というテリトリーのなかで、そういった社会課題からあまりにも距離を置いて暮らしていることに気付かされて。

一方で、どんな人でも omamori のお客さんでいてほしいと願うのであれば、自分に関係のない世界なんてないのだと、姿勢を正し直す。本屋という立場において、自分の場所のつくり方や、ひらき方を、改めて見つめることができた。

もぐもぐとバナナを食べながら、とりとめのない世間話をする日もある。おもしろくて笑い合う賑やかな30分間も、言葉を噛みしめ合う静かな30分間も、全部好きだなと思う。なにも求めていないし、求められていないから、寝起きのままのすっぴんの心で、わたしもわたしの言葉を話す。

朝という特別な時間を、誰かと同じ空間で過ごせるって、普段あまり無いから。そこにもなんだか満たされているのかもしれない。7月も週3程度で続けていきたい。


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