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【だらだらエッセイ】アメリカ酒旅その3:なにもない(すばらしい)三日間編

8月28日。土曜日。眠る前にしょっぱいシメのようなものを食べたので、案の定おなかは空いていなかった。特に予定もない週末。海外旅行に来たのであればもったいなくも思えるかもしれないが、そもそもは暮らしていた場所だ。ゆっくり過ごそう。

完成しかけていた原稿を仕上げて提出し、Meiから返してもらった大量の本が果たしてどれだけスーツケースに入るのか、実験も兼ねて詰め込んでみる。大きなスーツケースひとつに全体の半分ほどの量が入ったので、なんとかなるだろうと目星をつけつつ、お土産のお酒は何本持って帰れるだろうかと不安になった。

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カリフォルニアに暮らしていたころ好んで飲んでいたクラフトビールを買いに行くため、ほとんどパジャマみたいな格好で、徒歩数分のトレーダー・ジョーズへ向かう。一年前はコロナ対策の入店制限で、店外に6フィート(約2メートル)間隔の列ができていたけれど、いまはすっかり自由に出入りできるようになっていた。

アメリカでビールは瓶も缶も6本セットで販売されていることがほとんどだが、トレーダー・ジョーズでは単品での販売をしているのがよい。パックに包まれているものを勝手にバラすのもOKだ。この日は、大好きな21st Amendment Breweryの新商品らしいトロピカルIPAと、ブラッドオレンジIPA、夏季限定のウォーターメロンIPAに、初めて見かけたSierra Nevada Brewingのサワーエールを購入した。サワーエールは大好きだが、缶入りで市販のものを見かけることはなぜかあまりない。流通に理由でもあるのだろうか。

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部屋に戻り、渡米前にNorikoさんから露天風呂に入ってよいと言われていたことを思い出す。この家の2階にあるアトリウムは、以前はガーデニング用の庭として使われていたが、わたしが日本に帰国しているあいだに露天風呂に改装されていた。

少し入り方にコツが必要とのことだったが、ご夫婦は酒蔵に出ていたので、一階の部屋にいたOliviaに尋ねる。木の蓋の下にアルミの蓋があるのでそれも外してくれ、お湯は循環しているからそのまま入ってよい、水道がついているからそこで体を洗ってもよいし、シャワールームで洗ってから入ってもよいということだった。

蓋を外して、流し場で体を洗い、湯船の中に身体を浸す。見上げると青空があった。お風呂は大好きで、日本の自宅では毎晩わざわざ湯を張っているが、それよりも大きな浴槽で、サンフランシスコの青空を見上げながら、脚を伸ばして湯に浸かれるのはサイコーだなぁ、とうっとりした。

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満腹感も拭えないし、今日は軽いもので済ませようとトレーダー・ジョーズで買ったキノコのリゾットを昼過ぎにさっさと食べてしまった。ビールに合わせようと、かつてロックダウン期間に気に入っていた中華料理店で豆腐干絲のパクチー和えとチャーシューみたいなやつ(Pork Elbowという)を買ったが、思っていたよりおいしいと思えなかった。

この日は確か、さっさと寝た。さっさと寝たゆえに、翌朝はさっさと起きた。

8月29日。生理が来ていた。数カ月前から超低用量ピルをはじめ、120日にいっぺんしか生理が来ないように切り替えたので、年に3回しか来ないはずの生理が、よりにもよって貴重な旅先で来た。まだ正式なタイミングではなかったから、時差のズレで一錠飲みそびれたせいだろう。油断してなにも準備をしていなかったので、泣く泣くターゲット内のCVSに生理用品を買いに行った。ついでに、コーヒーが飲みたかったので、敷地内のスターバックスでコーヒーとサンドイッチを買った。

出かけたらしいNorikoさんに、近況について聞きたいし、よければどこかで酒蔵を訪問させてもらえないかとメッセージを送ったあと、朝食を摂りながら仕事をしていたら、いま家にいるか、いるならこれから帰ってブルーベリー・パンケーキを焼くからJakeと3人でブランチをしないかという返信があった。しまった、朝ごはんを食べたばかりだと思いながら、誘ってもらえるのはうれしく、かつ食い意地が優って、ぜひ、と答える。

Jakeの焼くブルーベリー・パンケーキはいちごやベリーを刻んだソースがかかっていて、バターを乗っけるとさらにおいしかった。Jakeから時差ぼけは治ったかと言われたので、到着以来ほとんど二人の前に姿を現していないものだから(この家の住人はもともとみんなindependentで、必要以上のコミュニケーションをしないのだが)、ずっと部屋で眠っていると思われているのかもしれないと察した。

