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Essay|節と竹

今年も残すところあと2日で、実家に帰省しゆるゆるしている。母と一緒にスーパーに出かけ、おせち料理や年末年始の食事の材料を買ったり。

年末年始は、毎年、あまり得意ではなかった。
メンタルが不安定になりがちで、その原因は、きっとその1年間を総括せねばという妙な責任感と、駆け抜けるようにしたいこととすべきであろうと思うことが詰まっている非日常な数日間に、疲弊しきってしまうからだと思う。

「非日常」って、好きか嫌いかと問われれば、どうなのかなぁと考えてしまう。

嫌いではない。好きでもない。
けれど、非日常はあってほしいと思う。
非日常な空間、非日常な時間、それがこの世のなかに、わたしの人生に、あってほしいとは思うのだ。

けれども非日常とは慣れないものなので、(だからこそ非日常と言えるのですが)非日常なことが起こるとドキドキしたりして疲れてしまう。心が弱ったりもしてしまう。そんな人はわたし以外にもいないでしょうか。

2023年。
今年は生まれて始めての一人暮らしを開始し、だからこそ年末に実家に帰省する、というシチュエーションを、今経験できている。

使い慣れた自分の部屋は母の部屋になっており、でもまだそこに暮らしていたことは自分のからだに染みついており、家の隅々の汚さにときどき驚く、というような具合で過ごしている。

自分の性格も、考えも、基本的には変わらないのに、今日鏡のなかの自分が初めて大人びて見えた。

何が変わったのだろう、と考えて、ふと習慣だと思い至る。

「あんたの使い終わったあとは汚いのよ」とこれまで母に言われてきたわたしも、一人暮らしを始めてからは使い終わったキッチンや洗面所などは、きれいに片付けるようになった。(それでもたまに汚かったりはするけれど)
汚さに関して鈍感だったけれど、それはわたしが散らかしても母が片付けてくれていたからだったのだなぁと思った。

今日は自然と、キッチンで洗い物を終えたあと、シンクやコンロを拭き上げている自分がいた。
そうしないと、なんだか気分が済まなかった。

食器や調味料を片付けてある場所がわからなくなったりなど、この家で暮らしていた習慣は、すこしずつ失われている。
代わりに、新しい習慣がわたしの身について、それらはたぶんすこしずつわたしを新しくしているのだろう。

冒頭に、年末年始は得意ではないと書いた。

でも今年は、そんな気分もなんだか薄く、あまりブルーな気分にならずに新年を迎えられそうです。

それはたぶん、理想を掲げるのをやめたから。

例年は、せっかくの長期休暇だからとあれやこれやしたいことを詰め込んで、理想どおりできないと落ち込んで、1日やこの1年に有意義さを感じられないと虚しい気分になっていた。わたしは何をやってるんだろう、と。

でも、今年は、それをスパッとやめた。
何をやれても、何をやれなくても、それでよろしい。

そしたらからりとした気分で、だらだらすることを許すことができて、思いがけずこれからのビジョンも見えてきたりした。

「非日常」というのは、得意ではないけれど、でもやっぱり、必要ではあると思う。

2023年から2024年へ。

今年出会ったもののなかに、『土井善晴とクリス智子が料理を哲学するポッドキャスト』というのがある。
そのなかで土井善晴さんが語っていたことに、「行事ごとというのは節目」という言葉があった。
お正月やお祭りなどのハレの日があり、それ以外のケの日があり、お正月などの行事ごとは、人生に節をつけていく。そういうニュアンスのことを語っていた。

「人生に節」。
それを聞いて稲妻が走るように思い出したのは、わたしの好きな歌手、黒木渚の『竹』という曲のサビの歌詞だった。

からっぽと節目を繰り返して
ゆれながら青く生きる
触れ合う細い指先から銀河が生まれる
進化が始まる 全てがつながる
世界を巻き上げて上へ

人生は、やっぱり竹なのかもしれない。

淡々と暮らす日々があり、そのなかに節目と呼べる出来事があり。
何を節にするかは、きっと自由だと思うけれど、人生をまっすぐにたくましく伸ばしてくれる節目に、これから先も出会えたらいいなと願う。

人生のなかで、まったく異なる二人の言葉が、鮮やかに響き合うのもおもしろい。

こういうことが、生きる醍醐味である。そしてわたしの生きる支えである。

読むこと、書くこと、聴くこと、観ること。
食べること、着ること、生きていればそれらすべてがわたし自身になる。過去の経験や過去に出会った人、ものが着地する地点がある。今年何度も感じたことのひとつです。

今年はずっと行きたかった黒木渚のライブにも行けたし、そのほかの何本かの音楽現場にも行けた。

現場だけでなく、配信、映像、ポッドキャスト、文章、ふとXで流れてきた誰かのポスト、記憶にも留まらず流れてしまうようなことから、何度も思い出すほど印象的だったことまで、すべてがわたしの人生のなかに流れている。
それがハレの出来事だったとしても、ケの出来事だったとしても、からっぽだったとしても、節目だったとしても。

すべてに出会い続ける旅を、2024年も続けます。

最後に、2023年にわたしの文章を読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。
素敵なお正月を、良い節目として迎えられることを願っています。

わたしの言葉も、誰かの人生のなかに流れることがあるかもしれない。もしそんなことがあれば嬉しいし、そうなればいいなと思いながら、今も言葉を書いているし、これからも書いていきたいです。

2024年もよろしくお願いいたします。
それではどうぞ良いお年を。

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