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#10 岡山の雄町について

今回の問題

岡山で栽培されている雄町について述べよ。(2022年)

自分の回答

200字回答

雄町は150年の歴史をもつ酒造好適米の品種であり、育成地である岡山県雄町村の地名から雄町と呼ばれる。収量が低く栽培も難しいため、戦中・戦後に生産量が激減したが、近年岡山県の蔵元の働きかけにより生産量が回復している。岡山県は日照時間が長く、晩生品種の雄町の栽培に向くため、全国生産量の9割以上は岡山県である。特に雄町村近郊の赤磐郡部のものは質が高く、赤磐雄町というブランド米になっている。(193字)

回答の要素

雄町について
現在栽培されている酒造好適米の中で最も歴史のある品種。150年以上の歴史をもつ。
山田錦や五百万石など、現在栽培されている品種の半分以上の先祖は雄町。
9月上旬に出穂、10月下旬に成熱する晩生品種。
適度な旨味のある酒になる。酒質にまろみがあり、秋上がりする。

雄町の歴史
1859年、岡山県雄町村の岸本甚造が立派な穂を見つけた。
1866年、選出。もらった2本の穂にちなんで「二本草」と命名。やがて育成地である岸本の地元「雄町」という地名で呼ばれるようになる。
大正末期から赤磐郡軽部村(現在の赤磐市)の村長・加賀美章が雄町の宣伝に努める。
昭和初期の清酒品評会では上位を占めたが、戦中には収量の低い雑町の生産が激減。栽培の難しさゆえ、戦後も作付面積が約3haにまで落ち込んだ。
近年、岡山県内の蔵元らの熱心な働きかけによって復活栽培が推進され、岡山県内での作付面積は約500haまで復活した(2021年度推計)。

岡山県と雄町
岡山県は「晴れの国」と名乗るほど日照時間が長く、晩生品種である雄町の栽培に向き、全国生産量の9割以上を岡山県が占めている。
雄町村近郊の赤磐郡部で作られたものは質が高く、「赤磐雄町」というブランド米になっている。

回答の構成

・150年の歴史、地名由来
・低収量で栽培が難しいため、戦中・戦後に生産量が激減
・県内蔵元の働きかけで生産量が回復
・長い日照時間、晩生は栽培しやすい
・生産量の9割以上が岡山県
・赤磐雄町

回答の補足

利守(2017)は、雄町復興ものがたり。『夏子の酒』もそうだけど、酒米復活はドラマである。江戸時代の熊本在来種「穂増」を使った 産土、石川在来種「巾着」を使った 吉田蔵u など。新しい酒米が開発されれば、同時に古い酒米も増えていく。

関連
#17 雄町について
#24 岡山県について
#50 酒造好適米の今後の展望について

他の回答

先人たちの回答

雄町は酒造好適米の中で最も歴史のある品種である。1866年に選出され、当初は二本草と名付けられたが、育成地である「雄町」の地名で呼ばれるようになった。雄町は収穫量が低く戦時中に生産量が激減したが、岡山県の蔵元の働きかけにより生産量が回復した。岡山県は日照時間が長く、晩生品種である雄町の栽培に向き、9割以上が岡山県で生産されている。赤磐郡部で作られたものは質が高く、「赤磐雄町」とブランド名になっている。

えすにっくさん
https://ethnicsake.blog.fc2.com/blog-entry-165.html

参考文献

J.S.A SAKE DIPLOMA 教本(Third Edition)p. 34,140
利守 忠義, 幻の米「雄町」米に魅せられて, 日本醸造協会誌, 2017, 112 巻, 5 号, p. 318-322
SAKE Street, 飲み手を魅了。酒米「雄町」の特徴を知る, 2019年5月14日, 閲覧2023年9月27日

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