ねこさん、拾いました~3年後の今明かす真実の物語~
★ふざけんじゃねえぞ!
クソみたいなニュースを見た。『コロナ禍でペットを捨てる人が急増しています』というやつだ。ハッキリ言って、胸糞が悪い。
ニュースが伝えた内容はこうだ。
『コロナ禍で癒されたいと思った人がペットショップで犬や猫を飼ってみたが、思ったものと違うので捨てた』『天使かと思ったら悪魔だった』『犬の気持ちがわからない』
動物大好きで四匹も飼っている私からしてみれば「ふざけんじゃねえぞ、ボケえっ!」って話だ。なにが『思ったものと違う』だ。なにが『天使かと思ったら悪魔だ』だ。なにが『気持ちがわからない』だ。
当たり前の話じゃないか! 犬や猫にだって意志がある。ロボットじゃないんだから、言うことをすべて聞くわけがない。吠えてばかりいるのは知らない場所にいきなり連れてこられた上に、わけのわからない得体のしれない人間と同居するからだ。おまえだって同じように知らない場所に、得体のしれない人間と監禁状態になったら不安で不安で叫びまくるだろうが! おしっこのしつけがされてなくて、いろんな場所にするから掃除がたいへんなんて、トイレしつけがなされようと15年もして年を取ったら粗相しまくるっちゅーねん! さらにストレスから突然できなくなるケースもあるっちゅーねんっ!
それもこれも『生きている命』だからなんだよっ!
そういうこともわからない、予測もたてられない人間が『かわいい』『癒されたい』でホイホイ金出して動物飼ってみて、違ったからってポイポイ捨てやがる。
私からしてみれば「おまえらみたいな命の重みもわからねえクソみたいな人間こそ、ゴミみたいに捨てられてしまえ!」だわ、本当に。
なんで、私がこれほどまでに口汚く罵るかと言えば、私自身が命の重みをものすごく体験したからだ。
★運命の出会い
三年前の平成二十九年六月十六日、金曜日のことだ。
息子から『子猫を助けたい』と連絡をもらった。
これがお世辞にも「かわいい」とは言い難い猫でね。
三百五十グラム、ビール缶一本分の体重の白い子猫は恐ろしく汚くて、爪は伸び放題で出っぱなし。目ヤニはベタベタで、鼻周りも茶色くガビガビ。
見た目エイリアンそのもの。
これは実際にそのとき、息子の親友のママ友さんがLINEに送ってきてくれた画像。通知の確認をしたときに、こんな不細工な生き物の画像を送られてきて、なんだこりゃ?ってなったわよ(笑) お友達のママさんに失礼なことは言えないから『かわいいね』と返してみたけど、どうしてこんな画像を送ってきたのかわからなくて困惑しっぱなしだった。
そんな私に返ってきたのは答えはこうだ。
『○○くん(息子氏)が飼えないかって聞いてくれと言われまして』
目が点になった。なにを血迷ったことを言っているんだ、バカ息子は――と。そもそも、うちには15歳になるダックスフントがいて飼える状況でないことはよくよく理解しているだろうに。大きなため息をついて急いでママ友さんに連絡を入れると、すぐにつながった。
事情を詳しく聞くと息子たちが帰宅途中、子猫を見つけたらしい。飼い主になってくれる人を今、近所の人たちみんなで一生懸命探している最中なのだがまったく見つからない。そんなときに息子が『俺、心当たりあるよ』と言うから連絡したのだということだった。
息子は大の動物好きだ。とても優しい。これは友達のお母さんたちも口をそろえて言うくらいだ。なにせ息子には『仏の○○くん』という異名もあるくらいだ。
ママ友さんから話を聞いて、私もピンッと来た。なるほど、家で飼えというわけではなく、飼えそうなところを当たれということなんだなと。
『親父に聞いてくれ。ばあばの家(父方の祖父母のこと)も昔は猫飼ってたって言ってたしさ。それに親父の会社で野良猫たくさん飼ってるだろう?』
たしかに元旦那さんの会社では何匹も猫を保護している。餌を与えて、去勢して、事務所で寝泊まりしている子も何匹かいると聞いている。
ひとまず連絡はしてみるからと一旦電話を切る。それから元旦那さんに連絡を試みた。だがどういうわけか、この日に限って連絡がつかない。仕事は終わっている時間のはずなのに、だ。
