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大統領選と下降するエネルギー。

下降するエネルギーに乗るときです。

キラキラの笑顔でそういわれたとしても、その言葉の上辺だけをなぞるとすぐには理解できなかった。けれど、明日の大切な選挙戦を前に、日々、起こっていることを見返し、少し離れた視座から見渡すと、たしかに、と一息つきたくなることばかりだ。

11月1日付で、全米で過去最多の投票率を記録した翌日、まず目に留まったのが「NYTimesのスクール ニュース(プリスクールから大学まで、パンデミックの間に日々変化する全米各地の教育の体制や生徒たちの動向、新しい動きをリポートしている)」。この記事では、これまで「政治に無関心」と括られてきた若者たちの新しい選挙への関わり方が報じられている。この記事を読みながら、思い出したのは”下降線”のパワーであり、エネルギー。だからこそ生じた、彼らの上昇気流なのだ。その具体例を見ていくとする。

投票権がない高校生でも、政治のためにできること

2018年時点で、全体の6割が61歳以上の高齢者を占めていた投票所係員が、今回のコロナパンデミックの影響よってハイリスクな同世代は激減し、代わりに急増したのが高校生から大学生たち。

「ある種、国への義務感を感じているから」というのは、彼の祖母が長年、投票所係員に身を捧げてきたという法学部の学生である。

「世論調査を確実にするためにはどうすればいいのか? 私は物理的にできることがあるわ」 

そう語る女子大学生は、投票所で働きたい旨を教授に伝え、授業を休む代わりに録画されたものを後で見て補填すると自ら取り計らった。個人的には、自分の優先順位をしっかりと諦めずに行動した彼女と、それを快く柔軟に受け入れ、彼もまたきっと教授としてのみならず、この国に参政する一人の人間として決断したのではないと想像する。

ある17歳の高校生は、投票権を得る前に投票所係員として働くことで、政治へのコミットと責任感を体現していた。Timesは「彼女はただやるべきことをやっている」と自分軸で決めた女子高生の活動を冷静且つ端的に語っていた。

どれもこれも、この4年間があってこそ、そして、前大統領選への不参加の反動として起こった、参政への高まる意欲だ。

そして時代を象徴しているなあ、とつくづく感じるのが、彼らの活動のきっかけが、同世代の友人やインフルエンサーが発信するインスタグラムのストーリーやTikTokの動画だったということ。

また記事によると、気候変動や警察の横暴に対する抗議行動のような問題に駆り立てられて、若者たちは大挙してボランティア活動に参加し、さらには政治の中での自らの役割を模索し、受け入れようともしている。

不足したり、落ち込んだり、下降するエネルギーを感じ取ったからこそ生じてきた、若者たちの跳ね上がり、上昇、高まりが、これまで高齢富裕層の独壇場だった選挙という舞台を袖にやり、彼らが主役になりつつある。投票率の高さを押し上げるためにも彼らが感じに感じまくった下降するエネルギーは否定し得ない。

ショーウインドウが板張りの街を眺めながら

ここで個人的なポートランドでの日々のことを重ね合わてみる。日々、スーパーで、コーヒーショップで、ハイウエイの電光掲示板で、家々の窓辺から 【VOTE】の文字が囁いたり、叫んだり、それぞれのスタイルで私たちに訴えかけている。

数週間前、夫のお店はフロントガラスの半分が見事に割られるという被害にあった。幸いにも、盗まれたものは何もなかったが、それはつまり、その行為を働いた者は、何かが欲しかったわけではなく、ガラスを割るという行為自体が目的で、その源には怒りが、その奥底には恐れや不安があったのではないかと思われる。そんな事件にちょっとやそっとで驚かなくなっているご時世、つまり世の中が暴力や破壊や怒りや恐れで、覆い尽くされているようにも思えるが、今思えば必要な下降のエネルギーなのかもしれない。

もちろん、夫も私もとことん落ちた。

応急処置として板を張る会社の作業員たちは、すでに毎日どこかで繰り広げられるこの騒動に、淡々と冷静に、慣れた手つきであったこと。

そんな彼らに「選挙までは新しいガラスを入れないほうがいい(また同じことが起こりかねないから)」と忠告を受けて納得してしまったこと。

それらの現実もまた、私たちを悲しみの下降エネルギーに乗せてくれた。とことんまで落ちてしまえばと占めたもの、なのか。「これ以上、被害にあうことはないね」と少しずつ、上を向き、選挙戦目前の週末には開き直って笑えてきた。

なぜなら、近隣の多くの商業施設が、未然の予防策としてガラス張りのウインドウを板で囲いはじめていたから。私たちは少し先回りしていただけなのか、(黒い板張りの)新しい見た目もなかなか悪くないね、なんて物事を前よりは少しだけ高い視座から捉えられるまでにはなっていた。起こった物事の内側に入りすぎているうちは決して気づかなかったが、一歩外側に出てみると、それは大きな物事の流れに組み込まれていた善でも悪でもない、ただの事柄のようにも思えるのだ。              

統合のための相反するベクトルたち

そして明日。選挙戦の晩は別々のところに住む家族も一緒に、暖炉とワインを飲んで過ごそうよ、と話しあった。バラバラの方向に向いていた私たち家族の矢印もパンデミック以降の下降のエネルギーを存分にたどったからこそ、いま上を向きつつ、互いを支える横への支えにもなってきた。

「下降線のエネルギーの乗ってください」

一見、ネガティブに感じる冒頭のメッセージを伝えてくれたミホさん(実際にお会いしたことはないけれど、大切なご縁で繋がれている方)。その最後を締めくくる下記の言葉は、私たち家族、今のアメリカ、もしかしたら地球全体、その巨大なものを映しだす、一人一人の内側を支える中庸のために必要なエネルギーなのだと改めて納得した。

今、大変な状況を迎えている人々も多いと思います。
でも「辛い時」を知らなければ「幸福感」も感じられないのです。
今、辛い時を過ごしていると感じている人たちは、下降する勇気とそれだけの強さを持っている魂だし、この地球上でより大きな器を創ると決めて産まれてきた魂なのだと思います。
上ばかりでは偏ってしまいます。
綺麗な球になるためには、上も下も横も必要です。
そしてそれは、より大きな球を創るために同等に大事で欠かせないものなのです。


「分断」ばかりに見える昨今の現象も、「下降のエネルギー」の一つ。だからこそこれからの「統合」のエネルギーを加速させているんだろうな、とも。

以前、選挙に興味を持った娘とのやりとりを書いたが、外側に反応せず、いまを生きる4歳児は、明日の選挙戦のことより、暖炉の直火で炙るマシュマロの串焼きに魅了され、興奮している。未来の結果にナーヴァスさを隠しきれず、下降しがちな大人たちのエネルギーを、彼女はいつだってありのままで上昇させてくれる。





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