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左官を”道”にしてみる

今回は世代間ギャップについて思うことをつらつらと書いてみました🥰


世は個別最適化の世の中

便利な世の中になったものです。スマホで動画を見ていれば
「あなたこんなのが好きなんでしょ?」みたいに勝手にレコメンドしてくれる。
おかげで自分にあった傾向と対策がガンガン提案されるので、飽きてくるんですよねw
なのでたまにシークレットモード(アカウントを解除)で見たりします。
こうなると、ラジオとかテレビの方が。。。。と言いたいけど
どうもテレビだけは肌に合わない感じがします。
ネガに引っ張られるというか。どうもやる気がみなぎる情報というが
少ないような気がします。ほとんど見ていないので偏見でしかありませんがw
とまあ、私の子どもたちもyoutubeばかりですよ。
これがちょっと恐怖でもあるんですよね。
一度見て興味が湧いたものは、怒涛の如くレコメンド。
小学校三年生の末っ子なんて、みるみる言動が変化するのがわかりますw
これはちょっといかがなものかな?と考えだしました。
これだけコンテンツにあふれているにも関わらず、以外と若い世代って
「暇なんじゃないの?」とも最近思います。

夢中になるものを見つける難しさ

中学生の長男も、ちょっと前まではゲームに夢中だった(のでまだ安心だった)のに、今や友達と何の目的もなく遊び歩いている感じ(悪いことでもないけどね)
末っ子も家に帰ってくれば動画三昧。
こんな情報や娯楽があふれている社会でなんて不幸な。。。。
という私は仕事と家の往復という非常につまらない状況であることが悪の根源だと気づきましたw
いや、難しいよね。夢中になることを見つけるのって。
学校も強要することが出来なくなったようで、部活に参加してもしなくても
本人の自主性に任せるとのこと。そりゃ思春期のグラグラの時には
心もグラグラになっちゃうよなぁぁぁぁ。。。
個別最適化って生きるの凄い難しいんじゃないの?
確たる個が固まっているならまだしも、
人格形成の途上で最適化されると、グラングランしちゃうよ。。。
そんな風に思いました。

なので、やはり大人は面倒くさい存在であったほうが良い。

若者のこのやるせなく難しい社会で生きていことに対して、その存在を認めて承認して、応援してあげることが良い。と思っていましたが一周回って
「最適化してやるものか。」と頑固じじぃ宣言でありますw
やはり年齢に応じてしかるべき道というかなすべきことが自然とある気がするのです。50年近く生きてくると。
人格形成をしている幼少期から思春期は、環境に左右されるので
「親ガチャ」と言うみたいですが、環境に恵まれないとしても
まだまだ挽回できる可能性と時間は残されているので、環境のせいにしない方が良いと思う。
その後、教育の現場で「皆なかよく」「いじめはいけません」「個性を尊重する」と言われる割には、そうならない。
ましてスマホを覗けば自分の世界が無限に広がる。個別最適、万歳である。

ただ、個別最適化だった環境から一変、社会にでると「環境に適応しろ」と言われるw。これは可哀想だなと思うw 
ギャップが激しすぎるもの。
ただここで運命の別れ道。
この時に、既に環境を見極める力があって、自分の存在を俯瞰してみることが出来、変化自在に自分を操り自己成長出来る人を「才能のあるやつ」と称するのだろうと思う。
ただ、大半は環境が今まで自分に合わせてくれていたのでそうはならないのだろうと感じた。

その差は夢中になることがあることなのではないだろうか?

環境がいくらなんと言おうと夢中になれるものと出会えたら非常にラッキーだなと思う。
しかも自分の直感を信じて、周りにどういわれようと雑音が入らないほどの夢中度合いだと非常に良いのだろう。
ただそれはほんのごく一部の人間だけが出会えるものなのだろうとも思う。
なので凡人の私は、今まで夢中になれたようななれないようなw
のらりくらりと生きてきて、生きてきたら自然と積みあがっていたキャリアを俯瞰してみると、以外と今ワクワクしたりしますw良い年のおっさんがw
なので、長く続けることも非常に有効だと思います。
何に対して?
自由に生きていくのにです。

一つのことを淡々とやっていくことで見えるもの

ただ黙々と同じことを淡々と続ける。。。。
私そういうタイプではないと思っているのですが、
気が付いたらそうなっていました。自分の事は本当によくわからないですね。
一つの事をやり続けるメリットって、自分の行動の軸が出来てくる。
そうなると、環境とか、自分の心とか、体とかの調子の良し悪しが把握できてくる。
今、子どもを見ていると、あからさまにゲームに対してイライラを爆発させていたりw 感情むき出しで生きているんだなぁと思います。
それに対して、大人になるってこれをもう一つ上の自分が俯瞰して見えることなんだなと思うのです。

感情に振り回されてしまうと、環境に振り回されてしまい、
人生を手放すことになってしまうので、この握力はつけた方が良いと。
自由に生きるのならそう思うのです。

職人の世界は人格形成にも役立つ

最近つねづね、建築業界の人材育成の時代遅れ感は半端ないよな。。。。と
言っており、そう思っておりましたが、いやいやまだまだ私鈴木、
ひよっこでありました。
職人の育成と、戦後の高度成長期で出来た「職人育成スキーム」はまったく別物だということが最近分かりました。面目ない。
時代遅れの育成は、「序列の優位に立ちたいがために、下の者に厳しく指導する」これが、悪しき職人育成スキームだと思います。
簡単に言えばパワハラw これと、職人を育ててきた伝統は全くの別物だと理解しました。

職人の世界にも道がある。

なもので、一度職人の育成過程を、茶道・華道・剣道・居合道・合気道・柔道などなどと同様に、修行の過程で得られる心の訓練を体系化して「職人道」と言うものがあってもいいのではないか?
先述の職人育成スキームと分けるためにもそのことを分かりやすくした方が良いと思う。
私が経験してきた奇跡のような出会いで得られた経験。
そのお陰でとんでもないことが実現できたり、反面。
なかなか人と価値観を共有することが難しくなってしまったことwなども
今となっては「ああ、なるほどなぁぁ」と感じております。
指導者としてまだまだ半人前なもので、いずれそのような道を
話せるような人物になりたいと宣言しまして今回はここまでとさせていただきます。


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