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109. 花椿 2015年6月号 【フリーペーパー】

言わずと知れた、資生堂が出している長寿のフリーペーパー。
まだB5サイズで月刊誌だったころの花椿です。(今はA4サイズ、年2回発行)
現在のものに比べてボリュームが抑えられていてコンパクトでさらっと読めます。それでいてデザイン性が高く紙質も良く、満足度も高いです。さすが資生堂。

幾つかある記事のうち特に印象の強かったものをピックアップして紹介します。

冒頭に「秘密の分身」というタイトルで、マネキンとモデルを撮影した一連の写真作品が掲載されています。
写真によってキーとなる色があって、例えばピンク×黒、イエロー、白×ブルーと、服や背景が変わります。モデルはすべて同じ人が担当していますが、色に合わせてメイクや髪のポイントカラーが変わり、マネキンも白黒グレーとマイナーチェンジ。
非現実的な光景の中で、二人(もしくは三人)がやや不自然なポージングを取っています。
ラテックスストッキングとマネキンの質感がとても似ていて、モデルがマネキンに、反対にマネキンがモデルに近付いていくような感覚のある作品です。
最後に仏文学者の巖谷國士氏がマネキンについてコメントを寄せています。こういう仕事もしているのか、とちょっと驚き。


それから歌人・穂村弘と舞踊家・金森穣の対談コーナー。
モダンダンスとコンテンポラリーダンスの違いがよく分からない程度にはダンスへの造詣のないもので、この方がどういう踊りをしているのかは上手く想像できなかったんですけども。とりあえずモダンダンスはバレエから出てきたもの、コンテンポラリーは西洋以外の要素を取り入れたもの、という区分けらしいですね。バランシンはモダンダンスだと思っていたけれど、あれはモダンバレエらしい。難しい。
(あんまり関係ないけれど、「牧神の午後」は一回映像で良いから観てみたい。これもモダンダンスの祖らしいけれど、そういうのは置いておいて、山岸涼子作品で読んでからニジンスキーがずっと気になっている)

金森氏が対談の中でこんなことを言っています。

神が踊っている姿は想像できないですね。踊りって、肉体という世俗的なものと密接ですから。もし神様がいても、肉体を持って踊られてもなあ、という感じがします(笑)。

わたしは寧ろ、肉体を離れた超常的な踊りに神秘性を見出すなあと思ったり。天界におわす方の、調和した音楽と完璧な体の動き。神様自身が踊らなくても、その付き人とか精霊が踊っている様子を思い描くのは楽しい。
もっと肉感を持っているけれど、日本の土着の神様たちも踊っていますよね。(アメノウズメノミコトとか)
多分ギリシア神話の神々とかヒンドゥー教の神様も踊っているはずだし、この文脈で想定されているのは一神教の神様なんだなと思いました。長年ヨーロッパにいたからこその感覚なのかも。


後半には短編小説も載っていて、藤野可織作「前世の記憶」という作品なのですが、その挿画が魅力的でした。笠井麻衣子さんという方の油絵で、髪の長い女の子の絵が3枚載っています。
木のトンネルをくぐって何かを目撃する少女。ブランコに乗りながら、何かに気を取られている少女。うさぎの着ぐるみに手を引かれながら何かから逃げる少女。
皆何か、画面には描かれていないものを見ていて、髪を風になびかせています。印刷でも分かる絵の具の流れや厚みといったエネルギーは全てその何かに向かっていて、見るものの視線も誘導します。
直接小説の内容に関係しているわけではないのですが、物語に漂う不安感や不快感と、この絵の薄気味悪さはなかなか合っているように感じました。見てはいけないものを、少女たちが一足先に見ているような。


最後のページでは森村泰昌の連載コーナーで、山口小夜子との思い出が語られています。彼女のビジュアルは無論わたしも惹かれるものがありますが、そこまで思い入れがあるわけではないのでさらっと読み流してしまいましたが。
しかし山口小夜子のお別れ会の開催地が築地本願寺だったとは。以前築地本願寺に行った時は、想像していたほど変じゃないなと思ってさら〜っと通り過ぎてしまったので、改めて再訪したい気持ちになりました。(お寺自体より寧ろ裏手の緑道が印象に残っているくらいには何も見なかった)


今回は随分昔の号を読みましたが、近年の花椿もちゃんともらうようにしています、とはいえまだ去年出た2冊をもらえていないので、来月あたり気合い入れて資生堂の路面店に行かなくては……。

ではまた。


最後まで読んで頂きありがとうございます。サポートは本代や映画代の足しにさせて頂きます。気に入って頂けましたらよろしくお願いします◎