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10月14日(晴れ) 結婚の日

秋晴れの鎌倉・材木座の空は、わたしたちをやわらかく澄んだ空気で包み込んでくれた。今日まで、頑張って生きてきてよかったな、それが私にとって、「結婚の日」を終えた感想。

わたしたち夫婦は、神山まるごと高専という徳島に新たな学校を作るというプロジェクトで出会って、わずか1年で結婚を決めた。
思えば、2021年に社会人大学院慶應SDMを卒業し、同時に当時勤めていた7人のベンチャーを卒業。これから独立して、自分の力で歩いていくぞ、というとき声をかけられたのが、高専のプロジェクトだった。
そこから、ぐんぐんのめり込んで、気づけば学校職員という立場に。
そして、生まれ育った東京を31歳にして、初めて離れて徳島県神山町へ移住。そんな中で、入籍までプロジェクトメンバーに誰1人としてバレることなく、愛を育んだのだから、我ながら大したものだと思う(笑)。


「家族ってなんだ」それが、私たちの結婚式のテーマ。
彼は、過去に結婚の経験があり、私は特に、法律婚へのこだわりもなく、というよりむしろ苗字が変わることの不便さに反対派で、強いていうなら子どもを授かることを考えると、法律婚しないと難しいよなぁという考えだったから、入籍に対してさしたるこだわりは無く。
結婚式もそう。たった1日のために、何百万円もかけるくらいなら、世界中を旅したい、というのが当初の考えだった。
それが、今は完全に「やってよかった」派なのだから、人間なんて適当だなと思う。
でも、それくらい、いい時間だったから、今日はその話をしたいと思う。

私たちの結婚の日のテーマは「家族ってなんだ」

家族ってなんだろう?
人はいかにして家族になるんだろう?
それが、私たちが人生における大切な大切なゲストと一緒に向き合いたい、味わいたい問いだった。

別に、婚姻届を出したからといって、家族になるわけでもなく、式を挙げたたからといって家族になるわけでもない。
ともに暮らす時間、ともに生きる時間が、わたしたちを家族たらしめるはず。
そんな、多分ちょっと面倒くさめな人間である私たちが、結婚式の会場として選んだのは、鎌倉・材木座にある「MAYA
MAYAは、築90年の古民家を改装した一棟貸の宿で、数時間のパーティーではなく、2泊3日ができる。だから、結婚式じゃなくて、「結婚の日」。

家族だけの、ささやかな前夜祭。

前日は、家族だけで、じっくりバーベキュー。
たっぷりの鎌倉野菜に地鶏・かますを炭火で焼くことにした。
実家を出てから7年、今は東京と徳島で離れて暮らすのもあって、母と並んで台所に並ぶのはいつぶりだろう。
いまだに椎茸が嫌いで、食べずにいる私を母が「変わってないのね」と笑った。

私の父は、私が6歳の時に癌で他界している。
実は夫の両親も昨年、この世を去ってしまった。
それは、一般的に言えば非常に不幸な出来事で、とても悲しい家族構成なんだろう。だけど、私にとっては少なくとも父がいない暮らしが20年を優に超え、父がいないことも、寂しさも、当たり前になっている。

父と母のドラマみたいに壮大のラブストーリーや、義父母の喧嘩しつつもラブラブな話を聞き、私たち2つの家族は夕暮れとともにじんわり溶けあっていく。
気づけば、私の弟のパートナーと夫のお兄さんがとても仲良く話していて、あぁこれが見たかった景色だよね、と夫と微笑みあった。

結婚の日、当日。

明け方。1人で大きな大きな桧のお風呂に入って身体を温める。
そんな癒しも束の間、怒涛の勢いで準備スタート。
当日、弟に「ここまで準備できてないの?」と怒られるくらいには準備が追いついてなかった。しかも完了しているタスクの大半は夫が終えてくれたもの、つまり私はほぼ貢献できてない。
みんなが、いそいそと準備を進めてくれている中で、私はヘアメイクのお支度。
そして、朝ごはんを食べると、下書きまで済ませておいた、夫と両親への手紙を書いた。
白一色のお花でドレスアップした室内を見渡すと、普段はあまり緊張しない私もいよいよだなぁ、と少しだけ背筋が伸びた。


13:00受付スタート。
今回、会場が小さな宿ということもあり、私たちを入れて40名、つまり38名のゲストしか呼べないという制約があった。
自分の人生において、本当に本当に大切な38名のゲストにお声がけするのは、変な話だが勇気のいることだった。
中には連絡を取り合うこと自体久しぶりの方もいて、なんだか、不思議な気持ちだ。
だけどこの場がきっと素晴らしい場になることへの静かな確信があった。
夫のエスコートで、母家の裏側から、ゆっくりと庭へと進む。

鎧を脱いで、纏い直す。

入場するとすぐに、うっすらと涙を浮かべた母がそこに立っていた。
母と私にはいつも、不思議な我慢強さの壁がある。
それは、自分自身に対しても、社会に対しても、親子に対しても。

