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心中宵庚申[現代語版]5・近松門左衛門原作

5.

 季節はぐるりと巡り、陽気も汗ばみ、木々の葉も緑が煌めいていた。八百屋伊右衛門の店に並ぶ野菜の水も乾いていく。
 卯月。
「半兵衛は何をしてる。売り物が萎びるわ」
八百屋の女房、つまり半兵衛の養母は苛立つ気を隠す様子もなかった。
「松、さっさと水打ちをしろ」
店を見回して、さらには家の様子も確認し、
「さん、洗濯物が干上がる、早く取り込んで畳まんかい。畳んだら打盤で洗濯物を打って柔らかくするのを忘れるなよ。それが終わったら夕飯の野菜刻め」
さらに松へ向き直って
「松、今日は五日の宵庚申や。甲子が近い。二股大根のけておきや」
再び、さんへ向かって
「さん!茶釜の下が燃え出てる!」
なんとせかせかと忙しいもので、八百色も言いつけるのは八百屋だからか、大晦日の生まれだからか。機嫌の悪いところへ鼻歌まじりに戻ってきたのは、今朝早くから市へ行ったままどこで油を売っていたのか甥の太兵衛だった。
「こら!何時やと思ってる。こんな昼下がりまでどこでぶらぶらしてたんや」
 やり取りを聞いて、半兵衛が走り出てきた。
「太兵衛、どこに行ってたんや」
「別に悪いことしてたわけやない。横町の山城屋とちょっと話してただけや。それも関係ない話と違うで。半兵衛、あんたに会いたいという人がいるから言伝てを頼まれたんや」
山城屋と聞いて、半兵衛の耳はぴくりと動いた。しかしそれを気取られないようあくまで無表情を意識した。
「次は得意先を回ってくる。半兵衛、山城屋に行くんやで」
「ふむ、山城屋は何の用かな。そしたら少し出てくるか」
太兵衛がいそいそと荷ごしらえをする隣で、何気なく半兵衛も身を整えた。太兵衛の後ろ姿に続いて全く自然な様子で出ていこうとした。
「半兵衛、どこへ行くのや」
母がその腕をむんずと掴んだ。半兵衛の口がからりと乾いたのはこの気候のせいではない。目を瞬かせ、冷や汗がとろりと流れるのを感じた。
「山城屋が」
「あかん」
母は畳を乱暴に叩いた。
「白々しい顔をしてもあかんもんはあかん」
これは駄目だ、と半兵衛は背中を強張らせた。
「何も知らないと思ってるのかい。浜松からの帰り道に向こうの家へ寄って、せっかくこの家から出ていった嫁をよくもまあ連れて戻れたもんや。常盤町の従兄の所に預けて、隙があらば会いに行ってるのは知ってるんじゃ。十五年も世話してやった親の嫌う人間に随分入れ込んで、この親不孝ものめ、恩知らずめ」
激しく畳を叩きながら喚く母に、どう答えようか固まったままの半兵衛であった。

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