前世の記憶?
前世の記憶があるっていう人はどのくらいいるんでしょう?
そもそも前世はあるのか、っていう話なんですが、
あると思って疑わない人や、絶対にない、という人もいるかもしれません。
それこそ、感じる世界観によっていろいろだと思います。
わたしはというと、かつては否定的でした。
なんだろう……人が生まれ変わる、ってことを信じていなかったわけじゃないんです、
でも、自分という意識を持ったまま、丸ごと自分として(例え記憶がなかったとしても)生まれ変わる、っていうのはどうなんだろう……と正直思ってました。
これはあくまでも超個人的な見解ですが、
形あるものには意識があると思うんですよ。
例えそれが生命じゃなくても、
つまり机や椅子や置物なんかにも「自分は机や椅子や置物だ」っていう意識はちゃんとあるんじゃないかなと。
わたしが考える「意識」について少しお話すると、
形あるもの、この世界に存在するあらゆるものには、どんな微細なものにも「自分」という意識はあって、
極端に言えば、一個の細胞とか分子とか原子とかにも、「己」としての意識はあるんじゃないかと思うんです。
何かを思って考える、
……ことをしているかどうかは別として、自分は自分で他の存在とは違う、という意識はあるんじゃないかなと、
で、わたしたち人間はそういった原子とか分子とかの寄せ集まりなわけです。
それが集まって「わたし」という肉体が出来上がっているように、微細な意識たちが寄せ集まって「わたし」という意識もできているのではないか……。
そう考えると、わたしは「わたし」という一つの存在だけれど、同時に多くの存在や意識の集合体でもある、とも言えるわけです。
わたしの中で、たくさんの分子や細胞やヘモグロビンや臓器なんかが、それぞれが「自分」という意識を持ちながらも全体としては「わたし」というひとくくりの意識を構成している。
時々思うんですが、わたしの心臓は多分、わたしの存在を知らないでしょう。
おそらく自分は心臓でありそれ以外の何者でもない、
何処からか送られてくる血液を取り込んで送り出す、そういう存在であってそれが生きることの全てだと、
だから自分が「わたし」という大きな存在の一部であって、
自分の存在が、働きが、「わたし」を生かしている、なんてきっと思いもしないんじゃないかな、
わたしがわたし以外の何者でもないと感じているように、
もう一度言うと、
わたしの中にはそんな小さな無数の意識があって、それぞれが「己」としての意識を持ちながらも、繋がり合い寄り合わさって、わたしという意識を作り上げているんじゃないかと思うんです。
なので一つの世界ですよ「わたし」は、
その小さな原子たち細胞たちからしたら、わたしって宇宙みたいな存在じゃないでしょうか、
要するに、彼らが「わたし」を作り上げていて、
その「わたし」が彼らの全てを抱えて、この世界を生きている。
だから、わたしはわたしを幸せにする責任がある、
と思うのです。
国民を愛せない、その声をしっかりと聞いて幸せにできない王様は結局、王国を失うでしょう。
他国と無理に争って国民を犠牲にしたり、無理な政治をして内乱を引き起こしたり、
それと同じで、自分をちゃんと愛せないと、自分という世界は保てないんじゃないかな。
そう考えると、わたしたちが悩んで迷うのって、しごく当然なことですよね。
だってわたしの中には無数の意識があってそれがそれぞれ、自分の主張を訴えるんだから、
胃は疲れ気味だから少し休みたい、と言っても、わたしは飲み会の予定が詰まっていてそれは聞けない……とか、
でもやっぱり胃を休ませてあげなければ病気になるわけです。
自分の中のいろんな意識がいろんなことを訴えてくれば、それはきっと「わたし」にとってのいろんな悩みになるかもしれないけれど、それを自分の悩みとだけ捉えないで、自分の世界の住人たちの訴えだと思えば、自分に対して深い愛情や責任を持って決断や行動をしていけるんじゃないかな、と思うんです。
で、話がかなり脱線していますが、何を言いたいのかというと、
そう、前世について、
つまり、自分の意識は自分の中にあるいろんな存在の集合体だから、体が無くなれば、「わたし」という意識も保っていられないんじゃないか、と思っていたわけです。
かつては、
『NHKスペシャル 超常現象 科学者たちの挑戦』 (NHK出版)という本の中で、
前世の記憶を持つ子供たちとその親御さんを取材した時の話があるんですが、
そういう記憶を持っているお子さんは世界中に結構いて、そんな我が子に複雑な思いを抱く親御さんの気持ちがリアルに語られていました。
教えてもいないのに違う国の言語を理解できたり、生まれる以前の自分のことや家族のことを話すので、それをたどって行ったら、本当にそういう人物が存在していたことがわかったり、
まあ、いわゆる常識では考えられないようなことが、実際に起こっているわけです。
セッションを受けに来てくださる方の中にも、時々いらっしゃるんですよ、ご自分の前世をしっかりと覚えている、という人が、
正直、初めは半信半疑な気持ちで、お話を聞いていたんですが、
カードは、それを肯定して裏付けるような出方をするんです。
その方とは何回かセッションをしているんですが、毎回そうなんです。
霊感というか、スピリチュアルな能力が高い方で、
他にも不思議な経験をたくさんされているのですが、
「こういう話は他の人には一切しない、気狂い扱いされるから」
と言っていました。
そうなると、やっぱり自分という意識を持ったまま人は生まれ変わることがあるし、「前世」はあるんじゃないかな、と思わざるおえない。
わたしの「意識」の捉え方は変わりませんが、
でもこの体がなくなったら自分という意識も保てない、ということはないのかもしれない、
そう今では思っています。
人が生まれて意識を持って、死んでそれがなくなってしまう、
そんな単純なことではないような……
この世界はもっとダイナミックで、
そして「意識」には、想像できないくらい深淵な意味があるんじゃないか、
と思うのです。
高校生の頃、ある夢を見ました。
自分は登場人物じゃないんですが、夢の中の光景を見ているんです、何処かから。
住宅街の一角にある家の前に三輪車が置いてあって、
なぜか、それが自分の家で三輪車も自分の物だと思いました。
家の中の様子も手にとるようにわかって、
わたしは5人兄弟の末っ子で、兄弟たちと過ごしたごちゃごちゃした部屋やそこでどんな遊びをしていたのかも思い出したんです。
で、その家で兄弟たちと本当に楽しく、幸せに暮らしていたことも、
何でそんな大事なことを今まで忘れていたんだろうって、
目が覚めてから思いました。
胸が締め付けられて、懐かしくて、涙が止まらなくて……
でもしばらくして冷静になると、
今暮らしているこの家に生まれた時からずっと住んでいるし、一度も引っ越しなんてしていない、
っていうことにはたと気づいたんですよ、
5人兄弟の末っ子じゃなくて、3人姉妹の長女だし……。
ものすごく複雑な気分でした。
じゃあ、今自分を締め付けているこの懐かしさは何なんだろう、
今でもその夢の記憶は、しっかり残っています、感じた懐かしさも。
思い出すたびに、自分の過去が二つあるような、ちょっと変な感じです。
あれはわたしの「前世の記憶」なのかもしれません。
もちろん根拠はないし、ただの夢かもしれないけれど、
でもわたしの中に残っているこの痛いぐらいの懐かしさが、
あれは嘘じゃない、
ということを教えてくれているんです、
説明のつかない確信を持って。
とても長くなってしまいました、
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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