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Essay|コスモス

ちょっと前のことだけど、朝散歩しているときに、コスモスの花が咲いているのを見つけた。

いつも車で通っている道なのにまったく気付かなくて、側を歩いてやっと、そこにコスモスが咲いていることに気付いた。

ちいさな畑の隅にあるちいさなコスモスの群れ。
きれいだな、と思って歩く速度を落として通り過ぎながら、そういえばコスモスって10月の誕生花だった気がする、と思い出して10月生まれのわたしは急にコスモスに親近感をおぼえる。

と同時に頭のなかでいくつかの記憶が急に蘇る。

子供の頃コスモスの花が10月の誕生花だと知って、なんでこんな地味な花なんだろう、とちょっと不満だったこと。
「コスモス」という言葉は花の名前のほかに、カオス(混沌)と反対の意味を為す「秩序」という意味があること。
そして今年買った中野道さん、という写真家さんの写真集『DAYS IN BETWEEN』の最後のページの写真がコスモスの花だったこと。その写真集のあとがきがわたしはとても好きで、そのなかにコスモスに言及した文章があったこと。

コスモスの花が好き。
均等に並んだ花びらは、巡り合ったすべてがひとつの秩序を作っていることを思い出させてくれるから。
見えない明日に向かって答え合わせするような毎日にも、欠けて良いことなんてひとつもない。

中野道『DAYS IN BETWEEN』より

この文章に出会ったとき、わたしは今までに出会ったすべてや、わたしの人生に起こった出来事ひとつひとつが、まっすぐにつながって一本の線になったような感じがした。

たとえ全部に意味がなくたって、全部に秩序があるような気がする。

そう思った。

つい最近、一度読んだきり内容なんて全然おぼえてないまま本棚に仕舞っていた本を、なぜかわからないけど急に読み返してみたくなって読んでみたら、今の自分にすごく響いた、という出来事があった。
そのとき、自分には必要なくて、特段思い入れもないまま手にしたものでも、未来の自分にはものすごく必要で、未来の自分からの引力でそのときそれを手にしたんじゃないか、というような運命みたいな感覚をおぼえることってある。
ふいに胸の真ん中に、すこん、と入ってくるような。
わたしが巡り会ったすべてのものが、きっとわたしのなかでつながる。一本になる。
中野道さんの写真集に出会えたことも、その言葉に出会ったことも、もしかしたら必然だったのかもしれない。そんな気になる。

そういうことがきっと人生にはままあるんだ。
ものだけじゃなくて出来事にも。
あのときなんの意味もないと思ったけど今となっては必要だったな、とか、そういう秩序が。

コスモスの花の、あの均等な感じ。そういえば子供の頃のわたしにはそれが面白みがなくて退屈だった。だからコスモスがあんまり好きではなかった。

だけど大人になってコスモスに「秩序」という意味があることを知って、そしてコスモスの花があんなふうに均等な花を咲かせることを思い出した今、そして偶然にも自分の誕生月の花がコスモスであることを思い出した今では、子供の頃にコスモスの花が自分の誕生花だと知って失望したこともふくめて、そのすべてがゆるやかにひとつの秩序に包括されているような感じがする。

生きることはきっと、秩序のあることなんだろうなと思う。

偶然生まれてかならず死んでいく。
それ自体が生きることの根底に流れる秩序で、わたしたちは出会ったり別れたりして、もしもその何かに失望したり悲しみを味わうことがあっても、すべてはつながっている。

そう考えたらいつもより、すこし世界が美しく見えるな、と思いながら秋の朝を歩いた。


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