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Diary|世界の微分子


明日朝にかけて全国的に気温が下がり、積雪となる地域が多いという。

関西のあまり雪の降らない地域に住んでいても、今日の夕方からは雪がちらつき始め、仕事を終えて帰る頃には吹雪のようになっていた。

今日は1日気分が優れなかった。

一緒に働いている人と考え方が合わず、話を聞いていると、どうにもくたびれてしまうのだ。

「仕事のできない人はいらないよね」というスタンスで、「辞めてほしい」とか「居るならちゃんと仕事をできるようになってもらわないと困る」とその人は言う。

仕事をしてもらわないと困るというのは、たしかにそうだと思う。特に少人数でやっているならなおさら、1人1人にかかる責任は大きい。

だからこそ、誰か1人でもできない人がいると、その他の仕事ができる人の負担がさらに大きくなる。
そう言いたいのもわかる。
「仕事のできない人はいらない」と言う人は仕事ができる側の人で、負担が大きい側の人だ。

結局のところわたしには中途半端な甘えがあり、責任逃れをしているのかもしれない。
けれど、「辞めてほしい」と簡単に誰かのことを言えてしまえるある種の強さと素直さに、わたしは勝手に傷ついてしまった。

わたしも仕事ができなければ、きっと同じように辞めてほしいと思われるのだろう。

ではなぜ、わたしはそれを怖がっているのだろうか。
そう思われないように仕事をすればいい、できるようになればいい。
でも、「そういうことじゃないんだよ」と心の奥で、自分が声を上げている。

自分はきっと、“仕事を「辞めてほしい」と思われる側の人間だ”という自己否定感が、ずっと頭をかすめている。そして、“仕事ができなければ、職場では価値がない”という価値観が、100%間違いではないとも感じている。

けれど100%正解だとも思えない。むしろ「正解ではない」という部分に、自分の心がある気がしている。

人と関わって生きていくことは難しい。
みんな100%間違いではないし、100%正解でもない。

そして自分も、100%間違いでもなければ、100%正解でもない。

そう理解して、理解しながら、他人も自分も許容して生きていくことの苦しさを感じた。

わたしは自分の意見や考えを言うことができない、いつも。

そんなふうに悶々と思いながら過ごしていると、どんどん自分が自分を失くしていく感覚を感じ、このまま家に帰ってもきっとひどく塞ぎ込んでしまうだろうなと思った。

だから、とにかく気分転換になればいいなと思い、仕事が終わってからとんかつ屋さんに行った。

カウンター席に通され、ロースカツ150gを注文した。

食欲だけはあった。むしろ暴飲暴食したい気分だった。家に帰ってやけ食いをするならいっそ、外食して食べたいものをお腹いっぱい食べようと思った。
外食なら食器の後片付けをすることもないし、家に帰ったらお風呂に入って寝るだけだ。それが今日はとても楽に思えた。

みそ汁をおかわりし、ご飯もおかわりした。
お腹いっぱいになった。

店の外に出ると、街には雪が降っていた。
強い風に煽られて、斜めに、白い雪が。鼻の痛くなるような寒さ。

近くにあるスーパーに寄り、明日の朝に食べるパンを買った。普段はもっぱら白米だけれど、明日の朝はきっと雪が積もっているから、温かいコーヒーと一緒に、パンを食べたいと思った。

スーパーは人もまばらで、パンの棚はスカスカで、生肉のコーナーにはほぼ何もなく、でも牛肉の売り場だけには値引きシールが貼られた牛肉がまだ残っていた。

大学生ぐらいの男子の二人組がかごにお菓子をたくさん買い込んでいたり、若いお母さんらしき人物がすごい速さでカートを突いて売り場を巡っていたりした。
レジの店員さんたちも、もうすぐ閉店という安心感があるのか、互いに談笑し合ったりしていた。

普段あまり夜に出歩くことがない。
だから、そういった景色は、わたしの日常外の、すこし特別な景色だった。
でも、そこは誰かの日常だった。誰かの日常は、誰かの非日常であるし、誰かの非日常は、誰かの日常であると思った。それが世界だと思った。

ライブの夜を思い出した。
人生で、まだ数回しかライブには行ったことがないけれど、くっきりと鮮明に焼き付いている景色や感情。
日常と非日常が、音楽によって交差する瞬間。

世界を100%だと仮定する。

わたしたちはきっと、自分1人で100%になれることなどないのだと思う。わたしたちそれぞれが、お互いに、世界のほんの微分子であり、それぞれがそれぞれであり続けることで、世界は100%になる。

それでも、生きているあいだに、世界が100%だと感じられることさえ、きっとないのかもしれない。

それでも、たとえそうだとしても、世界の微分子であることをあきらめるな。そう思わせてくれる音楽が、わたしにはある。

そう思わせられる文章が、わたしにも書けたらいいなと思う。世界の0.00000……%として、日々悩みながら、傷つきながら、自分のことさえ十分に抱きしめてあげられなくても。

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