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高校生日記


あなたの青春ソングはなんですか。

日曜夜8時すぎ、行きつけのジャズ喫茶からの帰り道。明日からまた仕事かとげんなりした気持ちを引きずりながら何気なくマツキヨに寄った。

店に入るなり「これはもしや...?」と四つ打ちビートにじんわりと熱が込み上げるのがわかった。
『♪〜君を待った 僕は待った 途切れない明日も過ぎてって 立ち止まって 振り返って とめどない今日を嘆き合った〜♪』
やっぱりだ!!!!!
ASIAN KUNG-FU GENERATIONのRe:Re:!!!
2014年高校2年の夏、聴き狂ったアジカン様!!!(泣)

「Re:Re:」は、2004年にアジカンがリリースしたアルバム「ソルファ」に収録されている曲なので、世代としては私より少し上なのだが、当時一方的に恋焦がれていたM川くんの影響でこの曲、もといアジカンの存在を知った。

田舎のさらに田舎にある情報量の乏しい一般家庭で育った私は、小中高とバレーボール部に所属し、勉強もそこそこにこなす、なんの変哲もないよくいる田舎の女学生で、全くもって平凡の極み。好きになる殿方といえば野球部や陸上部にいるような、いわゆるスポーツマンタイプの一択であった。

そんな私の価値観をぶち壊してくれたのが、言うなれば「サブカル系男子」のM川くんである。(カルチャーにサブもメインもないという意見は多くあるだろうがここではあえてこう言わせてもらう)

同じ田舎でも彼は私よりはずっと中心部に暮らし、部活は帰宅部。個人的に水泳を習っていたようで、よく学校でも表彰を受けていた。

鼻が高く、一重の目に黒縁メガネ。プールの塩素のせいか茶色がかった髪はツーブロック。清潔感ある色白で、身長はさほど高くないが、水泳のおかげか肩幅がしっかりしており、真っ白なカッターシャツが逆三角形の背中によく似合っていた。

そんなM川くんと同じクラスになった高校2年の春。遠い席から彼を眺める日々の中で徐々に気持ちはヒートアップし、私はいつしか彼のツイッターを覗き見するようになった。
ツイッターを見る限り、彼は当時まだメジャーデビューして間もない、ラウドロック、レゲエパンクバンドなどと称されるバンド「SiM」にかなり熱をあげていた。
ほかにも、日本の若手バンドを中心に、相当音楽が好きなようで、「ロック・イン・ジャパン」や「COUNTDOWN JAPAN」などのフェスやロキノン系バンドのライブにも熱心に足を運んでいる様子が見てとれた。
当時「ライブハウス」なるものの認知すら危うかった純朴な私であったが、彼のTwitterを通し世界を広げていった。
彼のツイートに登場するバンド、彼がいいねしたバンドはほぼすべて網羅し、自転車で片道40分かかるTSUTAYAでCDを探しては、1週間ごとにさまざまなバンドのアルバムをあるだけ借りあげ、ウォークマンに落とし、四六時中聴き狂った。

彼に出会うまで、ウォークマンに入っていた曲といえば、嵐や西野カナ、いきものがかりなど、だれもが知っていてだれもが好きな、旬なアーティストばかり。マイテーマソングには、ファンキーモンキーベイビーズの「ちっぽけな勇気」を掲げていた。

そんな私が猪突猛進で開拓したバンドは、メジャーからインディーズまで実に多岐にわたる。
Base Ball Bear、フジファブリック、キュウソネコカミ、クリープハイプ、凛として時雨、N'夙川BOYS、毛皮のマリーズ、人間椅子、INU、ゆらゆら帝国、マキシマムザホルモン、神聖かまってちゃん、パスピエ、感覚ピエロ、モーモールルギャバン、八十八ヶ所巡礼、挫・人間、などなど枚挙に遑がない。
その中で私がとりわけ好んでいたのが先程のASIAN KUNG-FU GENERATIONだ。

部活終わり、『♪消してー リライトしてー』のフレーズに鼓舞されながら自転車で駆け上がった坂道。かえるの合唱で賑わう田んぼ道にて、顔面にものすごい勢いでぶつかってきた蛾にムードを台無しにされた「ソラニン」。
学校と家だけで完結する、狭く退屈なはずの世界を彩ってくれていたのが、アジカンでありM川くんであった。

席替えで、運良く彼の後ろの席になった暁には、休み時間が楽しみで楽しみで仕方がなかった。
どんなに退屈な授業でも、彼の広い背中や茶色い髪を眺めているだけでため息がでるほど心が満たされた。
風呂の中や寝る前にはいつもM川くんと話すシチュエーションを思い描き、これを話そうかこれを聞いてみようかと心は弾みに弾んでいた。
努力の甲斐あってか、彼とCDを貸し借りしたり、昼休みに一緒に弁当を食べたりもした。
成績は下がる一方で、周囲からは心配されたが、本人はどこ吹く風。恋は盲目とはまさに、完全な浮かれポンチ状態であった。

そんな中迎えた秋。
文化祭の打ち上げでクラスのみんなとお好み焼きを食べに行った日のことである。
私は前夜にしたためたラブレターを、おそらくそれまでの人生で1番の勇気をふりしぼり、帰り際に押し付けるようにして渡した。
しかし、待てど暮らせど音沙汰なし。
直接返事を聞く勇気も出ず、悩んだ挙げ句メールを送ってみると、「すごく悩んだけど、これからも友達として仲良くしていきたい」という常套句を差し出され、私の恋は惨敗を喫したのであった。

恋はあっけなく散ったものの、音楽への探究心は無くならなかった。
M川くんと距離を縮める過程で、他にも音楽が好きな友達が何人かできた。
同じような田舎で育ったはずなのに、彼らは大衆に迎合することなく、それぞれV系やUKロックなど、自分の確固たる「好き」をしっかりと持っていた。

高校を卒業し上京。
学生時代は渋谷のタワレコでバイトをし、外タレのライブやフェスにも一人で熱心に通い詰めた。一時期は安い中国製のターンデーブルをネットで購入し、新宿のディスクユニオンや、国分寺の珍屋などでレコードも収集した。好きな音楽はと聞かれれば「ブラックミュージック」と答えるようにしているし、これまでの人生で見たベストアクトは2018年のソニックマニアで拝んだGeorge Clinton & PARLIAMENT/FUNKADELICの「Flashlight」だ。

そして、社会人になった今、休日には家の近くのジャズ喫茶に本一冊を持って行き、得意げにコーヒーを一人すする。
私は今、そんな女になってしまっている。

M川くんはどうしているだろうか。

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