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自分で選んだものを正解にする、という生き方。

こんにちは、上田です。

昨日、友人と話していて、相対的な生き方と絶対的な生き方があるなと感じたので、本日はそのお話。

昨日話していた友人は30代後半の女性で、10歳年下の男性に対して淡い恋愛感情を抱いている、という人でした。

ただ、相手の人が、「スキ」ということがよくわからない。というので恋愛がわからない。という男性だということ。

だから、自分もその男性に対して恋愛に踏み込むのは違うかなと思っている、と。

正直、男性の話を聞いた瞬間に「なんじゃそら」と思ってしまった部分はあったのですが、それよりも友人のその考え方の部分が気になってしまいまして。

「相手が自分のことを好きでいてくれるから好き」
「相手が自分のことを好きになってくれるから好き」

というのは、自分の感情のことのはずなのに他人の軸で生きているように感じます。

もちろん、相手の方が結婚をされていて法的に問題が出る場合はともかく、
そうでない場合は自分の思いに応えるかどうかは相手の選択であり、自分の管理下にない部分

10年前、今以上に恋愛下手だった時にある人から、

「好きです」
「ごめんなさい」
「はい、そうですか」
で終わるくらいの想いだったら最初から伝えるな。


「好きです」
「ごめんなさい」
「でもあなたのことが好きなのはどうしようもないので、好きです」
くらい、自分の想いを正直に、かつ誠実に伝えられるようになったらいいと思うよ。

と言ってもらったのですが、その言葉と通じるところがあるなと思ったんです。

「好きです」
「いえ、それは違います」
とか、自分の感情なのに否定されるとおかしいですよね。


結局昨日は最終的に、
「好きというのがわからないなら、私と一緒に知っていこう」
と提案するくらい相手のことをいいと思うなら、その男性にアプローチを続けたらいいと思う
し、そこまでは、と思うなら友人として仲良くなったらどうかというところに会話は落ち着きました。

今回は恋愛の話で感じたことですが、仕事やその他の人生のこと全般でも同じだなと感じています。

「その選択があっているかどうか」にエネルギーを使うより、「選んだものを正解にしていく」という考え方をしている人と一緒に人生を創っていけたらいいなと、改めて思いました。

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