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Essay|整った自分でばかりはいられない

朝から、すこし料理をした。

冷蔵庫で保存していた使いかけの玉ねぎを取り出し、薄切りにする。1人前ずつラップにくるんで冷凍していた豚こま肉。それが2個。解凍したものの使えずに放置していたそれを冷蔵庫から出してラップを剥がして塩こしょうを振る。酒少々も。

なぜ豚こま肉を使えなかったかと言うと、料理する気力が湧かなかったから。
そういう日もあるし、そういう日が最近はすこしばかり多い。何かにつけムラがある。気分や体調、やる気に体力。

その朝は気が向いたので卵焼き器とちいさいフライパンを出して、同時並行で豚こまのポークチャップと、豚こまと玉ねぎとほうれん草のオイスター醤油炒めを作った。
タッパーに入れて、仕事の日の昼食用にした。

前日はなんのやる気も出ず、荒んだ食生活だった。

こんなにも浮き沈みしてしまうのは、春のせいだという気もする。春は色々なことが揺らぐ。

最近掃除もサボりがちで、毎日やっていた掃き掃除も、2日に1回やっていた拭き掃除も、トイレ掃除や洗面台の掃除、キッチン布巾の除菌なども、ことごとく怠けている。春は怠惰。

雑然としていく部屋が嫌で、たまに片付けるのだけど、今までのようなルーティーンを上手くこなすことはできない。すぐに散らかるし、食生活もすぐに散漫になる。心も荒みがち。

わたしは、生活をしていく上で、『納得のいく選択ができる』ということが、すごく大事だと思っている。

たとえば1日の食事を、何を食べたいか、家に何があるか、を鑑みて作ること。
朝起きて、先に顔を洗うか、ご飯を食べるか、服を着替えるかも、わたしは日によって変えている。
そのときの自分にフィットする選択ができたとき、とても嬉しいし、そういうときに充足感というものを感じられるのだと思う。

だけど、自分が揺らいでいるときは、自分の気持ちをコントロールすることすら難しく、自分にフィットする選択をする、だなんてさらに難しい。

気温の変化のせいか、気圧の具合か、風向きの加減か、わからないけれど春は色々なバランスが乱れて難しいのだ。

まぁ春に限らず、季節の変わり目はどうしても揺らぎがちになる。だからこそ、そんな自分を許す、いつもより大きな自分を持つことにした。

まず自分に優しくない自分を許すこと。
これがとても重要で。

きっと、誰しも、何かしらの理由で(あるいは理由などなくとも)自分に優しくできないことってあると思う。
でもそんなときに、自分に優しくできない自分を許さないのは、もっと自分に優しくないよな、と思ったのだ。

だから自分を許す。
からだに良くないものを食べてしまう自分も、掃除ができない自分も、料理ができない自分も、全部ぜんぶ許す。

自分に納得できないとき――たとえばなんでこんなに食べたいものが定まらないんだろうとか、逆に食べたいものがありすぎるとか。何を食べても、しっくりこない。何をしても、なんだか浮かない。
そんな自分に、なんで? と思い、その原因を突き止めたくなったり、その調整をしようと掃除や料理を頑張ったり…… そういうのをやめてみる。

納得できないときは、無理に納得しようとせず、納得できない状態のまましばらく放っておく。

不調を抱えた時期を乗り越えるとき、これがけっこう精神の安定のために重要な気がしている。

自分のために、自分自身を整えようと働く自分がいて、だけどそんな自分の調子が悪くて働けないとき、「大丈夫だよ、まあゆっくり休んでよ」と言ってあげる、もうひと回りほど大きい自分がいるイメージだ。

というわけで最近は、とっ散らかった暮らしぶりもおおらかな心で受け入れることにしている。

わたしの性格上、いつもは、本は1冊読み始めたら最後まで読み切る、と決めているのだが、今は読みたい本がいくつもあって――しかもそのどれも最後まで読み切れず、すぐに違う本が読みたくなって、ベッド脇やテーブルの上に読みかけの本が散乱している。

掃除が何日もできなかったり、お菓子ばかり食べてしまったり、必要のないものを買ってしまう日があっても、まあいっか、と思うようにしている。

自分で整えた生活が乱れて、ぐちゃぐちゃになっても、カリカリしない。

今はそういう時期だ、と思う。

生活を整えるのが好きで、整った生活には憧れがある。

素敵な暮らしをすることを夢みている。
ぐちゃぐちゃの押入れも、クローゼットも整えたい。
照明も変えて、暖色の間接照明を置きたい。
ベッドサイドにお気に入りの本を並べるコーナーを作りたい。

毎日できれば栄養バランスの整った食事を摂りたいし、それに満足できる自分でもいたい。

でもいつも整った自分でばかりはいられないのだ。

所在なく、納得もいかず、整わない日だってある。そんな日をやり過ごしていくのも立派な人生だ、と思う。

できることをできるときに、やりたいことをやれるときにやって、生活はいつも単調ではなく、ムラのあるたくさんのわたしとの足並みである。

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