2.1型糖尿病がわかった日のこと①

 ちょっとした違和感は、数ヶ月前からありました。
 水を飲む回数が、少し増えていたんです。

 ただ、暑くなる時期でしたし、息子は自閉スペクトラム症のグレーゾーン。
 水に対してこだわりがあるのかな? と考えていました。

 あともう一つの違和感は、幼稚園の検尿。
 こちらは尿糖が少し出ていたんですよね。
 医師からのコメントで「気になるようなら受診を」とあったので、様子を見ていました。

 というのも、第7波の真っ只中のせいか小児科に電話が繋がらないほどで。
 切羽詰まっていないのなら、コロナにうつるリスクをとりたくないなと思ってしまったのです。

 様子を見るなかで、1型糖尿病というワードが頭を過ぎったこともありました。
 けれど「まさかウチの子が、そんなまれな病気になるわけない」と否定していたのです。


 受診を決めたのは、おもらしの回数が増えたのと、水を2〜3時間に1回は必ず飲むようになったから。
 確実に「おかしい」と思ったのは、こんなに水を飲んでいるにもかかわらず、うんちが柔らかくならずコロコロと硬いものが出ていたからでした。

 幸いなことに、その日は小児科のクリニックがすいており、すぐに尿検査をしてもらえて、医師から結果が伝えられました。

 尿から糖が4+検出。ケトン体も出ていました。
 こんなにも糖が出るのは異常で、ケトン体なんて普通尿から出るものじゃありません。

 ――あぁ、糖尿病だ。

 そう思った瞬間、いまのことよりも未来のことを考えてしまって、絶望感に襲われました。

 こんなに小さいうちから一生インスリン注射の生活をして、生活を制限されて。(実際は、生活制限は不要です)
 友達から仲間外れにされるかもしれないし、仕事や結婚もハンデを背負ってしまったのかもしれない。
 合併症が出てきたら、ますます辛い思いをするんだろうな……
 なんて、まだ起きてもいない未来のことを考えて、将来を悲観していました。


 ショックで呆然としているなか、先生は1型糖尿病の可能性が高いと言い、血糖値を測りました。
 値は500。さぁっと血の気が引きました。

 病院での勤務は退きましたが、それでも仕事で血糖を測ることはあります。
 そこでも、500なんて値は見たことがなかったのです。

 著しい高血糖でどうなるか。
 看護学生時代に習ったことがあります。

 ひどい場合は昏睡(意識消失)に陥り、死に至ることもあるのだ、と。

 病気がわかって苦しいのと同時に、昏睡に陥る前に受診できたことにホッと安堵しました。
 いまはコロナ禍です。
 倒れた時にすぐ救急車が来てくれるとも限りませんし、搬送先があるかもわかりません。

 不幸中の幸いだなと思ったのもつかの間、先生は深刻そうな顔でこう言いました。

「入院が必要です。専門の先生がいる病院の二つのうちの一つにあたったら“コロナ禍ですし、退院まで会えないことも覚悟してください”と言いました。入院期間は分かりませんが、長くなると思います」と話しました。

 とにかくこれが一番きつかったです。
 病気になって注射生活が決定しただけではなく、一度もママと離れたことがない息子がはじめての入院。
 しかも、いつ退院できるかわからないし、その間ずっと会えない。

 四歳になったばかりの子が、親から離れてこんなにつらい状況を乗り越えなければならないのか。

 それを考えるだけでも、心がズタズタに裂けてしまいそうでした。
 泣きたいけれど、泣いている場合じゃないのもわかっていて。
 子どもを不安にさせたくなくて。

 涙をこらえながら震える声で「もう一つだけでいいので、病院をあたってもらえませんか」と尋ねました。

「いまはコロナ禍なので、入院できるだけでありがたい状況です。けいれんくらいじゃ搬送してもらえない時期になっています。すみませんが同じような返答かもしれません……」

 先生はそんなふうに話しつつも、連絡してくれることになりました。

 主人に連絡をしたら主人もひどく動揺していましたが、仕事を中断してすぐ来てくれることになりました。


 ずんと重い心のまま控室に戻るとすぐに先生がホッとした顔でやってきてくれて。

「こっちは、面会2時間まで可だそうですよ!」

 そう話してくれたので、よかったと少し心が軽くなるとともに、新型コロナウイルスやそれを軽く見てまん延させている方たちへの怒りが静かに溢れていました。

 

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