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Essay|可愛いわたしとあなた

今、レンジでチンしたブロッコリーと、小麦粉をつけた焼いた鶏むね肉に、粒マスタードとマヨネーズとブラックペッパーをからめたものと、大根と小松菜のおみそ汁、という夕食を食べ終えたところ。

連休の最終日。午後7時前。

世のなかには憂鬱な気持ちになっている人も多いのだろうな〜と思う。
「明日からまた仕事か、行きたくないな」とか。

わたしもすこしだけそういう気持ちになっているけれど、でも、今食べた夕食がとっても美味しかったので心がすこしほぐれた。

重すぎる憂鬱にからだも心も動かない日はある。
そんな日の苦しさは言うまでもない。

だけど、ちいさな憂鬱、軽い力で持ち上げられるような憂鬱だって、わたしたちは毎回毎回、生真面目に持ち上げてやり過ごしている。

そして、ちいさな憂鬱がやって来るたび、わたしはちいさな楽しみやちいさな美しさに助けられる。

夕ご飯の美味しさ。
それが、とびきり豪華なディナーでももちろん嬉しいけれど、そうじゃない美しさもある。ただ簡単に、でも栄養はちゃんと取りたくて作った、味つけもテキトーの炒め物とみそ汁。だからこそそこにある、自分に合う美味しさ。

それが、インスタントラーメンやカップ麺のときがあったっていいし、とにかく自分の憂鬱を持ち上げるぞ! って気概が可愛らしくて健気だと思う。

世間の人はきっと、大概が可愛らしくて健気だと、わたしは自分のXのタイムラインを見てるとよくそう思う。
それはわたしのフォロワーさんやフォローしている人が、そういう素敵さを持った人たちばかりだから、というのはもちろんあるだろうけど、きっとどんな人であろうと生活を営むかぎり、そういう素敵さで自分を助ける必要があるのだと思う。

だからそういう自分をもっと、可愛がりたい。

今日は夕方、手紙をポストに出しに行った。春は歩くとよいと何かで知ったので、イヤホンを耳に挿し、音楽を流して歩いた。
電車などではイヤホンで音楽を聴くけれど、そういえば家のなか以外で普段イヤホンを使うことがあまりない。
外を歩くとき、音楽が聴こえるのは新鮮だった。うきうきして、るんるんしながら歩いた自分、可愛い。

きのうは本屋さんで、本を2冊買った。
1冊は&Premiumという雑誌。もう1冊は、星野道夫さんの『旅をする木』。
旅をする木は文春文庫の50周年記念のプレミアムカバーがなんとも素敵だった。その2冊、意識したわけではないけれどカラーが調和していて、お互いに紫が使われていて、並べるととても可愛かった。そういう色使いに心踊る自分だってとってもキュートだと思う。

そうそう、お風呂場の電球が切れて買いにも行った。家に白色電球はあったけれど、お風呂場の電気は暖色がいいの!(だって寝る前だしほっこりしたいもん)と思い暖色のものを求めて出かけたのだ。

わたしはとっても可愛い。

生活する人は、みんなとっても可愛い。


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