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大学の時の先生の言葉がちょっと分かるようになった話

8年目のMacBookが動作が重々になってしまい、
パソコン作業が出来なかったので、
いつか書きたいと思ってた事を書いてみます。

大学の時のゼミの先生の話です。

私の大学は1-2年生の頃は様々なデザインのジャンルに触れて、3.4年で追求したい分野のゼミに行くというスタイルでした。
ゼミは各定員5名で、人気のゼミはまあまあの争奪でした。本当に入りたかったゼミは
造形のゼミだったのですが(意味とかなんも考えずただめっちゃでっかい卒制を作りたかった、、、)ここは人気で作品提出+面接だったので安パイに第二希望のグラフィックの先生のゼミに進みました。

ゼミの顧問の先生のことはm先生と書きます。
当時は本当にこの先生のことをクソババアだと思ってました。(今もちょっと思ってるけど)

m先生は噂として1年毎にお気に入りの代、嫌いな代が出ると言われていました。
私達の代は順番で言うと嫌われる代、
そしてやっぱり好かれる事は出来ませんでした笑

先生のゼミの課題は毎年共通で、
ある4つの課題が毎週出されて合格できるまでこなしていくというものでした。不合格なら先週の課題と今週の課題を出すと言う借金形式のやつ。

1回目はリリーフを作ると言う課題でした。

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こんなやつ。正方形のケント紙に折り目を作って、同じ形を9枚繋げて作ってます。
材料調達からしなければならなかったのですが、どこで買えば良いか、どれくらい買えば良いかなどの説明は一切なし。(今思うと多分あえてなのですが、その理由も分からなかったのでとてもモヤモヤしていました。)

先輩にあれこれ聞いて材料調達して提出1回目。

はい、みんなコテンパンに言われます笑
なんかよく覚えてないけど、とりあえずイカの足に見えるとか、影が薄くて見えないあなたの性格みたいとかみんなそれぞれコテンパンに言われました笑一回では合格出来るものでは無いとみんな思っていたので不合格は全然良いのです。
ただどうすれば合格になるのか、何がダメなのか言葉で伝えてくれる事はありませんでした。
ただただ容赦ない言葉に凹むだけでした。

2回目の提出課題は電球のパッケージづくり。
段ボール1枚で電球のパッケージを作ると言う課題でした。

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これが当時の私の作品。

私はこれを最初に見せた時、イモムシと言われました。他のゼミメンバーもクスクス笑われながらなんか言われてました。(前回の課題もこなしつつだったので、確かに私達の作品は中途半端な部分もありました)

m先生はこう言いました。
「作ってきた作品はこの1作品だけなの?失敗したやつ全部見せて」

段々の幅の大きさとか何パターンか作って試行錯誤してたつもりだったので、それを私は出しました。そうしたら

「このイモムシ1パターンしか考えなかったの?」あまりにも失敗作の数が少なすぎる。

と言われました。いや何個も作れとか聞いてないし!しかも全部ゴミは持ってきてないよ!って思った記憶があります。。
他の子も各々言われて、とても重い雰囲気の中

「やる気が見えない、私の課題やりたくないの?
じゃあ何が作りたいの?」と聞かれました。

私はそんな事はないのにって思っていたけど、
あるゼミのメンバーがこう言いました

「もっとポートフォリオとか具体的な作品を作りたい」

私達もその発言に乗っかり、次のゼミではポートフォリオを持ってくる事になりました。

この時のゼミだったと思います。
忘れられない言葉を聞きます。

其々作ったポートフォリオを持っていきました。
私がゼミのメンバーの中で1番実力も、デザイナーになる気持ちも強いなと思ってる子がいました。

その子が先生にポートフォリオを見せた時に、
いつもの如くボコボコに言われます。
「作品の写真を撮る時に作品が揃ってない」
「トリミングが下手で端っこに入らないものが写ってる」
「こんなんでよくデザイナーになりたいって言うわね、あなたがデザイナーになりたいなんて言うのもおこがましい。」

おこがましいってなんやねん。
ていうか何が駄目か教えるのがあなたのお仕事やんけ!!何様なんやこの人は、、、


そしてみんなの講評が終わった後こう言われました。
「ゼミをするのをやめましょう。単位はあげます。貴方達も私の課題をしたくない、やる気が無い。私もそんな貴方達の課題を見たくない。こんなゼミはお互いに不健康だからやめましょう」



そんなこんながありまして、1人は別のゼミに移動して、1人はメンタルがちょっと病んで留年してゼミは最終的に3人になりました。
負けず嫌いが働いた私は何とかゼミをしてもらえるように交渉しましたが、毎回ゼミでは先生に作品を見せると機嫌が悪くなられるので、基本天気の話をしていた気がします。



何が書きたかったかと言うと、社会人を約4年経験して少しだけm先生の言葉の意味を考える時があるのです。

デザイナーになるのがおこがましいと言われた子はゼミを移動して、今では名古屋で1番の広告制作会社でデザイナーとして働いています。デザイン年鑑に入賞する位バリバリのデザイナーです。

周りの言う事よりも、自分の気持ちを優先するという事はどんなに難しくて勇気がいる事か。でもそうして行かなければ何も進めないし、何も変わらないという事。理不尽な先生の言葉をつっぱねられたこの子だけが私達の代の中で唯一グラフィックデザイナーになりました。


仕事は本当に辛いです。
仕事も辛いのに、人間関係もしんどいのはもう本当に辛いです。
あの人とは仕事をしたい、あの人とは仕事をしたくない。そんな事を思うのも、思われるのも当然です。

ゼネコンの見積担当を前任から引き継ぎました。
私はゼネコン 担当の営業さんと上手く仕事をする事が出来ませんでした。(2人きりでの飲みや、受付嬢との飲みの付き添いに誘われたりとにかく仕事外の絡みがセクハラ過ぎました。。)
とにかく嫌で接する時間は最小限に、基本はメールで連絡する様にしていました。


ある日からその営業さんは私に依頼はせず、前任のおじさんに頼む様になって、私はお仕事が無くなりました。上司に相談しても、治る事はありませんでした。(在宅勤務も重なり、案件完了しましたフォルダに知らない案件が溜まっていくのを見るのは本当にメンタル的にしんどくてこれが実は転職を本気で決意したきっかけです。)


その営業さんと私の関係はお互いに不健康という状態だったなとある時ふと思いました。


m先生の発言は本当に辛辣でしたが、
基本的にはお茶目な近所のおばちゃんという感じでとても愛嬌のある先生でした。

先生はよくこう言っていました。
「デザインは出来なくていいから、人間的にちゃんとした人になって」

もしかしたら先生は上に書いた事を伝えるために、あんな授業をしてたのかなとか思ったりする事があります。

いやまじで嫌われてただけかもしれんけど笑














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