家族の境界線があいまいな事実婚制度は、楽しい
■結婚観・家族の価値観について
「うちは世界の家族なの。それがすごく好きなのよ。ようこそガロワ家へ。」
今年82才になるおばあさんは、タルタルソースを口の端に少しつけたまま赤ワインを飲み、そのあと私の目をじっととらえてそう言った。
ちっさいサンタの人形やプレゼントの形のオーナメント、赤や白のキラキラしたリースでたっぷりと飾り付けがされたクリスマスツリーの横に座っている。
おばあさんは赤ワインが好きすぎて、座っているソファの横、かつツリーの下のあまり見えないところに自分用に赤ワインをキープしている。とてもおちゃめで、可愛い人だ。お酒に強く、酔わない。と言うか全てに対して強い。誰よりも元気で、クリスマスパーティーでも結局夜中の3時まで起きていた。
フランス語が全部わかるわけではない私は、クリスマスパーティーで親戚一同が集まり、全員が好きにしゃべるガヤガヤとにぎやかな中、なるべくおばあさんが言っていることをこぼさず拾おうとして、真剣に目を見て、耳を傾ける。わからない単語は口からたくさんこぼれたが、おばあさんとなぜか馬が合う私は、彼女が言っていることがわかるし、心が通じ合っている感じがする。
おばあさんもそう感じているようで、義娘や他の孫にも言ってない話を、たくさんわたしにしてくれる。気が合う、というのは言語を越える時があるんだな。
「うん、うん。」と、なるべくたくさん、おばあさんの感情を吸収しようとする。出来るだけ。近づいて。
感謝や、愛を、もっともっとちゃんと、伝えられないのはもどかしいけれど。
たくさん話した。そのあと、彼女はわたしの手を握りながら、私に言った。ワイングラスはようやく置いた。
「初めて会ったとき、あなたの今までの人生が見えたわよ。どんな人生を歩いてきたか、すぐにわかったわ。本当に、私の大事な孫と出会ってくれて、ありがとう。」
ふかふかの赤いカーペットと、クリスマスツリーの深い緑が曖昧に混ざって、にじむ。
私の手には、おばあさんのパフュームの香りが残る。
おばあさんの「うちは世界の家族なの。」という言葉はどういう意味かと言うと、親戚をパッと見渡すだけでも、世界中の国々のルーツがかように混ざり合っているのだ。だから、世界の家族。海の母、みたいな包みこむ雰囲気がこの言葉にあるようで、わたしは好きだ。
おばあさんはフランス人だが、ギリシャ系の血を引いている。そして、義娘はカリブ系フランス領の島出身だったりするし、孫たちはモロッコ系フランス人だったり、ベトナム人だったりする。
この場所にいる3代を辿るだけで、五大陸全てカバーしていると思う。
頭の中が、カリブ海のサンサンと照っている太陽(行ったことない)や、ベトナムの街の、屋台の食べ物が混ざった雑多な匂いのイメージ(行ったことない)で、忙しくなる。
壁に貼られた家族写真は、5代前まで続く。彼は、私の手をひいて壁の前に行き、一人ひとりの名前やルーツ、どんな仕事をしていたかを説明してくれる。「この人はロシアで生まれて、フランスに来たんだよ。銀行員だったらしい」「この人はおばあさんのお母さん。この人が描いた絵がさっき通ってきた玄関にあるよ。」
私は日本で生まれ、日本で育ち、親戚や家族が全員日本人の私には「ぐろーばる、、」という感想しか出てこない。
兄弟でアジア人とスペイン人、なんて人種が変わるなんて想像したこともなかった。
わたしには弟がいて、もちろん日本人だ。私と同じ、大阪と九州地方のミックス。私にとっては、当たり前だった。兄弟なんだもの、人種は同じに決まってる。基本中の基本くらいの勢いだった。その当たり前も、固定概念と言うことに気づいた。世界は広いわ。
