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制服の役割

バリ島ではバリの私立校の校長先生と共に過ごしていた。

実際に彼の学校も訪問し、優秀な高校生と先生方とのディスカッションの時間もいただいた。

先生は敬虔なヒンドゥー教徒で毎日の瞑想と宗教の勉強の時間を欠かさない。お家では24時間マントラが流れていた。

そんな彼と彼の奥さんと一緒に夕食を食べていた時のこと、学校の宗教と制服の話になった。

バリ島はインドネシアにありながらヒンドゥー教徒がマジョリティの珍しい島である。学校にはムスリムや仏教徒の生徒もいるがマイノリティ。

先生は学校に生徒が宗教を持ち込まないように、ムスリムの生徒には頭のスカーフを外すように指導するらしい。

バリを訪れる前にロンボク島でムスリムの家族と一緒に過ごしていた私は、彼らにとって髪の毛を隠すことがどんな意味を持つのか知っていたから、学校だからという理由でとったり外したりできるものではないと思った。

私はこれを宗教的な差別として捉え、宗教の共存の難しさを考えていた。

その後、なんだかモヤモヤしてインド人の友人に電話をしてこの話をした。

同情してくれることを期待したが、彼は以外にもあっさりとそうあるべきだと先生の意見に同意した。

「学校は平等な場所であるべきだ。どんな宗教でも民族でも、どんなに貧しくても裕福でも学校にいる限りはみんな平等な立場になる。もし、学校に一人だけムスリムの女の子がいたらどうなる?その子は頭にスカーフをかけていることがきっかけでいじめられるかもしれない。みんな自由な格好で学校に来たら、だれが裕福で貧しいか、誰がムスリムでヒンドゥー教徒であるか、全部一目でわかってしまう。そしたらどうなる?きっと同じ階層、同じ宗教の子達がまとまるようになるかもしれないね。学校は平和的に多様な背景をもつ人たちが共存できる場所であるんだよ。宗教も階層も関係なく子どもたちが交われるそういった場所を大切にするために、制服は必要なんだ。」

多様な文化背景を持つ友だちがいたわけでもなく、貧富の差が大きくない地域で教育を受けてきた私にとって制服はただの学校で着る服でしかなかった。

制服を来ているときは頭にスカーフをつけてはいけない。

最初はすごく差別的に思えたが、実はそれが差別を防ぐための工夫のひとつなのかもしれない。そう思うと、自分の経験を基準に考えることの危うさを自覚させられた。

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