写メと一緒にメッセージもいくつか送って、着信も死ぬほど残してみたものの、結局30分経っても連絡なし。いつもならすぐに連絡がつくはずなのに面白いほど繋がらない。
すでに午後六時半を回っている。息子はまだ子猫と一緒にいて、近所の保育園に当たったりして、今日預かってくれる人を必死に探しているらしい。このまま置いてくるしかない状況で息子は必死に私に『連れて帰っていいか』と頼み込んだ。一緒に預かってくれる人を探してくれていた近所のおばちゃんも飼ってくれそうな人を当たってみてくれると言っているからと。
子猫をこのままにしておけば、車に轢かれたり、カラスの餌になったりするのは目に見えていた。手の届く位置に命が落ちている。それを見捨てることができるのか――答えは否だった。
「わかった。とにかく一旦、うちに連れて帰ってこい。話はそれからだ」
私は息子に急いで連れて帰るように促して電話を切った。元旦那さんからの返事を待つ間だけ預かればいいという考えもあった。
だけど、どうしても捨て置けなかった。
息子の行動は私の小学生時代と重なったからだ。救えなかった「小さな命」のことがフィードバックする。その子は写真の中の子よりも、もっと小さかったような記憶がある。
青い目で、アメリカンショートヘアのような柄と色をした(サバトラ)子猫だった。同じように目ヤニがべったりで、片目は開けられなかった。
そんな子猫をどうにか助けてやりたくて、私は猫嫌いの父親に『最後まで面倒を看る。責任もって飼うから』と涙ながらに訴えたことがあった。
だけど、父親を説得できなかった。『元に戻せ』と怒鳴られて、泣く泣く元いた場所に返すことになった。
お腹が空いて、ミーミー鳴く子猫がかわいそうで、人間用の牛乳を与えた。
喜んで飲んでいた。だけど、人間の飲む牛乳が子猫には強すぎるなんて、当時の私は知りもしなかった。
結果、その子猫の死期を早めてしまうことになった。
鳴くことも動くこともなく、魂がいなくなってしまった冷たい子猫を裏庭に埋めるときは、本当につらくて、無力感にさいなまされた。ごめんねって、泣きながら何度も謝っていた。その子とリンクしたからの苦渋の決断だった。
息子が帰ってくるまではかなり時間がかかった。その間にかかりつけの獣医さんに受診のお願いもした。犬は育ててきたけれど、猫に関してはさっぱりだったから、獣医さんに聞くしかないと思った。うまいこといって、そのまま預かってもらえるかもしれないという打算も無きにしも非ずだった。
結果から行けば、私のもくろみなど塵のように消えていった。飼ってもいい人なんて早々現れないし、獣医さんでも預かるのに一日五百円かかると言われた。里親探しのチラシも自分たちで作るように言われた。そのうえ、最後の頼みの綱の元旦那さんにも『NO』を突きつけられた。
でも、その中で私の中にはもうすでに決意が生まれていた。
『子供たちに責任を持って育てさせよう』ということだ。
先ほども言った通り、私には子猫を殺してしまった苦い経験がある。命とは簡単に育たないことも知っている。何匹もの飼い犬たちの死も見てきたし、年を重ねていくと病気もたくさんしてお金がかかることもよくよく理解している。だからこそ、拾ってきた息子に命の重みを知ってもらおうと思った。
簡単じゃない。手間暇がかかる。お金もかかるし、通院しなければいけない労力も発生する。それでも救いたいと思うなら、きちんと責任を持ちなさいと――
それに先生にも言われた。子猫は子犬と違って簡単には育たない。拾った子猫は元気もないし、まだまだ小さい。体重が増えなければ命を落とす可能性も高い。もしかしたら10日生きられないかもしれない。たとえ命をつなぐことができなかったとしても、その10日間は子供たちにとったら、ものすごい勉強となる時間だろうと。
このときに拾われた子猫は『ライ』と名付けられた。猫風邪がこじれて肺炎になり、生きるか死ぬかと言われたら、死ぬほうに賭けたほうがいいとも言われた。
そんな彼は今、三歳になっている。