ちなみに、弟とはよくLINEをしていて仲良かったのだが、最近弟とちょっとした言い合いを言ってしてしまって、距離ができてしまった。いらんことを言ってしまったお姉ちゃんは、後悔している。だから最近、あまり話せなくなってしまった。仕事の時は冷静に言葉を選べるのに、家族となるとつい熱くなって、言葉をまちがう。しかも一度まちがってしまうと、海外暮らしですぐには会えないから、なかなか仲直りできる機会がない。
この地で、この家族に入れば入るほど、日本の家族が恋しくもなる。
そんなホームシックを打ち消すように、おばあさんも、義理の父も、わたしの名前を呼び、冗談を飛ばしてくる。私も笑って、応戦する。彼らは冗談が大好きだ。すきあらば、冗談を挟み込んでいる。うっかりしていたら、すぐだ。
私の大好きな日本のおじいちゃんも、お父さんも、冗談が好きだ。
きつめの冗談の戦地・南大阪で育った私は、フランス人のブラックジョーク好きがかなりしっくりハマる。およそネイティブとは遠い、拙いフランス語で、なぜか応戦できている。
言葉も満足に通じないところで、生まれたところから遠い国で、いつも笑ってばかりいる。私は、とてもラッキーだ。この家族に、だんだんと溶けていく。
フランスは、結婚制度というのがあまり流行っていない。
だから、すごく家族の境界線が曖昧だ。
結婚制度をとる人、最近流行りの事実婚制度を取る人、特になんの手続きも取らずに長く一緒にいる人、チョイスは様々だ。
親戚の中にも、30年連れ添っているけれど、結婚も事実婚もなんの手続きもしていなくて、信頼だけで成り立っている二人もいる。
だから、どこからが家族で、という明確な線引きはない。
だんだん溶けて、混ざり合っていく。家族かどうかは、心で決める。
昔はそんなこと聞いてもよくわからなかったっけれど、今はすごく納得するし、人間っぽいと思う。結婚は覚悟がわかるというけれど、イベントごとにしなくても、覚悟は飽きずに毎日感じる。
海外に飛び出したのは、20代後半だった。日本にいるとき、周りがザワザワとしだした。結婚しなきゃ。って、その単語が飛び交うのに耳を塞ぎたかった。どうして。人は一人一人違うし、人生はみんなタイミングが違う。でもどうしてわざわざ横並びになろうとするのだろう。どうしてみんな、焦っているのだろう。
わたしはその頃フリーランスになったばかりで、仕事に情熱が全て持って行かれていた。四六時中仕事のことを考えていて、希望に満ち溢れていた。そういう話をしたかった。
だから、婚活や結婚の話題しか出ない女子会がだんだん苦しくなって来てしまった。「興味がある」という仮の姿でしか、そこの空間に入ることができなかった。適齢期の女性が結婚に興味がないなんていうと、すぐさま彼氏となんだかうまく言ってないというレッテルを貼られる。
白か、黒か。グレーの余地はなかった。グレーがないというのは、危険だ。白と黒の枠からはみでる人が、生まれるから。
わたしのお父さんとお母さんも結婚して、わたしと弟がいる。たくさんの年月を経て、子どもが大きくなって手が離れた今、二人は台湾や国内旅行、週末に大阪の人気の和菓子屋や蕎麦屋なぞ、どこかしこへお出かけしている。結婚という制度を取って家族をつくるのは、とっても素敵なことだと思う。
素敵だと思うからこそ、それは他人と同じ形になって安心したいという気持ちとか、焦るとかの気持ちと、一緒くたにしてはいけない気もする。
いつかの秋に、旅行で片田舎に行った。おばあさんが生まれ育ったところ。
そこは、とっても田舎だった。お店がなさすぎて、郵便局がパン屋を兼ねるぐらいの。隣の家は車で10km。肉眼では、お隣さんのおうちは影もかたちも見えない。ひたすらに、牛。農場。
でもその代わり、街の人たちのつながりは強く、どこへ行っても知り合いの家がやっている果物屋や、レストランだった。
フランスには、ラ・トゥサン(La toussaint)という祝日がある。この祝日のため、学校はこの前後2週間休み。
