#098.本当の強さとは。

強くなりたいと思った。

誇りを守りたいと思った。

何度もその想いをくじかれた。

弱い自分を認められなくて、

絶対的な強さに憧れた。

いつか叩きのめしてやるぞと。

しかし、そんな強さは早々に折れ、

違う道を探しはじめた。

誰にもぶつからないように、

自分の居場所を守りながら。

そして、ふと気が付いた。

この道でもまた戦っていると。

いったい何と戦い続けているのか。

戦いに勝つことは、強さなのか。

強いとは何だ。弱いとは何だ。

何かと比べているうちは、

それは解らないと気が付いた。

自分という秩序を保ちながら、

混沌に身を投じ、調和していく。

強さとは、優しさ、寛容さ、

尊重する心、包み込む愛だ。

釈迦が悟りを得たのは

厳しい修業の果てだが、

厳しい修業そのものが

悟りの因ではなく、

厳しい修業に意味がないことに

気が付いたことが因なのだ。

ならば、厳しい修業は必要ないのか、

というとそうではなく、

必要ないことに気が付くために

そのプロセスが必要なのだ。

ゆえに、苦しみには意味があり、

最終的には全て救われるのだ。


誰しもが、自らの正義を貫こうと

必死になって生きている。

何を信じ、何に従って生きるかは

誰も教えてくれはしない。

絶対的な正解はそもそもないから、

人それぞれの正義に対して

寛容でありたいと思う。

正しさを押し付け合うがゆえに

戦いが生じるのだから。


究極の強さとは、

非寛容に対する寛容さだ。

自分が大切にしているものを

奪った相手に対しても

寛容でいられるだろうか?

もしも因果がめぐり、

来世で逆の立場になったとしたら?

自らに問うても答えは見えない。

しかし、

合気道の達人、塩田剛三は言う。

「自分を殺しに来た奴と、

友達になるのが最強の技だ」と。


もし、恩讐も時空も超えて、

寛容であることができたならば、

それはすでに輪廻の外なのだろう。


いまだ道なかば、修行は続く。


ほな、また。

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