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私にとっての "社会彫刻" とは。

「みどり荘」こそがまさしく私なりの社会彫刻である。

(ちょうど『みどり荘こそがアートじゃん』なんてことを社会彫刻の話を知らない人から言われたもんだから調子に乗って書いてみている。)

「みどり荘」とは、現在私、平井佐季が大分県佐伯市でリノベーションで作っている、ある場所のこと。

そこは60年以上前、当時は産婦人科の病院としてこの建物は建てられた。その後、地元高校生や、青年部、看護師など、様々な人が住む寄宿舎として機能した。寄宿舎の後、ゲーム屋もテナントとして入り、公文の教室としても使われていたが、使う人がいなくなってからは約20年弱空き家になっていた。
立地としては佐伯市内のなかなかの中心部にあり、佐伯市のシンボルである城山(佐伯城跡が山の上にあり、15分ほどで登れるので市民が毎日歩いている。)の麓、1本道路から細道を入るので、分かりづらく、静かな場所だ。よく田舎の人からは「あんなところ分かりづらいし車で停めれるの?」と聞かれるけれども、「分かりづらくて、入りづらい、歩いてくるからこそここが良いんです」って返す。

ここ「みどり荘」は、私、平井佐季が今まで生きてきた過程で違和感に感じることを解消する場所。心地が良いと思ったことを行う場所、一人じゃどうしても甘えてしまうことを誰かと一緒に選択して実行する場所。誰かの正義や、自分の正義を試す場所。

簡単な機能は、シェアハウス、コワーキングスペース、図書室、ワッフル屋さん、シェアキッチン、畑体験、ギャラリーイベントの開催など。

原体験は必要ないとあるビジネス本で書いてあったが、私にとって、「みどり荘」の定義を決める上でまだまだ原体験は大切な位置に置かれている。
■原体験1
「親の言葉が正解だ」という育ち方をしたし、周りもそうだった。そして、自分の苦手を認めること、自分のいいところを認めることがとても苦手という育ち方をした。(これは誰のせいでもない。親のことはとても尊敬していて好きだしね。)
■原体験2
幼稚園から高校まで私立の環境で、世の中一般の「普通」を知らない。小学校で4年間あったいやな思い出(相手はそのつもりないけどいじめっぽくなってたみたいなの)を人に言えたのは高校生になってから。
■原体験3
博多の花屋の娘で、福岡の2大祭りには物心ついた時から出ていて、「商売」と「祭り」と「地域」の密接さを感じていた。ちなみに屋台のコミュニティの作り方も自然と学んでいたと感じている。
■原体験4
広告代理店の営業をしていて、要領が悪く激務で軽い鬱っぽくなり、自分を殴ってしまうし、刺してしまいそう包丁が持てない体験をした。
■原体験5
本格的な水上スポーツの選手をしていた時に大きな怪我をして、休み、体を作り直したことで、自分の目標を達成する。ここで、ようやく時間の使い方を知り、「休み」は必要だということを知った。
■原体験6
田舎暮らしをしていた。農泊など「人の休み」=「自分の労働」(逆も然り)になることにも気付き始める。「休む」の定義について考えるきっかけに。
ここで、思い出されたのはジブリ映画「おもひでぽろぽろ」だった。
主人公タエ子は子供の頃田舎を持たないことで、田舎への憧れを持つ。大人になって東京でOLするたえ子は10日間の休みをとり、姉のおかげで持つことができた秋田の田舎へ紅花摘みを体験しに行く。わざわざ早朝からの作業をするために休暇をとる。
そこでたえ子は嫁に来ないかと滞在先のおばあちゃんに言われハッとする。自分がただのいいところだけを体験する都合のいい人、田舎をバカにしていたということを。
これぞ当時の私だと感じた。でも、それでもいいじゃないか。とひらきなおったところもあり、これがOKだと言える場所を農家民泊よりも、フラットに、深く体験できる方法とは何かと考える。
■原体験7
人の家に居候していた時に気づいた、自分の未熟さ。子供のような私を卒業するにはどうしたらいいのか。できないを認めるのか、いいところを伸ばすのか。
■原体験8
ゴミが出ない下郷映画祭で、裏方をやった時。担当は皿洗いと漬物バー。出店者は皿なども使い捨てではないものを使う。漬物バーでは、漬物と漬物を作った人の地域と名前が皿に並んで、食べ放題。
■原体験9
一週間でゴミがコンビニのスーパー1袋しか出ていない時期に、「ゴミを出さない」ってすこぶる楽なんだ!ということに気づく。これもまた人の家に居候していた時。
生ゴミは畑へ返す。当たり前のことだけど、畑と縁がなかった自分はぐるっと一周して循環させることが気持ちいいということ学ぶ。ちなみにお肉や魚は食べるけど、ごみは他の人が捨ててくれていた。
■原体験10
ゴミ出さないことが楽なのに、仕事や環境、忙しさ次第で自分は簡単にゴミを出すチョイスをするし、休まなくなってすぐ甘えてしまうが、実は罪悪感に駆られている。

以上ここでは語りきれないが、様々な体験から以下のことに魅力を感じており、みどり荘で提供していっている。
新しい場所を作るのではなく、リノベーションで。みんなで作り上げることで人の場所ではなく、自分が作った場所に変換んされるのも、その街を考えるきっかけになっているのではないか。産婦人科だった当時にこの場所で生まれた人と一緒にリノベーション作業をし、一服する。そんなことも実際に起きていることが社会彫刻である。
畑で自分が作った野菜をシェアハウスで食べたり、シェアキッチンで何か自分で提供するという豊かな体験もできる。畑体験は休むと労働の境目のグレーさを感じたり、ぐるっと一周回る循環を意識した暮らしの体験につながる。
何かを実行するときに、なるべくゴミが出ない方法を取ろう、土にかえるものをチョイスしようということをまずは仲間と語る。


コロナの時代でわかった働く場所の自由化。私たちは地域創生で地域に所属しているのではなく、何をどう選択するかの属性で生きる場所を選んでいるのだということを、みどり荘を使って体験してほしい。地域愛を育てることだけが弥生文化と縄文文化の両方の側面で豊かにするわけではないということを、博多愛と、佐伯愛の強い私は身を以て知った。

私の “社会彫刻”  は「みどり荘」である。


旅する学校おおいた 1.13 課題
みどり荘 平井佐季

(支離滅裂でごめんさい。)

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