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「敷嶋」 愛知県半田市/伊東株式会社

9代目・伊東優氏が醸す復活の銘酒


1.祖父の代で幕を閉じた酒蔵を復活させるため動き出した9代目

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江戸中期、1788年に創業した伊東合資会社(現・伊東株式会社)は、             全盛期には全国で4番目の規模を誇りました。

江戸ではいわゆる「灘の酒」をはじめとした近畿地方のお酒が人気を博していましたが、現代のような冷蔵設備もない当時、輸送の際の保存が不十分だった事もあり、江戸につく頃には品質が落ちてしまっている、という事も多くあったそうです。そこで地理的に江戸へ近い半田で醸すお酒が安定した品質で人気となり、伊東合資会社は銘醸地・半田を代表する酒蔵でした。

しかし2000年に幹事を務めていた酒販卸の合同会社が不調を受け倒産。      9代目に当たる伊藤優氏は当時中学生でしたが、当時から酒蔵との関わりはほとんどなく、大学卒業後はNTTドコモにて勤務されていました。

伊東氏が30歳の時にご祖父が他界された際、通夜の前に傍らでご祖父の造られたお酒を飲み、その美味しさに感銘を受けたそうです。        ここから家業である酒蔵を復活させたい、その歴史を途絶えさせてはいけない、という想いが湧き上がったそうです。

2.  酒蔵復活への壁と9代目の取り組み

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いざ酒蔵の復活へと動き始めた伊東氏ですが、清酒(日本酒)製造免許の新規取得という最大の壁に当たることになります。

現在、日本では需給調整の名目により、新規の酒造免許の発行が認められていません。(※現在は輸出目的に限り認められるようになっています)

2000年の廃業時に返却してしまった酒造免許を再び取得するには、M&Aによる取得以外に方法がありません。

そんな中、復活への取り組みを知ってもらうため、委託醸造という形で「敷嶋・0歩目」と銘打ったお酒を醸しました。

このお酒が評判を呼び、何より伊東さんの着実な取り組みが実を結び、  その想いに賛同して酒造免許を譲渡してくれる方が現れました。

3.銘酒「敷嶋」完全復活へ

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無事に酒造免許を取得したことで、いよいよ半田の地で「敷嶋」を醸す、 完全復活の道筋が立つこととなりました。

2021年現在、蔵では老朽化した設備を再稼働させるための工事が進行中。2022年より、半田の地での醸造を開始予定です。

敷嶋の「一歩目」、否が応でも期待が高まります。

4.「敷嶋」の名前の由来

「敷嶋」の名は、伊東合資会社(現・伊東株式会社)が創業した天明8年(1788年)の江戸中期、当時人気だった国学者・本居宣長の句から取られました。

敷島の やまと心を 人とはば
朝日に匂ふ 山さくら花

    ー敷島の国、やまとの人々の大和心について尋ねられたならば、       それを朝日に映える山ざくらの花に例えよう。

「敷嶋」は「やまと」にかかる枕詞で、第10代天皇・崇神天皇が都を置いた大和国磯城 (しき) 郡を指すと同時に、大和の異称でもあります。
日本の「國酒」である日本酒に相応しいネーミングですね。

ちなみにラベルにあしらわれている桜の花も、名前の由来となった宣長の句から取られています。

5.ラベルデザイン

敷嶋ラベル画像横長

ラベルの字は田坂州代先生による、川の流れをイメージした流線型の字。 「酒造りの"源流"へ戻る」イメージで書されています。

個人的にですが、日本酒のラベルはひと目見てその銘柄だとわかることが        とても大事だと思っています。                    そういった意味でも、デザイン性と視認性が両立した秀逸なラベルだと感じます。


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スクエアロゴ


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