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【だらだらエッセイ】アメリカ酒旅その4:旅するお酒、行く着く先へ編

8月31日。午前中は前日の食べ合わせが悪かったのか、気分が優れなかったのでだらだら過ごし、午後からはTrue Sakeでのインタビューと、ヘイズ・バレーで買い物もしたかったので、11時くらいに部屋を出た。黒と、クリーム色と、薄いグリーンがブロック状になった五分袖のニットに、黒いパンツとオリーブのピンチョスみたいなピアスを合わせる。配達員が配送先の部屋を間違えて、出発ギリギリのタイミングで我が家へ届いたニットだ。

True Sakeに到着し、ShinちゃんとChrisに挨拶をして、Meiのいる奥の部屋に荷物を置き、すぐにお店を出る。同じヘイズ・バレー沿いにあるエピキュリアン・トレーダーというセレクトショップで、カリフォルニア州アラメダのジン&ウォッカ蒸留所・St. George Spiritsの焼酎が買いたいと思っていた。こちらの蒸留所、メンバーはアメリカ人のみなのに、なんと酒粕で粕取焼酎を造っている。わたしは何度か飲んだことがあるけれど、今度こそ焼酎の好きな友人たちのお土産にしたいと考えていた。

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このお店はウイスキーやテキーラほかお酒のラインアップが充実しており、オリーブオイルや香辛料なんかもそろっているので、小さなお店だけれどついつい長居してしまう。以前、冷蔵庫の中に缶入りのサケがいくつか入っていたが、見るとなくなってしまっていたのは悔しかった。

結局目当ての焼酎一本だけを買い、5000円くらい払って、すぐそばの公園にプレハブで設けられたRitual Coffeeでお土産用のコーヒー豆とコールドブリュー(水出し)のコーヒーを購入し、お店へ戻る。途中、寄付を募っている慈善団体の男の人から、君のセーターはいいねえ、と褒められた。

True Sakeの事務スペースに戻り、リュックに荷物を詰めながらふとMeiの横顔を見てハッとする。あんなにずっと長かった髪の毛が、ショートカットになっている! わたしが叫び声をあげると、Meiが、いや、さっき荷物を置きに来たときになんで気づかないの、と笑う。ちらっとしか見なかったので、ポニーテールにでもしているのだと思い込んでいた。

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かわいい! セクシー! と絶賛していると、お母さんからはもう一人息子ができてうれしい、お兄ちゃんからはUtadaみたいだと言われたとごまかされた。Shinちゃんの、彼女のキャラクターに合っているよね、という言葉にうなずいていたら、メガネをかけたセミロングヘアの大男が現れた。Beau Timken、このお店のオーナーであり、わたしのアメリカ生活時代の恩人だ。元気か、と軽くハグをして、すぐにMeiの新しいヘアスタイルを見た? キレイよね、と尋ねると、彼女はあんまり気に入ってないだろうね、と首を傾げて、事務的な伝言をして店を出て行く。Meiが眉をひそめる。私、そんなこと言ってないじゃない。あなたが見慣れない姿になってるから照れてるだけだよ、とわたしも肩をすくめた。彼は優しいけれど、器用じゃないところがたくさんある。

インタビューは隣のテナントで行うとのことだったので、Meiが仕事を終えたところで、二人で隣に向かった。大きな格子扉を開けて体を滑り込ませると、だだっ広いコンクリート打ちっぱなしの部屋の真ん中に、テーブルと三脚の椅子が置かれていた。なるほど確かに広い。

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薄暗い空間の中で、テーブルライトの灯りをもとに、あたりを眺める。Beauは、ここは一面冷蔵庫にして、ここにはあれを置いて、ここはテイスティングコーナーにして、と、移転後の内装の計画を話してくれた。

