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ヒトラーの軍事的側面

今日のおすすめは!
2冊からヒトラーの軍事的側面を読み解いていきます。

『ヒトラーとは何か』
セバスチャン・ハフナー著

*ちなみに

著者セバスチャン・ハフナーとは…

教養を備えたドイツ人なら知らない人はいないと言われている、
ビスマルクからヒトラーまでのドイツ現代史を語らせたら右に出る者はいないと言われている稀代のジャーナリスト。
ヒトラーが政権を獲得して頂点へと上り詰めていった時代を生きていた。

セバスチャン・ハフナーは、ペンネームで、セバスチャン・バッハとモーツァルトがザルツブルクの貴族ハフナー家の為に作曲した「ハフナー・セレナーデ」「ハフナー・シンフォニー」からとっている。

この著書『ヒトラーとは何か』は晩年に書かれた古典的名著とされており、『魔の山』の作者で知られるトーマス・マンに「卓越した分析力」と賞賛し、ヒトラー伝で有名なヨアヒム・フェストも「この瀟洒しょうしゃ(すっきりしてあか抜けている事)な一冊が世にあふれるヒトラー本の山を一掃してくれる」と脱帽している。

『世界史劇場 ナチスはこうして政権を奪取した』
神野 正史著



*ヒトラーの軍事的側面

※反ユダヤに関する記述には☆マークを使用しています。
  • 第一次世界大戦での前線経験を高等戦術へと昇華させ、戦後も軍事研究を怠らず、研鑽を積んでいた。

  • 1938 年ヨーロッパ最強の陸軍と空軍をもつまでに成長させた。

  • 徴兵制を復活させる事により、路頭に迷いかねなかった何十万人の若者が三度の飯にありつけるようになった。

  • 戦車・大砲・戦闘機の大量生産は、何十万人もの金属加工労働者に生活の糧を与えた。

  • 再軍備宣言により、ヴェルサイユ条約を破棄し、イギリスとフランスに対する政治的勝利を納め、ヨーロッパの勢力図を塗り替えた。

  • 1938年時点で、独立した戦車師団、戦車軍団という新しい軍編成を創立した。
    のちに他国がこぞって真似をした。

  • 1940年に、第一次世界大戦で手こずったフランスにわずか6週間で軍事的勝利を納め、軍事的天才という異名を手に入れ、最後まで頑強に抵抗していたヒトラーの反対勢力が一時的になびいた。

*ちなみに

当時、世界中の人々が、フランスはまた1914年から4年間ドイツの国防軍とマルヌやヴェルダンの戦いの際にみせた頑強な抵抗を繰り返すと考えていた。
ドイツの将軍達の中にはあの泥沼化が起きるくらいならば、いっそクーデターを起こしてヒトラーを倒した方がいいと考える者もいた。
しかし、ヒトラーは世界中の予想を裏切って、電撃的勝利をおさめた時に奇跡が起きたと思っていた。

ヒトラーのみがフランスの内部が崩壊しており、イギリスの宥和政策の効果がなくなり、ドイツ軍が復讐に転じて攻撃してくるのを憂慮している事、ライン河の防衛線すら無い事、祖国防衛の意思すらも萎えている事を見透かしていた。
  • 独立戦車軍団のアイデアを持つグデーリアンや、対フランス戦を勝利に導いた作戦を考えたマンシュタインを起用した。

  • ミュンヘン協定はヒトラーの勝利に見えるが、本人にとっては戦争によって勝ち取る領土を英仏にプレゼントされ、戦争の機会がのびたという事で、敗北と見なしている。

  • チェコスロヴァキアを意味もなく軍事占領して解体し、ミュンヘン協定の基盤を壊した。それを見て英仏がポーランドと条約を締結・更新したのを好機にポーランドに侵入して、英仏を挑発し、第二次世界大戦を引き起こした。

  • 1939年時点で英仏はドイツとの戦争の準備や精神的な覚悟が出来ていなかった。
    一方ドイツのフランスとの戦争は、対ロシア戦の前哨戦として準備が完了していたが、イギリスへは、ヒトラーの計画上、もともと同盟国や友好的中立国として想定していたため、海戦や封鎖戦争などの準備が出来ていなかった。

  • イギリスの戦意を挫く為にロンドン爆撃を試みたが、かえって英国民の戦意をかきたてた。これは1938,1939年の政策が失敗だったと告げる最初の兆候だった。



*天才的な軍事指揮能力のあるヒトラー。
次回は政治的な側面について、ヒトラーの人生の流れに沿って詳しく紐解いて行きます。

*それではまた次回お会いしましょう!




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