【いちばんすきな花】第7話② ~間違いとは~

第7話の2本目。
「間違い」について。

間違い探しの正解がどっちで間違いがどっちなのか問題。
美容室で、夜々が担当した子どもが手に取った間違い探しの本。2つの絵のうちどっちが正解でどっちが間違いかを尋ねられて、「確かに・・・」と言うことしかできない夜々。

答案用紙の丸付けが間違い探しに思えてしまう問題。
ゆくえが希子と穂積で答案用紙を交換して互いに相手の丸付けをし合うように促した時に、希子が「答え合わせ苦手。間違い探しって思っちゃうから」と言った。
ゆくえもそれに共感する。「何でも間違ってる前提で見ちゃうんだよね」と。
答え合わせが間違い探しみたいというのは理解できたが、それによって苦手に思うことにははあまり理解できなかった。
言われてみると、正解だと思って書いた答えを間違ってる前提で見てしまうのは気分がいいものではないのかもしれない。ましてや他人の答案の間違い探しをするということに罪悪感のようなものを感じてしまうのかもしれない。

ゆくえは第1話でカラオケで赤田と合流した際に、赤田に正解を見ながら丸付けしたいと言われて、「ただの間違い探しじゃないの。マルかバツかじゃないの」と言っていた。
現在のゆくえは答え合わせ(丸付け)を間違い探しとは思ってない。でも、そう思っていた時期もあったはずだ。おそらく塾講師をするようになってから変わったのだと思う。(自分も塾講師をしていたので)
だから、希子の気持ちに共感できるし否定もしない。

同じ「間違い探し」でも、明確な正解があるものと正解がないものがある。

テストの答え合わせには模範解答という明確な答えが存在する。(一部、採点者の裁量によるところはあるが)
基本的には模範解答と異なっている箇所があれば、模範解答が正解で答案用紙が間違いということになる。

絵本の間違い探しには正解がない。(どちらの絵が正しいのかという意味で)
間違い探しとはいっても、「服の色が違う」、「雲の数が違う」みたいなどちらが正解かは分からないものが多いと思う。
例えば、「ある猫型ロボットのキャラクターのトレードマークである鈴が片方の絵には付いていない」といったものでない限りは、どちらが正解でどちらが間違いというものは存在しないのではないか。
ただ2つの絵を見比べて異なる箇所を探すというのが間違い探しである。
だとすると、正解があって初めて成立する間違いというのはいかがなものか。

こんなことを考えていたこともあったということをこのドラマがきっかけで思い出した。

他にも第7話では、紅葉が編集者との打ち合わせで「正解はありません。少なくとも作家さんも編集部も間違いだとは思っていません。だから佐藤さんのイラストに決めました」と言われていた。
夜々がコンビニで紅葉に「自分なりの方法で思いを伝えようって。ちゃんとタイミングを見極めようって。なのに盛大に間違った。出会ったことが間違いだったのかな」とこぼした。
4人がそれぞれ志木美鳥と知り合いだったことが分かるシーンでも、それぞれの美鳥ちゃん像を見比べて、まるで間違い探しをしているみたいだった。

いずれも明確な正解というのはない。
人生にはたくさんの選択肢があるけど、どれが正解でどれが間違いかなんて誰にも分からない。たとえ正解だと思って選んだとしても後から間違いだったと思って後悔することだってあるし、その逆もある。
明確な正解があるのはテストの問題くらいなのではないだろうか。

辞書的には、「間違い」というのは正解に対しての誤りのような意味合いになるのだが、人生においてはそうもいかないのだ。
正解は分からないが、間違いだったことだけは分かるということは多々ある。
その度に「盛大に間違えた」と反省するけど、勉強と違って人生では同じ問題と再会することは少ない。

小さい頃に想像していたより何倍も人生って難しいんだな。。(この締めかたは正解なのか・・・?)


この記事が参加している募集

#ドラマ感想文

1,643件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?