わたしは二人にお土産のお酒を渡す。Beauには、最近話題になっている日本のお酒で、まだアメリカに来ていないもので、彼の興味関心に最もヒットするだろう商品、ということで、山口県・長州酒造の「天美」を渡した。彼はこのラベル、見たことがある! と顔を輝かせて、早速Instagramで検索を始めた。お酒の持つストーリーはもちろんだけれど、おそらくは、味も彼の舌に合うだろう。

Meiには奈良県・大倉本家「金鼓」をあげる。あなたが絶対に好きなゴールデンのお酒だと言うと、うれしそうにしていた。わたしに剣菱を勧めたMeiは、菊姫とか神亀みたいな骨太なお酒を愛している。

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インタビュー内容については割愛するが、概念的なところをBeau、事務的なところをMeiに訊くつもりだったのに、Beauが勢い余ってほとんど話してしまったので、Meiが再び顔を顰めていた。彼とのアポイントメントはこれ以外になかったので、おそらくなにか奢ってくれようと、サンフランシスコで恋しかったものはないのか、と訊いてくる。わたしが別にない、I just missed you guys(あなたたちが恋しかった)というと、それはGreat answerだと苦笑いして、好きなお酒を一本持ち帰ってよいと言われた。それも要らない気がしたけれど、先日お店を訪れたときに投稿した写真の中で、日本でもう手に入らないボトルがあるという指摘があったので、それをいただくことにした。

おそらく家族の用事があって、自分はもう出るが、わたしがいつまでサンフランシスコにいるのかと訊いてくる。予定を答えると、しばし難しい顔をして、最終日くらいには会えるだろうと去っていった。別に期待もしていなかったし、まあ忙しい彼のことだからどうせ予定は合わないのだろうと期待せずに手を振る。

この日の夜はMeiと近くのバーへ行く予定だったので、彼女の仕事が終わるまで作業をさせてほしいと、隣のスペースをふたたび開けてもらった。しかしあまりにも寒く、一時間くらいで耐えられずに出ることにした。お散歩として、マーケット・ストリートあたりまでをウロウロと歩く。通りかかるたびに、慈善団体のお兄さんからセーターを褒められるので、だんだん面倒になり、ぐるりと遠回りしてお店に戻った。

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Meiが打ち合わせから戻るまでのあいだ、仕事のメールだけでも送ってしまおうとラップトップを開く。すると、閉店作業を終えたらしいShinちゃんが新しいお酒があるからテイスティングをしないかと誘ってきた。もちろんと答えてグラスを受け取ると、Chrisが「”kaku uchi(角打ち)”って言うんだよね?」と訊くので、そう、酒屋さんでお酒を飲むこと、と笑う。いよいよみんなで乾杯しようとしたら、すでに閉めたフェンス越しに、犬を散歩している男の人がもう閉めちゃった? と訊ねてきて、リクエスト言ってくれたらそこまで持っていくよ、とChrisが対応する。

日本からの輸入品だったけれど、初めて見るお酒だった。ひと口飲んで、船を飲んで旅をしてきたお酒の味だ、と思う。造り手にとっては不本意かもしれないが、この味は懐かしくて好きだった。

Meiが打ち合わせから戻ってきたので、我々は出ることにした。わたしたちが飲む旨を聞いたShinちゃんがうらやましそうにするので、来ればいいのにと誘うと用事があるとのことで、終わり次第行くかもしれないと言われた。行こうと思っていたドイツ系のビアパブは数ブロックしか離れていないので歩いて向かう。

朝から何も食べない状態での飲酒となったので、正直なところ、酔いが回るのが早く、ここでの会話をあまり覚えていない。ソーセージの盛り合わせとほとんどピクルスみたいなサラダを頼んで、仕事や恋愛の話をした。盛り上がったわたしたちは、おなかがいっぱいになったところで、店を出た。

