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世間の風潮にしがみつく

 朝いつものようにジムに向かって自転車を漕いでいると、赤いランドセルを持った男の子を見かけた。それを見た私は時代だななんてなんとも時代錯誤な感情が芽生えた。私が小学校の時はなんて言葉で書くと自分も年老いた感じがして少し寂しくなるが、男の子は大半が黒で女の子は赤のランドセルだった記憶がある。ランドセルを選ぶ際に、突飛な変わった色を選ぶという考えでもなく何となくで選んでいたのでそういうものだと感じていた。

 それと同時に私がまだ時代に柔軟に対応しきれていないなと痛感させられることになった。多様性だとか個性だとかそのような言葉が近年飛び交う機会や場面が多くなっているが、時代に合わせて何となくで使っていただけでその本質を理解していなかったことが露呈してしまったのである。こういう言葉が蔓延っているから使っているなんて言葉が多々存在しているのだなと少し考えさせられることに。

 多様性や個性を大切にとは一体どのようなことだろうか。私は最低限周りには気を配りつつも、自分の意思を尊重して世間と付き合うことではないかと考える。よく会社の付き合いや学校における人付き合いの場面において多様性や個性というを濫用して、食事や仕事上の付き合いを必要以上に避けたりしてしまう風潮に一石投じる。勿論本当に嫌なら話は別であるが、周りがこうだからとか理由付けを他人に押しつけたり、穿った見方で初めから否定的に物事を捉えてしまう事が個性的や多様性という言葉で片付けてしまうことに私は待ったをかける。自分の意思を尊重しつつ、けど社会に順応していくには少しは気を配って生きて。その上でこのような言葉の本質が問われていくかと感じる。

 拙い文章ではあったがふと見かけた何気ない光景から自身の認識の甘さと無知さに気づかされた一幕であった。
お読みいただきありがとうございました。

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