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キッチンで話すのが一番好き

先日中国人の友人の家にお邪魔して餃子の作り方を教わった。

お肉を食べない私は、中華料理屋さんで餃子を食べることがない。
そんな話を中国人の友人にすると、肉を入れない餃子があるから一緒に作ろうと誘ってくれた。

肉を入れない餃子は、
キクラゲ、干し椎茸、春雨、ニラ、炒り卵、干しエビが入っていて、味付けは生姜、にんにく、醤油とオイスターソース。
包み方も教えてもらった。

私はキッチンでお話しするのが大好き。

小学生の頃から帰宅すると鞄をおいて手を洗って、部屋着に着替えて、キッチンに置いてある椅子に座る。そして今日あったことを母につらつらと話し始める。気が向いたら洗い物をしたり、火にかかっているフライパンの中身をへらでかきまわしたりする。これが私の小学生の時からの習慣。

よく、「学校から帰ってから何しているの?」と聞かれた時に返事に困ったのを思い出す。私は家で何をしているんだろう?と考えると、いつもキッチンで母と話している自分の姿が思い浮かぶ。「お母さんとおしゃべり。」こう答えるのが少し気恥ずかしい時期もあった。

普段はなんてことない平凡な話をするのだが、ごく稀に嫌なことがあったり、悲しいときに吐き出せる場所もキッチンだった。

キッチンは細々とした手作業をしながら、対面になることがない場所。
私は友人とカフェでお話しするときもカウンターの方が気楽に思うことがある。改めて相手を真正面に話をするのはなんだか緊張する。

中国人の友人の家で一緒に餃子を作りながら私は彼女に「中国にいたときはよくお母さんの料理のお手伝いをしたの?」と聞いた。
彼女は、「いや、していないよ。キッチンで手伝おうとしても、そんな時間があるなら勉強しなさいって言われてたから。」と答えた。

「じゃあ、どうやって料理を覚えたの?」と聞く私に「料理は日本に来てから。故郷の味が恋しくて自分で作り始めた。」

中国のエリート家庭に生まれた彼女は母親とキッチンに立って他愛もない話をすることはほとんどなく、とにかく必死に勉強をしてきた。

これは中国に限った話でなく、日本でももちろん、アジアの他の国々でも見られる現象だ。娘がキッチンに立って母親から料理を学んだり、他愛もない話をするよりも、勉強することの方が大切。もちろんそれは、競争社会の中で生きる子どもの未来を思ってのこと。
でも、なにか大切なことを見落としてしまっているように思う。
もし私に娘ができたら、私はキッチンの時間を大切にしたい。

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