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Meiの車に乗ったけれど、二人して飲み足りないような気がして、日本から持ってきた「自然郷」があるけれど、部屋で一緒に飲んでよいかNorikoさんたちに相談をしてみようか、と提案し、盛り上がりながら帰路へ向かっていたら、Shinちゃんからいま用事が終わったが、まだ飲んでいるのかと尋ねる電話がかかってきた。Meiのスマホをスピーカー状態にして、一緒に飲もうとはしゃぐわたしたちに、シラフのShinちゃんは少し引いていた。

結局なにもせず、解散した。翌朝、酔っ払っていてごめん、と謝るわたしに、 Shinちゃんは、ずいぶんお楽しみだったみたいだね、楽しみすぎたようだけど、と苦笑いした。

* * *

9月1日。えらい酔ったなぁ、と思いながら目を覚ます。

この日は夜に、わたしが持ってきたお土産酒でちょっとしたパーティが開かれる予定だった。お酒を持ってきたぶん、料理は免除されていた──この家はJakeもNorikoさんも料理が得意だし(ついでに娘のOliviaも上手い)、ゲストも料理のプロフェッショナルなのでわたしの出る幕はない。

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さて夜の用事まで仕事をするかとリュックサックを探るとラップトップがない。記憶をたぐると、True Sakeで角打ちをやる前に、事務スペースの椅子で作業していたことを思い出す。Meiにメッセージを送ると、開店時間の直前に、あったよ、と返事がきたので、取りに行くことにした。大体の仕事は、お店がオープンする前にiPhoneで済ませた。

お店に行くと、床がお酒で埋め尽くされていた。水曜日はお酒の入荷日で、あらゆるディストリビューターから段ボールが届く。Meiはおらず、Shinちゃんと、初めて見る女の子がいた。わたしが去年、日本へ一時帰国のつもりで帰ったころに入った日本人の女の子だった。

ラップトップを受け取り、ランチ休憩から戻ったChrisとみんなで談笑する。ChrisはMeiを手伝って9月25日に開催される大規模イベント・Sake Dayの準備をやっているようで、いままでは本当に彼女しかやっていなかったから、それは素晴らしいことだと言うと、あまりにも大変そうだったから何かできることはないか聞いたんだ、と言われた。Sake Dayの仕事はMeiしかできないものとされてきていたので、こうやって新しく手伝える人が入ってくれたのは素晴らしいことだ。改めてよい出会いにしみじみする。

あるディストリビューター付き運転手が持ってきてくれたという大盛りのスモモをいくつか受け取って、Meiには会わないまま家へ向かった。夕方、Norikoさんが家に帰ってくると、わたしがキッチンに置いたスモモを見て笑っていた。彼女も配達でTrue Sakeに立ち寄った際にもらったらしい。

予定の時間になって、Miekoさんがやって来る。バークレーに住むMiekoさんは、Norikoさんの友人で、わたしとは、数年前に連れて行かれた彼女の家のホームパーティで知り合った。アメリカ人の旦那さんと、彼のお母さんと一緒に暮らしており、料理上手で、活動的で、ともかくコミュニティが広い。みんなMiekoさんを慕っているが、「集団」的なものが苦手なわたしとも親身にコミュニケーションしてくれるのでありがたかった(執筆や翻訳などのお仕事をしていたことも関係しているかもしれない)。味噌などの発酵食品を造るのが上手で、ベイエリアで味噌造り教室なども開いている。

久しぶりに顔を合わせたわたしたちは、ハグをして、わたしは茶色の紙袋に入ったままのお土産を渡した。Jakeが日本語で何それ? と訊き、Miekoさんがspores(種麹)だと応える。Jakeは大きく頷きながら、種麹に勝るお土産はないよね、と言った。去年の11月にサンフランシスコへ帰るつもりで、Miekoさんから指示されるがままにオンラインショップで購入したものだったが、ようやく渡せてほっとした。

