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自分の喜びのいちばんの源泉

最近「ああやっぱりそうだな」と思うことがある。
それは、自分自身が何が喜びとモチベーションアップと
パワーの源になるかというエネルギーの源泉。

私の場合はやっぱりここが「人」なんだなと。
ここって、そうそうわかる!っていう人と
私は違うな、、という人と大きく分かれるのかも。

私の場合は何か美味しいものを食べたとき
「美味しい!今度お母さん連れてきてあげたいなー!」とか
「子供に食べさせてあげたいなー!」とか

面白い映画を見たときには
「パパにも見せたい!今度一緒に観たいなー!」とか

何か自分が面白い!とか楽しい!とか美味しい!とか
感動するとそれを共有して喜びそうな人の顔が浮かんで
一緒に堪能する嬉しさをついつい脳内ですぐに再現している自分がいるw

(今自分の周りにいる人を思い浮かべても
誰にも共感してもらえそうにないマニアックなものについては
逆に話さない傾向があるのも事実。ほんとはここも解放したいけどw)

それだけ私の行動のいちばんパワーが湧いてくるところは
こういう誰かの喜びだったり
誰かの嬉しい顔だったり
誰かといっしょに笑うことだったり
誰かを守ることだったりする。


でも以前まではこれだと

結局いつも
「自分の喜びが人の反応に左右される」
ってことなのかな・・

となんだかどう解釈していいかわからずにいた。

自分が一人で喜べるものや楽しいと思うもので自分を満たすことを
探そうと努力してみたこともあったけどw
(もちろんなくはないんだけど
パワーの源泉かというとそういうことでもない感じ)
やっぱり結局自分の心がいちばん喜んでいる時って
人と笑ってる時なんだよなと。


これは仕事をする場面でもよくわかる。
無意識的にしているのは
チームやみんなの状況を見て
足りないところを補ったり
今自分は何役に動けばいいかを
図ってタイミング見ながら動いているような
思考が働いているということに最近気づいた。

これはいわば相手の動きありき。
生粋の二番手気質とも言えるのかもしれない。

逆に言えば自分が何かを巻き起こして
全体の先頭に躍り出て進んでいくタイプではない。
役としてそれが必要な場面があればやるけど
自分の気質ではないんだなということがよくわかる。



そんな時に映画を見ていて思ったことがある。
『ロード・オブ・ザ・リング』

舞台がニュージーランドということで
改めて観たい気持ちになって
20年ぶり?にちゃんと観た。

このお話は登場人物がめちゃくちゃいっぱいいるけど
その中でピンと来たのがサム。

左がサム / 右が主人公のフロド

もともとただの庭師なんだけど
主人公フロドを守る役目で
この大冒険の旅を最後までフロドに
供して成し遂げたこの物語の影の功労者。

見た目は地味で冴えないんだけど
この人がいなかったら絶対に成し遂げられていないと
言える働きをする登場人物。

このサムの「あり方」
たくさんいる登場人物の中でも
今の私自身が自分に重なる感じがして目を引いた。
(昔だったら主人公に自分を投影してたと思うw)


どんな時も今いちばん大事なことや
全体にとっての本来の目的を見失わず
真っ直ぐな心と目で物事を見て
客観的に物事が見えている人。

誰かの歩く険しい道を
誰よりも本気で支えて
そのミッションにコミットしてる人であり
導ける人。

この人のこの「あり方」が
サムはサムとしてのこの物語の主役をやっている
感じがしていて


誰かのためにあることを通して
自分の人生の喜びのために生きていて

そんな生粋の二番手気質でありながらも

誰かの言いなりではない
確実に自分の人生の「主役」をやっている生き方。


ああそういうことなんだなとなんだか腑に落ちた感じがした。

誰かを守ろうとしたり
誰かのためなら前に出て戦えるし
何でもできる
自分一人で自分だけのためにやることには
そこまで出てこない信じられない力が湧いてきて動ける人。

それは確実にこのタイプの人の持ち味で
誰にも代え難い強み。

私自身そういうポジションで
荒野を切り開くような仕事が大好きで
自分を発揮させていけるんだなと
自分を理解認識してきた今日この頃。


この手のタイプの人は優しくて
引っ込むと誰かに自分を委ねがちだけど
でもこの手のタイプの人が
自分の持ち味を最大限に発揮していくと
何にも代え難い存在になっていくんだなって思う。


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