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112. チロンヌプカムイイオマンテ 【ドキュメンタリー映画】
1986年に美幌峠で行われたアイヌの祭祀「イオマンテ(霊送り)」を撮ったものに、最後に現在の美幌峠の様子を加えた映像作品です。
作中では、綿々と受け継がれてきたアイヌの信仰の中で育ったほとんど最後の世代、当時75歳の日川善次郎エカシによって、その頃すでに忘れられかけていた祭祀が、伝承の意味も込めて丁重に行われました。
タイトルの「チロヌプ」はキタキツネ、「カムイ」は神、「イオマンテ」は霊送りを意味します。これはアイヌならではの自然観から生まれた祭祀。
簡単に解説するとこんな感じ。
神様の国からキタキツネが、人間に毛皮と肉を授けるために一時的に人間界に来ている。
人間はキタキツネを我が子のように育て飼っている。
そうして必要に迫られてその我が子のようなキタキツネを手にかけねばならなくなった時、キタキツネの霊が迷わず神の国へ帰れるよう祈りを捧げるのがこの祭りである。
これまでの感謝を捧げ、神の国にたんまりとお土産を持って帰ってもらおう、向こうではきっと仲間のキタキツネたちに人間界での暮らしを自慢するだろう、そんな内容の祝詞が繰り返されていました。
自然の生に対して、よく言えば前向き、悪く言えばすごい人間のエゴだなあと思いながら見ていました。わたしにはちょっと賛同しかねる自然観ではありました。
祭祀の中心人物エカシさんは、2人の孫に伝承していってほしいと考えていたようですが、孫たちはあまりアイヌに思い入れはない様子。現在は都会に出て働いていて、アイヌとはかなり遠い環境で生活しているようでした。
その温度差を見ていてしみじみと思ったのは、信仰がなければ形だけ守っても意味がないということでした。
やっぱりどういう考え方からどういう行為が生まれてきたか、何を思い何のためにその祭をするのかを、学術的な知識としてではなく、生活の中で自然とそういう考え・行動を習得していくのでなければ、思想が死んでしまうように思います。
だから”伝統の保存”って外部の人間がとやかく言うことではありません。生活の中でその思想が必要とされて残っていくのでなければ……。
(過去の遺産を守る行為には何とも言えないもやもや感が常に付き纏うのですが、わたしは遺跡や民俗的な風習のビデオなんかを見ること自体は好きだし自分の中でも矛盾のある部分です。)
あと、エカシさんの祈りの言葉は全てアイヌ語だったのですが、あまりにも日本語と違う言語体系だったので、改めて驚きました。
聞いていても、画面の字幕を追っていても、ほとんど何も分からない。たまに日本語に入ってきていたりして分かる言葉(カムイとか)が出てくると、そこだけ馴染みのある響きに変わって解像度が上がるのが面白かったです。
余談ですが、「チロヌップのきつね」という絵本・児童書がありまして。内容はさっぱり覚えていないのですが、映画を観ていて唐突に、ああチロヌップってアイヌの言葉だったのか! と思い至りました。
アイヌについてのまとまった映像を見たのは初めてだったような気がします。
アイヌの模様ってエネルギーが漲っていて、民俗博物館などで実物を見るとちょっと怖いなとたじろいでしまいます。でも実際にそれを着て動いている姿はとても生き生きしていて、アイヌ民族の立ち居振る舞いとあの文様がそうあるべくしてあるように思われたのでした。
これまでずっと”生きたモノ”として見ていなかったから、力が有り余ってしまって怖く感じたのだろうと思います。
今後はもっと興味深くアイヌ文化と向き合えそうです。
ではまた。
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