テーブルに料理が並ぶ。Norikoさんが仕込んだローストビーフと、誰かの家の庭で大きくなりすぎたズッキーニをお漬物にしたやつ、Miekoさんの持ってきた豆腐のサラダに、赤かぶをオリーブオイルとケーパーで和えたもの、デーツと味噌で作った「ゆべし」ならぬ「デべし」に、塩麹で漬け、低温調理した豚肉に白味噌とグリーンサルサを混ぜたソースをかけたやつ。味はもちろんだけれど、見た目も美しく、そのしずる感に、普段はクールなNorikoさんがきゃっきゃとはしゃいでいる。あちこちに盛り付けられたミョウガは、Miekoさんのお庭で育てたものだ。

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わたしが持ってきたお酒はほとんどリクエストどおりだった。Norikoさんも一時期修行をしていた北海道・上川大雪の彗星 特別純米、同じく北海道(岐阜から移転)・三千櫻の純米吟醸 彗星55、静岡県の開運 特別純米、福島県・にいだしぜんしゅのにごり酒、そして「何か純米大吟醸を」とのことだったので、和歌山県・紀土の無量山。素人によるスーツケース輸入で、冷蔵保存できないタイミングも長かったので心配していたけれど、いずれもクオリティに問題なし、だった。

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ファースト・インプレッションから完璧なのは上川大雪だった。三千櫻は、実はわたしは「きたしずく」というお米を使ったお酒のほうが気に入っていて、リクエストにしたがって彗星を持ってきたとはいえ、初めはやはり、よさがわかりにくかった。ところが、いくつかの食べ物と合わせると、上川大雪を抑える勢いで花開くようだった。開運はよりどっしりとしていて、「デべし」や箸休めの塩辛に抜群に合った。

にいだしぜんしゅのにごりは、「にごりが好きでない」と言いながら美味しいにごり酒を造っているSequoia夫婦の勧める理由が理解できるように、シルキーで甘ったるさがなく、酸味の際立った精緻なにごり酒だった。紀土の無量山は割と遅めで登場したので、舌が汚れているタイミングで大丈夫かと心配したけれど、それを圧倒する美しく美味なお酒だった。

Norikoさんは「特別純米」と名付けられたお酒が好きだと明るく話してくれる。これは日本酒好きならわかることなのだが、特別純米というのは極めて曖昧なカテゴリーで、定義があんまり明確じゃなく、おおざっぱに言ってしまうと、造り手が「特別純米にしたい」という思いによってつけられているようにさえ見える。Norikoさんもそれを踏まえたうえで特別純米が好きらしくて、それはとってもよい趣味だなぁ、と思った。日本酒らしい気品と美しさがありながらも、食べ物に寄りそうお酒がお好きなのかもしれない、と思ったのだ。

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お酒にせよ、料理にせよ、おいしいものが大好きな人たちが熱く語り合う素敵な夜だった。とても自立していて、干渉しすぎず、それゆえに、新型コロナウイルス感染症が広まり始めたとき、ほんの少し溝ができてしまった私たちのそれが埋まるような夜だった。

目の前の料理の話、目の前のお酒の話、これからアメリカのサケが向かう未来の中で、彼らがどれだけ大きな役割を果たしているのかという話。一緒に暮らしていたときよりも、たくさんの尊敬を伝えられた、「わたしたちは、その未来を途中までしか見ることができないだろうけど」とNorikoさんは笑った。

アメリカに来てよかった、と思った。一度出てしまえばもういつ来られるかわからないと怯えるわたしに、かつて「飛行機が飛んでいるあいだは、いつでも来れるわよ」と言ってくれたのが、隣でグラスを傾けているMiekoさんだった。取り返しのつかないことなんてない。何度だって、やり直せるのだ。

お酒はすごいな、と思った。きちんと連れてきてくれる。そうして、溶かしてくれる。

わたしは少し泣いた。翌朝には誰もがめっぽう二日酔いにやられて、ぐったりとしていた。

お酒を愛する素敵な人々の支援に使えればと思います。もしよろしければ少しでもサポートいただけるとうれしいです。 ※お礼コメントとしてお酒豆知識が表示されます