Norikoさんは、わざわざ酒蔵にきて取材するようなことでもないからと、その場で近況を報告してくれる。詳細は省くけれど、悪くはない状況だと理解できる。ほっとした。一年と少し前、アメリカでパンデミックが起きたばかりのころ、大きく変わった状況の中でなんとかビジネスを保とうとする彼らにとって、ひとつ屋根の下で暮らす4人のうち、ひとりだけ異なる導線で動くわたしは脅威だった。どうなるかわからない状況で、試行錯誤しながら踏ん張っている彼らがいま、もし、コロナに罹ってしまったら……彼らを応援するわたしの存在が、少しでも彼らの未来を脅かしてしまうのなら、そんなことには耐えられない、などと、なんやかんやあって、結果、家を出た。地価の恐ろしく高騰するサンフランシスコで、1000ドルと少しの家賃で暮らせるところなんてたかが知れていたし、金額よりなにより、彼らとのつながりがそこで途絶えてしまうのもこわかった。

でも峠は超えたのだ。心の底からほっとした。

Jakeが、いまアメリカのサケ業界で起こっていることについて、声をひそめながら教えてくれた。アメリカのサケの造り手としてパイオニアとも言える彼には、独自のネットワークがあり、業界への批判的な姿勢も合わせて、その情報・オピニオンはユニークだった。

Norikoさんから、ガレージにある冷蔵庫の中のお酒に興味があれば飲んでもよいと言われる。昨年、ベイエリアのサケ仲間を集めて、全米各地の酒蔵のお酒をテイスティングしたあまりが入っているらしい。当時、米国月桂冠の杜氏だった河瀬さんが写真を送ってくれて、うらやましく思っていた企画だ。カリフォルニアでは手に入らないものも多いため、わたしは大興奮でお礼を言った。そのほか、あとでSequoia Sakeの新商品も入れておいてくれるとのことだった。

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話しているうちに、蔵に来客がある時間が近づいてきたので、またどこかで話そうと約束をして、出かける彼らを見送る。せめてものお礼にと、食器を洗った。

連日の飲み過ぎ・食べ過ぎを受けて、そろそろさっぱりしたものが食べたかったし、専門店以外の日本酒流通の状況も知りたいしで、歩いてギアリー・ブルバードを下り、ジャパンタウンへ向かう。

カリフォルニア州では屋内でのマスク着用が義務付けられている。つまり、屋外は義務付けられていない。サンフランシスコはラディカルな街で、2020年にアメリカで初めて新型コロナウイルス感染症が確認されてからも、いち早くロックダウンを敢行したようなところだから、意識が高い人は比較的多いが、ここ数日歩いた限り、マスクあり・なしの比率は5-6:4-5、と行ったところだった。

ところが、このジャパンタウンまわり、着用率が100%だ。着けていない人がいない。日本では無防備な小さな子さえ、かわいらしいデザインの布マスクを着けている。日本ってそうでしょう、と思われているのか、日本のカルチャーが好きな人はそういうタイプになりやすいのか、ともかく、めまいがするほどのマスク率だった。

ジャパンタウンには、日系スーパーのニジヤ・マーケットがある。ロサンゼルスに留学したばかりのころ、アメリカの食材にビビっていたわたしは、ニジヤで納豆やネギを買って食いつないでいた。輸入のプロセスを経ているので、日本で購入するよりもずっと高価になっているが、ビールは国産だったり、日本のようにビール税がかからなかったりで安い。たまにセールをするのでよくケースで購入していた。

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なにかさっぱりしたものが食べたいからとやってきたが、日本から来たばかりとあって、どうしてもコストパフォーマンスが気になってしまう。ずっとサンフランシスコに住んでいるのであれば、この金銭感覚にも慣れてくるのだけれど。

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結局なにも買わず、日本酒のコーナーを眺めるだけになった。もともとここの店舗はロサンゼルスよりも品揃えが多く、管理も比較的行き届いているが、一年前よりもラインアップが増えているのがすぐわかった。

片道30分くらいはかかるので(車を持たないでアメリカ生活をしていると、「徒歩圏」の「圏」がどんどん広がっていってしまう)バスに乗ろうかと思ったが、なんやかんやで、気づいたら坂道を登っていた。

Norikoさんが飲んでもよいと言ってくれた開けさしの酒瓶を抱えて部屋に持ち込み、各州のローカル酒蔵が作ったサケを飲み比べる。テキサス州、テネシー州、ミネソタ州、ヴァージニア州。テキサス州のTexas Sakeとヴァージニア州のNorth American Sake Breweryは、True Sakeで働いていたときにサンプルをテイスティングしたことがあった。

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開けて半年経っているとあって、それを差し引いた判断をしなければならないが、味も香りもそれぞれまったく異なり、楽しかった。アメリカ・サケは楽しい。おいしいとかおいしくないとか言うのは簡単で、なんなら「おいしくない」くらいのほうが、世界の広さとサケの可能性を感じられる。

食欲もさしてなかったけれど、残して明日食べればいいやと思って、大好きなビルマ料理店・Burma Superstarの発酵茶葉サラダ(これがとってもおいしく、ほかのビルマ料理店でも食べられないほどのクオリティなので、早く日本に来てほしい)と、ガーリックのきいた平麺の海老焼きそばを頼んだ。案の定、ほとんど食べずに冷蔵庫行きとなった。

* * *

8月30日。この日も大した用事はない。気になっているクラフトビールでも飲みに行こうかと思ったけれど、ずいぶん寒く、問い合わせへの返事でまだ入荷していない旨も返ってきたので、やめておいた。