11月1日は諸聖人の日、11月2日は死者の日。
家族や親戚のみんなでお墓参りに行って、食事しながらめっちゃ喋って(相変わらず)、 生と死について考える日。
ラ・トゥサンの前日のハロウィンで、みんなでガイコツやゾンビに仮装したりして、死んだあとの姿におもしろおかしがりながらも、そっと、生と死について触れていく日。
お墓参りにみんなで言った。お墓の形が日本のそれとは違って、石盤が地面に埋め込まれているタイプだ。とっても「外国だ。」と思った。
おばあさんが、知り合いは土の下にいるけれど、全員紹介してくれるようだ。しかも「あ、この人も死んだか。この人はサン・ソノさんという人で〜」と、淡々と自己紹介してくる。
「これは近所の◯◯さんのお墓、これが郵便局のあのおじさんのお父さんのお墓」と、みんなの現住所(お墓の位置)を渡り歩く。
80代になると、知り合いがなくなっていくのが日常らしい。
一通り近所の友を紹介し終わったら、ガロワ家のお墓の前にきた。
おばあさんはお墓に向かって「この子を紹介するわ。名前はSAKIと言います。日本からきました。日本は、アジアの遠い国です。」
フランスのお墓は、土の上に石盤が横たわっている。そこに、名前が書かれている。だから、顔を下に向けて、土に語りかける格好になる。名前の周りには、先ほど近くのスーパーの中にある花屋で買ったばかりの、ハイビスカスの花が散りばめられている。
その後、彼も私を、土の下のひいおじいさんに紹介した。
「ひいおじいさん、お久しぶりです。今日は僕の恋人を紹介します。一緒に家族旅行に来ました。よろしくお願いします。」
彼の背中を見ながら、嬉しいと思う。彼を、背中を、信頼している。わたしは、ラッキーだ。
欧米では、一人にいくつもプレゼントをするのが慣習で、ツリーの下には色とりどりのプレゼントが溢れていた。
ホームアローンとかのアメリカやヨーロッパが舞台の、数々のクリスマス映画でよく見る、あれだ。
プレゼントは一人一つだと思っていた私は驚いてしまった。
子どもの数がすごく多いとか、親戚がすごく多いとか、そういうことではなくて、あれは一人にいくつも用意されていたのか。映画の家族はもれなく大所帯だと思っていた。
そして、会ったことない親戚もみんな、私の写真をみて、似合う暖色系のマフラーや、暖かい靴下をプレゼントとして用意してくれていた。
お酒と徹夜に弱い私は、夜中の2時になるとしゃんと座っているのがむずかしくなって、彼の隣で一緒に、笑っていた。
パッと見ると、おばあさんがじっと、ニヤニヤ笑いながら私たちを見ている。「よしよし、いいぞいいぞ。もっと仲良くしてくれ。」と言う感じだ。赤ワインを飲みながら。
ソファの下を見ると、きっちりとまだ専用でボトルキープされていて、しかもさっきと違うラベルに変わっていた。
私と彼は「おばあさんめっちゃ見てくるんやけど」と言って、また笑った。
義理の父、義理の母は、フランス語で、Mon beau-pere、Ma belle-mereと言う。直訳すると、「わたしの美しい父」「わたしの美しい母」。
「義理」という単語でなく、「美しい」と言う単語を使って、義母ということを表すのだ。
最近は結婚、事実婚、何も手続きしないなどいろんな制度があるので、家族の形は様々。いつから家族は、それぞれの心次第。だから結婚していなくても、Mon beau-pere、Ma belle-mereと、そう呼んで良いそうだ。
わたしの、フランスの美しい家族たち。
曖昧な家族の境界線は、美しくて、楽しい。
日本の家族に会いたくなった。みんな元気だろうか。今晩メッセージを送ろう。
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