父を亡くして、母が専業主婦から、仕事に出るようになったので、小学生だった私は、仲の良い友人の家で晩御飯を食べさせてもらっていた。友人家族は、今思えばありえないほどの愛で、家族同然で面倒を見てくれていたから、きっと、それは大きな問題ではなかったのだろう。
だけど、6歳の私は、苦手な椎茸が食卓に並んだ時、嫌いとは言えず、頑張って食べていた。
当時の私には、きっと安心して、生きていく居場所を作るための防衛本能が備わっていったのだろう。
そんな「椎茸の思い出」と、31歳の私の冷静な分析が、この場でなぜと思いながらも頭の中をぐるりと駆け巡った。

母と私にしか見えない心の鎧を脱いで、優しさで包まれるようにヴェールを纏った。
少しだけ、つよくなれた気がするのは気のせいじゃないはず。

夫と2人で1歩ずつゲストの前へ。
私たちの人生で大切な人たちが、こちらを見て微笑んでいる。
そこに父は、いない。
夫の両親も残念ながら、いない。
だけど、間違いなく、心はそこにある気がして、それはきっと夫も同じように感じていたことだろう。
柔らかな日差しの中で、心が、この瞬間を待ち侘びていたことを感じる。
鼓動が少しだけ早くなっているけど、それは緊張というよりむしろ、楽しみな気持ちによるものだろう。

誓いの言葉は、交換日記。

交換日記といっても、数週間に一度、思い出した頃に書くくらい。付き合って1ヶ月ほどのある日、義母の容態が急変し、夫が急遽実家に帰ることになった。急いで空港へ見送ったその帰り道、目黒のちいさな雑貨屋さんで、この日記帳を買ったのだ。何気ない1日を大切にしたかったから。

私たちの結婚は、誰に承認されるわけでもなく、自分のために、そして相手のために愛を伝えようと2人で話し合った。
だから、人前式ともちょっと違う。特に証人も、承認も必要としていない。
だけど、人生を見守っていてほしい38名の人たちがそこにはいた。
彼らが確かに、見守ってくれていた。

家族になるということ、家族であるということは、そういう言葉にならない安心感、心の落ち着き、それらがあるからこその思いやりや愛がもたらす結果なのかなと思います。

私がここに、愛を誓うのならば、それは「愛しているよ」ではありません。「幸せにしてください」でもない。

私がここに誓いたいのは、約束したいのは、
”どんな未来も、自分達らしく生きていこう”

例え、未来が今日のようなほほえみと優しさに溢れていなくても、私は必ずあなたの前に光を、笑顔を、自分らしさをもたらすことを誓います。

生まれてきてくれてありがとう。巡り合うことができて幸せです。
どんな未来も私らしく、あなたらしく、これから巡り合うかもしれない子供達らしく、生きていきましょう。

私の誓いの言葉の抜粋



披露宴というより同窓会のはじまり

その後の宴は大いに盛り上がり、大切な友人や先輩や上司や家族が、人として繋がっていくのを肌で感じた。咲さん今井さん中心に、ハイキーの叫び声と笑い声が飛び交う会場は、結婚式というより、同窓会のような雰囲気。
お色直しから戻ると、ゲストが自由に席を移り、大学の恩師と幼馴染が仲良くなってたり、弟が夫の上司にタメ語で話していたり(笑)。


天国の両親へ

そんな楽しい宴の後半。
生きていたらきっと一人娘の結婚をなんとか阻止しようとしたであろう私の父と、きっと頑なに涙を堪えようとする夫の両親のこと、私たちの生まれの家族を知ってもらうために、夫の手作りムービーで紹介。

そして、最後はお互いの両親への手紙を。
私と夫はもちろん、兄弟も、上司も、幼馴染も、元同僚も、みんなが瞳に涙を浮かべ、きっと、自分だけの「家族ってなんだろう」という問いに真摯に向き合っていた。そういう時間が流れていた。


家族ってなんだろう。

そこから夜が更けるまで、語り合ったり、花火をしたり。
翌日は、昨日までの晴天が嘘のように、大粒の雨で目が覚めた。
天国の父や義父母が、お天気にしてくれたのかなぁなんて話を2人でしながら、静かな鎌倉の空を長いこと見つめて。

血のつながりを恨むほど、関係が難しい家族もある。
父のように、会いたくても会えない家族もいる。
一度心のそこから愛し合っても、うまくいかない家族もある。
生まれてくる新しい家族もいる。
ここに集まってくれたみんなのように、それは一般的には友人や知人と言われても、家族のように、人生を遠く近く見守っていてほしい人もいる。

私の生まれの家族は、もしかしたら「ふつう」ではないかも知れないけど、
私にとってかけがえのない家族であることは変わりない。
夫と築いていく家族が、「ふつう」と違うものになっても、それは気に留めることでもない。
私たちらしく、生きていくことが、そこに寄り添い合うことが、
私たち家族だから。

10月14日(晴れ)。
今日は、すばらしき結婚の日。

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