しかし、よく眠る。おばあちゃんちに来たのか? というほどに、めっぽう眠っている。気温が低いせいかもしれない。

この日は反対方向へ歩き、これまた30分ほどかかるのだが、オーガニック系スーパーのホールフーズ・マーケットへ行くことにした。True Sakeを行く道のりを、スターバックスのところで曲がらず、まっすぐ歩き続けると車の通りの多いフェル・ストリートが見えてくる。目の前のプレイ・グラウンドの歩道を歩いてゆくと、サイクリングをしている家族や、ランニングをしている男女や、アスレチックでワークアウトしてるマッチョな男の子たち、草っぱらでのんびりしている女の子たち、ベンチで俯いている浮浪者やらとすれ違う。

ずっと歩き続けていれば、いずれは大きな大きなゴールデン・ゲート・パークへたどり着くのだが、ホールフーズ・マーケットはその手前にある。

ここもロックダウンが明けて自由に出入りできるようにはなっていたけれど、わたしがよくお世話になっていたブッフェ形式のお惣菜バーは相変わらず停止されているらしく、銀のトレーがすっからかんになっていた。

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冷蔵コーナーを物色し、見慣れた缶ビール──デンマーク発のクラフトブルワリー、ミッケラーのカリフォルニア産の商品を手に取る。Twitterで相互フォローの長谷川小二郎さんのアイコンが、訳書の関係でこれになっている。

サケは置いてあるだろうかと見渡したけれど、見つかったのはバークレーにあるTakara USAが生産している松竹梅のにごり酒のみだった。ホールフーズはエリアや店舗によりセレクションが異なり、ロサンゼルスにいたときに知り合ったマーケターの方から、棚の担当者によってラインアップが大きく変わってしまうと愚痴を聞かされたのを思い出した。

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そのほか、アメリカの食材にビビっていたころでも、ホールフーズの野菜とか、お肉とか、ソーセージとかは買えたなぁと思い出しながら店内をしばしばうろうろする。とはいえ、少し高値ではあるので、買える食材も毎度似たようなものになり、たとえ鶏もも肉を買うにしても、毎度和えるハーブを変えてオーブン焼きにしたり、ぐつぐつ煮込んでスープにしたり、それも和風っぽくしたり中華っぽくしたりと飽きないための工夫をしていた。パスタは安い。400-500グラムで1ドル前後。アメリカは、ビールと交通費とパスタは安いのだ。

ホールフーズを出て、ずっと気になっていたけど結局行かずじまいだったロースターに入り、ホットコーヒーを買ってふたたび元来た道を歩く。

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家に帰り、冷蔵庫を覗くと、Norikoさんの予告通り、新たにお酒が3本入っていた。カリフォルニア州を初め、全米の酒蔵がサケ造りに用いるカルローズで造られた従来の商品と、ここでは説明を割愛するが、彼らオリジナルのSequoia Riceを使ったお酒。それから、カリフォルニア州に新しくできる酒蔵のサンプルもあった。

部屋に帰り、飲みくらべをする。わたしはSequoia Sakeはアメリカ・サケの中でもかなり推している蔵だが、日本で一年間暮らし、また前日に全米各地のお酒を飲んだものだから、彼らが何をしたいのかが際立ち、しみじみと伝わってくるようだった。新しいお酒は、Norikoさん曰くまだ納得は行っていないようだったが、より酸の方向に開けながらも、香りがよく、Sequoiaらしい深さを持つよいお酒だった。

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Jakeが帰宅したのが音でわかる。料理が好きな彼は、いつもヘッドフォンを着け、タブレットでテレビ番組や映画を観ながら調理にあたるので、あまり話しかける余地はない。今日は調理後、リビングでひとり、やはり映画の続きを観ながら夕食を食べていた。

昨日の食事の残りを片付け、感想を伝える余地もなさそうだなと思いながら、寝る前にバスルームへ行ったら、トイレットペーパーが切れた。日本のトイレットペーパーよりもアメリカのそれは分厚く、それなのに、勢いよく引き出してしまったことを反省する。どうしようもないので、部屋に戻り、メモに”Toiletpaper is out. Sorry for using too much😢(トイレットペーパーなくなっちゃった。いっぱい使ってごめん)”と書き、映画を観ているJakeの横に差し伸べると、彼は笑ってヘッドフォンを外した。

Jakeが持ってきてくれたトイレットペーパーを受け取り、それはそうと、あなたたちの新しいお酒を試した、という話をする。翳りゆく廊下で交わしたわたしたちの会話は、彼らの酒蔵と、アメリカ・サケの秘密、そして未来への希望にあふれていて、とても楽しかった。ここにも、SNSにも書けることはほとんどない。大切な人との、生の会話は、オンライン上の承認欲求などをすがすがしく飛び越えてゆく。

電気を点けるのも忘れて会話をしながら、お互いの顔がそろそろ見えなくなりそうなところで、じゃあ僕は映画の続きを観るから、と言って、Jakeはリビングルームへ戻った。トイレットペーパーをセットして、部屋に帰る。明日からは、多少は用事のある日々だ。なにもない三日間だった。でも、すばらしかった。

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