第36回 新ドル札の顔になる19世紀のモーゼ(アメリカ)
アメリカ・メリーランド生まれの奴隷ハリエット・タブマンは、1849年、奴隷制のないフィラデルフィアへの逃亡に成功した。その直後の安堵の気持ちが、こんな記述で残っている。
「越えたんだ。私は、前と同じ人間なのかと両手をまじまじと見た。あらゆるものが輝いていた。木立の合間から出てきた太陽は、田園の上に輝き、まるで天国にいるような気分だった」。
彼女の逃亡を助けたのは、「地下鉄」という隠語で知られる秘密結社だった。奴隷は「乗客または貨物」、奴隷を誘導するリーダーは「車掌」、隠れ家は「停車駅」、隠れ家の提供者は「駅長」。
黒人たちはいくつもの「停車駅」の支援を受けながら逃げた。捕まればリンチ・虐殺が待っていた。夜陰に乗じて道なき道を荷車を引いて逃げた。
「地下鉄」は1810年から1850年までの40年間に10万人ほどを解放したといわれている。
ハリエットは逃亡の翌1850年、めい一家(奴隷)が転売されると知るや、密かにメリーランドに戻って、一家を無事に逃亡させた。以来、「地下鉄の車掌」として、親類縁者60人を逃亡させた。
1850年、アメリカ合衆国議会は南部議員らの圧力によって「逃亡奴隷法」を制定。逃亡を手助けした者は厳罰に処せられ、逃亡者は元の州に送還されることになった。すると彼女は、カナダへ逃亡させた。脱出させた奴隷は11年間に300人以上といわれ、ハリエットは「モーゼ」と呼ばれるようになった。
南北戦争の時には北軍側のスパイとして暗躍。その後は女性参政権獲得運動に身を投じた。彼女を崇拝する上院議員からニューヨークに小さな土地を譲りうけて家庭を築いたが、やがてその土地を教会に寄進。貧しい黒人の老人のための施設を建てて、自らもそこで93歳の生涯を閉じた。1913年だった。
今年4月、ハリエット・タブマンが新20ドル札の顔に選ばれたニュースが世界に流れた。
アメリカ紙幣にアフリカ系アメリカ人の顔が登場するのは初めてのことだ。「女性参政権獲得100年」の2020年を記念して、女性団体が女性の顔を新20ドル札に採用せよと大運動を展開。アメリカ財務省は、この声に応えて60万人以上にアンケート調査した結果、ハリエット・タブマンが1位だった。
今から4年たつと、新20ドル札の表面に彼女の顔が現れて、現20ドル札のアンドリュー・ジャクソン元大統領は、裏面に移される。ジャクソンは、何百人もの奴隷を使っていた綿花栽培王であった。
(三井マリ子/「i女のしんぶん」2016年6月10日号)
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