一歳半のときには四階からジャンプして、右足の大腿骨を骨折。今も金属ピンが入っている状態だ。病院代は総額50万円ほど彼に費やしている。野良猫だから元手はタダであるのに、実質は50万円の高級猫様だ。
でも、うちの家族は誰ひとり、うちの子にするという三年前の決断を後悔していない。むしろ、感謝している。あのときの出会いがなかったら、私たち家族は猫の保護にも無関心のまま今も生きていただろうし、こんな風に命について考えることもなかっただろうから。
実際、子供たちは一緒にがんばったよ。初日は子猫が心配すぎて、床で寝落ちていたくらいだったしね(笑) そんなふうに愛情たっぷりだったからこそ、ライは死の淵から戻ってきたと思うんだけどさ。
★命を粗末にするなかれ
コロナ禍でペットを簡単に捨てる人に対しての怒りは天をも突き抜けて宇宙に到達してしまっているが、それと同じくらい残念な気持ちになるのが『自殺』だ。
たしかにつらいことが多い世の中で、死にたい、楽になりたいという気持ちはよくよく理解できる。実際に私もそういう気持ちに陥った。なにもかも楽しくないし、五感も働かない。世界がすべてモノトーンに変わってしまっては生きている意味も見いだせない。
だけどさ、それはあなたの命だけど、あなただけの命じゃないんだよ!
あなたを生んだ人がいて、あなたを育てた人がいる。あなたを支えた人がいて、あなたに支えられた人がいる。
だからさ。命は粗末にしてほしくないんだよ。
小さな子猫一匹を救うために、私は寝る暇も惜しんで看病した。その話は『猫の話をしようか』というサイトの『犬派のぼくが猫を拾った』シリーズを読んでもらえればわかる。そして今、新しく二匹の猫ちゃんを保護して、年を取った老犬の介護もしている。子供たちも大きくなって手は離れたけれど、ひとりはド畜生な思春期真っ盛りで、毎日衝突して、傷つけあってばかりいる。
それでも私にとったら子供たちも、わんこも、にゃんこも全部だいじな命でさ。ひとつたりとも譲りたくない大事なもんでさ。
そうやって、あなたも誰かに思われているのを忘れないでやってほしいんだ。
ちょっと横道にそれてしまったけれど、命は言うことなんて聞いてくれない。娘なんていい例でいつも私にかわいくない言葉を吐きまくる。こっちの言うことなんて右から左でぜんぜん聞かない。それでも私は彼女が大好きで、大好きでたまらない。気持ちなんてぜんぜん理解できないし、思い通りになんて100%ならないけど、それでも愛おしくてたまらない存在なんだ。
そんなふうに迎え入れたわんこやにゃんこのことも、見てやれるようになってほしい。そういう気持ちでこの記事を書いたよ。
★最後にまじめな話をひとつ
ペットを簡単に捨てることは今に始まったことじゃない。旅行に行きたいから愛護施設へ持って行った家族の話もあったくらいだ。金を払った物としてしか見ていない。共感力なんてもんを持ち合わせてないダメな人間も山ほどいる。先読みできない、リスクに対して想像力を働かせることができない。イマジネーション欠如等々、隠れている問題は山のようにある。虐待ができるのも痛みを知らないからだろう。
じゃあ、解決するにはどうすべきか。
幼少期の教育に尽きると思う。他人のペットは迂闊に手を出しちゃいけないこと。おびえた動物は飼い主の言うことを聞けないときだってある。節度を守れば仲良くなれること。仲良くなれれば言うことも理解してくれて、寄り添ってもくれると知っていくこと。
段階を踏んでいけば距離を縮められる――それを教えていくしかない。
またペットショップで購入した初心者向けの飼育サポートシステムがあればいいんじゃないかなとも思っている。まあ、それも私からしたら「勉強してから飼う選択しろ! ライセンスも持ってねえのにお世話したいなんて百万年はえーわっ、バカめ!」としか思えないんだけどね(笑)
そういうわけで、命はとっても大事です。一筋縄ではいきません。
皆さんもわんこやにゃんこを家族として迎えようとするときは最期まで看てあげられるのか、その覚悟があるのか、しっかりと見極めたうえで決断するようにしてくださいね!
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